五 将軍からの挑戦状(2)

「──うめえなこれ! ズズズ…こりゃあ、ハードボイルドな俺にピッタリだぜ!」


「このお米を炒めたお料理、なんとも美味しいトレボンですわね! イサベリーナさま」


「ええ。こちらの揚げパンみたいなものも美味しいケッリコ! ですわ、フォンテーヌさん!」


 狭い裏通りにひっそりと佇む、その小さく小汚い店の前には、なぜか大勢の客達がひしめき合い、なんだかスカした若僧から身形みなりの良いご令嬢まで、老若男女、さまざまな種類・階層の人々が料理に舌鼓を打って歓喜している……。


「な、なんじゃこりゃあああーっ!」


 しばらくの後、味皇軒の店先へと到着した翟安門は、潰れるどころか大盛況をみせているその状況に、は思わず驚嘆の叫び声をあげた。


「話が違うではないか? いや、違うどころか貴様の報告とは真逆だぞ、翟安門! いったい何がどうなっている?」


 そのとなりに立つガストロノミヤ将軍も、あまりの現実との乖離に険しい表情を浮かべ、氷のように冷たく鋭い眼光で翟のことを睨みつけている。


「お、俺にもわかりません。なぜ、こんなことになってるのか……オイ! ちゃんと嫌がらせはしてたんだろうな!?」


 わけがわからず、唖然と立ち尽すしかない翟安門は、気を取り直すと手下のチンピラを怒鳴りつけ、悪事をオブラートに包むこともせずにストレートな物言いで問い質した。


「い、いえ、それが、バケモンみてえに強え娘がどこからか現れてやして……どうやらそいつが助っ人の料理人みてえなんですが、あんなのが用心棒についてたら、命が幾つあっても足りやせんぜ……」


 翟に詰め寄られたチンピラは、先日の蹴り飛ばされた時のことを思い出し、今にも泣き出しそうな顔で彼に言い訳をする。


「なにを甘いこと言っている! 今からでも因縁をつけて暴れてこい! 客が寄り付かないようにするのだ!」


「……い、いやだ……蹴り飛ばされるのはもう嫌だああぁぁぁ〜っ!」


 そんな、臆病風に吹かれるチンピラの尻を叩く翟であるが、よっぽど露華が怖かったのか? 彼はふるふると素早く首を横に振ると、ほんとに泣き叫びながら全速力で逃げて行ってしまう。


「あ、おい! ちょっと待て……ったく、なんなんだよ、いったい……」


「とりあえず、一つだけ確かなことは、おまえの戦略が完全に失敗したということだ。魔術の方もちゃんと使っているのか?」


 予想外の逃亡に唖然とする翟に対して、冷静な口調でありながらも厳しくガストロノミヤ将軍は詰問する。


「は、はい。もと魔法修士の破戒僧を金で雇い、店が傾くよう悪魔の力で呪いをかけてはいるのですが……」


「その割にはまったく効いておらぬではないか」


 さらに冷徹な声で責め苛まれ、タジタジになっている翟は知る由もないのだが、じつはそれに対してもマルクが念のためにと、魔導書『ゲーティア』にあるソロモン王の72柱の悪魔序列59番・幽星公オリアックスの威厳や栄誉、地位を与える力を店にしかけ、対抗魔術で相殺したりしているのだ。


「かくなる上はアレ・・しかないな。翟、今回の失態の責をとり、貴様が皇村源にアレ・・を仕掛けるのだ」


「あ、アレをですか? ……し、しかし、それではこちらにもリスクが……」


 計画がうまく進まず、何かを決断するガストロノミヤ将軍の言葉に、巨漢の翟安門も少なからずビビる。


「そう。一か八か。まさに店の…そして貴様の命運をも賭かけ勝負……将軍楼の店主として、この落し前は貴様がつけるのだ、翟安門!」


「わ、わかりました。これでもセネラル・ガストロノミヤの辰国料理部門を統べる大幹部。この翟安門、命を賭してやってやりやしょう……」


 凍てつくような視線とドスの利いた声で命じられ、および腰だった翟もついには覚悟を決める。


「オウ! オウ! オウ! オウ! 随分とチンケな料理を出してくれてんなあ、皇村源! こんな貧乏臭え辰国料理、この天下のサント・ミゲルで味わう食文化の風上にも置けねえぜ!」


 そして、なにを思ったか? 突然、怒号を張り上げると太鼓腹に反響するエコーがかった大音声で、皇と味皇軒に対してあからさまなイチャモンをつけ始めた。

「新天地の玄関口、ここ、サント・ミゲルに相応しいのは、この将軍楼の翟安門さまが作る豪華絢爛な辰国料理だ! てめえの見すぼらしい料理など存在するだけで目障り! オンボロなこんな店はとっととたたんでしまえ!」


「……言いたい事ハそれだけカ? どうやら、本気デ死にたいらしいネ……」


 突如現れたど派手なクレイマーに、周りの客達が食事の手も止めて呆然と押し黙る中、ボキボキ…と拳の関節を不気味に鳴らしながら、目の据わった露華が表へと出てくる……師匠を愚弄するその悪態に、怒り心頭の彼女はもう完全にブチ切れてしまっている。


「待て露華。お客ガ料理を楽しんでる最中じゃ……」


 だが、その肩を掴んで止めると、皇村源自身も厨房から店先へとおもむろに現れた。


「翟安門! それにガストロノミヤ将軍自らもお出ましか。言っておくが、もうどんな脅しを受けようとも店をたたむ気は毛頭ない! それにオマエらに食わせる湯麺タンメンもない! トットと帰って一昨日来やがれじゃ!


