六 味比賽の果てに(2)

「よし! それでは味比賽を仕掛けた翟安門の水餃子から食すとしよう!」


 慣例に則り、皿への盛り付けも終わると翟のものから、審判者席ならびに客達のテーブルへと手伝いに来た将軍楼の給仕の手によって運ばれてゆく……。


「さあ、俺さまの特製餃子を食べてくれ! 旨いか美味しいか、どっちだ!?」


「これが餃子か!? なんと煌びやかな……」


 ガストロノミヤ将軍と並び、特設の審判者席に腰掛ける皇村源は、置かれた水餃子を目にすると驚きにその目をまん丸くした。


 黒い皿に盛られた餃子の上には、金銀の箔が散らされてキラキラと輝いていたのだ。


「この見た目の美しさ。さすがは翟安門だ。では、いただこう……」


 一方のガストロノミヤは豪勢な将軍楼の料理を見慣れているのか? なんとも淡白な反応で餃子にフォークを刺し、それを小皿のタレにつけると口へと運ぶ。


「…! これは……なんと芳醇な肉汁……」


 だが、一瞬の後、モチモチの皮から溢れ出したその肉汁の旨さに、そんなガストロノミヤも細い目を見張ることとなる。


「これは……豚ではなく牛の肉か!?」


 同じく皇も餃子を食すと、その濃厚な肉の味に再び目を大きく見開いてしまう。


「その通り。しかも高級な牛肉だ……肉汁たっぷりの牛挽き肉に高価な胡椒をふんだんに使い、つけダレもグレイビーソースにワインビネガーを加えたエウロパ風のもの……ニョッキのような皮も申し分なく、まさに高級レストランで出しても申し分のない一皿だな」


 皇の言葉を受け、翟の餃子の味を存分に堪能しながら、知識と経験に裏付けられたその舌を武器にして、ガストロノミヤが味の秘訣を丁寧に解説する。


「エウロパ風にしたこのお味、エルドラニア人の口にもよく合いますわね……」


「ほんと! ほっぺたが落ちそうですわ!」


 その高級感漂う餃子の味には、審査の補佐役を務める客達もうっとりと表情筋を蕩けさせている。 


「うめえ! こんな料理は初めて食ったぜ! おかわりとかねえのか!?」


 それは本格エウロパ料理を食べ慣れた上流階級の者ばかりでなく、未知との遭遇といえる庶民の客達にしても同様である。


「欲しいものを手に入れるのが俺のやり方だ……勝負あったな」


 審判者や客達のその反応を見て、自慢げに腕を組んだ翟安門は、余裕の笑みを浮かべて露華にそう嘯く。


「フン! 勝負はまだまだコレからネ……さあ! 食べてくれネ! これが、アタシと味皇軒が辿り着いた究極の餃子ネ!」


 だが、そんな翟と場の空気にも臆することなく、堂々と胸を張って露華も自らの逸品を配膳し始める。


 ちなみに皿を運ぶのは、やはり将軍楼から連れて来られたそれ役の給仕達だ。


「見た目はなんの変哲もない、ただの餃子だな……タレもありふれた辰国料理のものだ……」


 テーブルに置かれた白い皿上のその水餃子を見て、ガストロノミヤはどこかつまらなそうにそう呟く。


「この分だと味もごく普通の餃子といったところか……んぐ!? こ、これは……」


 しかし、魚醤ベースと思われる透き通った透明なタレに餃子を浸し、一口それを頬張った瞬間、思わず彼はこれでもかというくらいに目を大きく見開いてしまう。


「どれ、ワシもいただこうか……なっ! こ、これは……この味は……は、ハオ! チー! ジー! ラーァァァァーッ!」


 また、続いて皇村源もそれを口に運ぶと、その予想を遥かに上回る超絶的な味に、感嘆を込めた驚きの咆哮を裏通り全体へ…否、目貫通りに至るまで遠く響き渡らせた。 


「なんだ!? なんなのだ? この南の島を思わす妙に落ち着く味は!? そうか! 魚介だな!? 近海で獲れた魚やエビをすり潰してプリプリふわふわの食感と、そして魚介の旨味エキスを作り出している!」


「それにプラタノを繋ぎに使い、紫タマネギの酢漬けも入れておるの……弾力ある皮を突き破った先にある、この舌に絡みつくような粘り気とシャキシャキ感……その仄かな甘みと酸味も堪らん……タレは魚醤にバナナ酢、それに唐辛子を漬けたココナッツ油も加えておるな」


 ガストロノミヤと皇の二人は、それぞれに鍛えあげられた舌を駆使して、この餃子の味に隠された秘密をなんとか解き明かそうとする。


「なんでしょう? 初めて食べる味なのに、なんだか懐かしさを感じますわ……」


「ええ。エルドラニア料理とも、辰国料理とも違う……あえて言うなら、このエルドラーニャ島の料理とでも言いましょうか……」


「ああ。さっきのも美味かったが、こっちの方が俺の口にはしっくりくるぜ……」


 また、食した他の客達も異口同音に、キラキラと感動に瞳を輝かせながら、二人と同じような感想を漏らしている。


「そうネ! それは辰国料理とコノ島の料理が混ざり合った水餃子ネ! 味皇軒の辰国料理ハ、本場辰国の食材ガ手に入りにくい中、皇老師ガ島の食材と風土に合わせて、幾多の工夫ヲ重ねた果てに生み出したモノ……ダカラ、味皇軒の水餃子とは何なのカ? それを考えた結果、辿り着いた答えがコレだったネ!」