 さらに露華よりも一歩前へ出た皇村源は、たじろぐことも、気負うこともなく、しっかりとした口調で翟にそう言い返す。


 そこにはもう、店を閉めようとする後向きな皇の姿はない……露華達の協力と、賑わう味皇軒の様子を見て、彼の料理人としての魂にも火が着いたのだ。


「そうヨ! 一昨日来やがれヨ!」


 それには皿や丼を両手いっぱいに持ち、料理を運ぶ最中だった妻・吉法も援護をする。


「ハン! それならば料理の味で勝負といこうではないか。皇村源! 俺と味比賽ウェイビーサイで勝負だ!」


 だが、単にイチャモンをつけに来たのかと思われた翟安門は、なんだか妙なことを言い始めた。


「ナニ? 味比賽じゃと?」


 味比賽! ……それは、互いに作った同種の料理を審判者に食してもらい、料理人の地位や名声、すべてをかけてその優劣を競うという過酷な味勝負である!


「負けた方は自分の店をたたむという条件でどうだ? 美味い方が生き残り、不味い方が滅び去る……論理は単純明確。いい解決方法だろう?」


「種目はそうだな……辰国料理を代表する〝水餃子〟としよう。審判はわしがやる。なに、わしも食通を自負する者。己の舌に嘘を吐き、身内を贔屓するような真似はせん。なんなら、公平性を保つために客達にも食べてもらって真偽を問おう」


 挑戦状を叩きつける翟に続き、勝手に審判者を申し出たガストロノミヤ将軍も淡々とそう続ける。


「さあ、どうする? 皇村源! この勝負受けて立つか!? ま、俺に勝つ自信がないってんなら無理強いはしねえ。別に恥を偲んでおめおめと逃げ出してもいいんだぜ?」


「オマエ、ホント、イイ加減にするネ! アタシの堪忍袋の緒もソロソロ限界ネ!」


 さらにけしかける翟安門に、再び露華は血相を変えて、ギリギリと拳を握りしめながらまた一歩前に出る。


「待て! 露華……いいじゃろう。その味比賽、正々堂々受けて立とう……」


 しかし、今度も皇が彼女を制し、真っ直ぐに翟の憎たらしい顔を見据えると、静かに、だが、しっかりとしたよく通る声でそう答えた。


「じゃが、勝負するのはワシではない。この露華じゃ」


「……エ! あ、アタシがネ!?」


 続くその意外な発言に、露華は皇の方を振り返ると驚きを露わにする。


「その小娘があ? ……フン。俺さまへの恐怖のあまり、まともな判断もできなくなったか。ま、そうなりゃ闘うまでもなく、俺が勝利するだけだからかまわねえけどな」


「見くびってもらっては困るの。この露華は我が一番弟子。ワシと同じ…否、ワシ以上の味を生み出すことのできる一流の料理人じゃ。味比賽の相手として不足はなかろう……おまえこそ、露華と勝負するのが怖いのではあるまいな?」


 一方の翟は露華の小さな体を眺めると、完全に見下した態度で一笑に付すが、皇は大真面目に鋭い眼差しで、翟を見返しながらそう反論した。


「な、なんだと!?」


「ほう。そうか、この娘が助っ人の料理人とかいう……」


 逆に挑発され、激昂する翟の傍ら、無表情のガストロノミヤ将軍は、冷静にチンピラの言葉を思い出している。


「露華、事後承諾になってしもうたが、ワシの代わりに味比賽をやってくれるな?」


「で、デモ、老師ラオシー、アタシが負けたらコノ味皇軒ガ……」


 彼女の方を振り返り、改めて代理を頼む師匠・皇村源に、弟子の露華はその責任の重大さから思わず尻込みをしてしまう。


「ナニ、ここ数日、おまえさんの料理を傍で見させてもらったがの、すっかりワシの味をマスターしてしもうた。もう教えることは何ない……」


 そんな露華に対し、不意にいつもの優しげな笑みを取り戻した皇は、穏やかな口調で彼女を諭す。


「それにの。もう一度店を頑張ってみようと思ったのは、すべておまえさん達のおかげじゃ。万が一、勝負に負けて店が潰れたとしても、最初からなかったものと思えばどうということないわ。店のことは気にせず、思いっきり、おまえさんの辰国料理をヤツらに味合わせてやるがよい」


「そうヨ、露華ちゃん。アナタがうちの辰国料理をみんなに食べさせてあげて!」


老師ラオシー……女将さん……わかった

ネ! ワタシが師匠になり代わって、その水餃子味比賽、全身全霊ヲ以て受けて立ってやるネ!」


 加えて、吉法までが微笑みを湛えて彼女の背中を押し、師匠夫婦のかけてくれたその励ましの言葉に、露華も勝負を引き受ける決意をようやくに固めた。


「フッ…いいだろう! このガストロノミヤの名において、挑戦者の代理を許可しよう!」


「か、閣下!? ……フン。閣下がそうおっしゃられるのなら仕方ない。小娘、後で泣きごとを言っても知らんからな!」


 露華が代わりに味比賽を行うことを、不適な笑みを口元に浮かべながらガストロノミヤ将軍も了承し、そんなボスの判断に、渋々、翟安門も納得する。


「それと、やはり審査に公平性が欠ける故、ワシも一緒に審判者となろう。無論、弟子だからといって甘い評価はせん。ここからは身内も師弟も関係ない。真に味だけがものを言う真剣勝負じゃ!」


 一方、そんな追加条件も皇は加え、こうして露華は将軍楼のシェフ・翟安門と、お互いの店をかけた味比賽をすることとなったのだった──。

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