 審判者や客達の呟きに答えるかの如く、露華はその餃子を作るに至った経緯をそう説明する。


「なるほどな……エルドラニア人であるわしも、この新天地へ渡って来てからすでに長きの時を過ごした……だから、エウロパ風に豪勢な牛肉を使った翟の餃子よりも、素朴だがこの土地に根ざした彼女の餃子の方が懐かしく感じたということか……」


 露華の話を聞き、己の感じた不思議な感覚の正体を知ったガストロノミヤは、気づけば両の瞳より無意識に涙を溢れさせている。


「うむ。そもそも辰国料理の真髄は、あらゆる食材を取り込み、なんでも美味しく調理することにある……これぞワシの求めた味。まさに味皇軒の辰国料理じゃ……」


 皇も大満足である弟子の水餃子に、その眼を熱く潤ませると大きく露華に頷いてみせる。


「この餃子は、わしがすでに新天地の人間であることに気づかせてくれた……我らの完敗だ。その少女に潔く拍手を送ろう」


 頬に伝う涙もそのままに、ガストロノミヤ将軍は自分達の敗北を素直に認める。


「そ、そんなバカな! 俺の餃子が負けるわけが……んぐ!?」


 独り納得のいかない翟安門だが、彼も露華の餃子を口に放り込むと、その衝撃の味に顔を強ばらせ、カラン…と思わず箸を落としてしまう。


「約束は守る。負けたからには将軍楼を閉め、サント・ミゲルの辰国料理界からはひとまず撤退しよう。味比賽での誓いを破ったとあっては、ガストロノミヤ・グループ全体の沽券にも関わるからな」


 固まったまま崩れ落ちる翟の傍ら、ガストロノミヤは皇の方を振り返ると、約束通り、自分達の店の撤退を宣言する。


「だが、これで諦めたわけではない。我らは一から辰国料理を学び直し、再びこの地での覇権を目指す……真の辰国料理を極めたその時には、また味比賽で真剣勝負といこう」


「うむ。その時を楽しみに待っておる。ただし、ワシもそう先が長くない故、早くしてもらわんと間に合わんぞ?」


「フッ…不老不死の仙人かと思いましたがな……いや、良いものを味合わせてもらった! また会おう、皇村源。それに若き料理人よ!」


 そして、いつになく笑みを浮かべて互いに冗談を交わし、皇と露華に別れを告げると、さっさとその場を立ち去って行ってしまう。


「行くぞ、翟。おまえにはしばらく暇を取らす。世界各地を廻って修行し直すがよい」


「はい……俺の料理は俺のもの、世界の料理も俺のものにしてきやす……」


 黒マントを翻し、威風堂々と帰ってゆくガストロノミヤの背中を、打ちひしがれた翟安門もトボトボとした足取りでついてゆく……。


「あ、お、お待ちください! 仮設厨房はどうすれば?」


 また、手伝いに来ていた将軍楼の給仕達も、身の振り方に悩みながら、慌てて勝手な上司達の後を追う……。


「……やった……やったネ……味比賽に勝って、老師の店ヲ守ったネ!」


 集まった野次馬の人垣を真っ二つに切り裂き、遠ざかってゆくガストロノミヤ達の姿を見送ると、露華の中にも時間差で勝利への実感が湧き上がってくる。


「うむ。よくやってくれた。これでもう味皇軒は大丈夫じゃ」


「やったわね、露華ちゃん! いくらお礼を言っても言い切れないわ!」


 そんな露華に、穏やかな笑みを浮かべる皇村源と、やや興奮気味の吉法は心よりの感謝の言葉を伝える。


「俺達からも礼ヲ言うゼ! 多謝謝ダ、露華小姐!」


「アナタは私達の誇りヨ!」


 また、馴染みの客や辰国人街に住むご近所の人々も、露華の善戦に対して称賛の声を各々に贈る。


「わたくしもすっかりこのお店のファンになりましたわ!」


「ええ。今度、サキュマル達も連れて参りましょう♪」


「そのハードボイルドさ、俺様の馴染みの店決定だな。ただし、今の水餃子おかわりだ! もちろん無料で」


 その中にはイサベリーナとフォンテーヌ、そして、探偵カナールの声も混じっている。


「老師、女将サン……それに皆……ホントにやってやったネ……味皇軒ハ永遠ネーっ!」


 熱っぽい瞳で皇や周囲の人々を見渡し、拳とともに歓喜の叫び声をあげる露華を中心に、割れんばかりの拍手と歓声が路地裏の辰国人街にいつまでも鳴り響いた。


(La Señora gourmet 〜セニョーラ味っ子 続く)

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