三 料理屋の海賊(2)

「──フン! ……戦斧アクスは使ったことござらぬが、これもまた古き良き時代の騎士の表道具……心して使わせてもらうにござる! フン…!」


 また、所変わって味皇軒の裏手の空き地では、いつもの剣を斧に持ち換えて、ドン・キホルテスが燃料の薪割りに忙しんでいた。


 普段は刀剣類専門のキホルテスではあるが、巨大な斧も軽々と振り回し、石の台の上に置いた丸太の輪切りを次々にパカン、パカンと難なく割ってゆく…… 戦斧アクスもまた、いにしえの騎士が戦場で振るった主要武器だっただけに、たとえ相手が敵兵でなくとも文句一つ口にはせず、むしろ嬉々とした顔でキホルテスは薪割りを楽しんでいる。


 不真面目な助っ人ばかりの味皇軒スタッフにおいては、まさに適材適所の配置といえなくもないのだが、その実、彼が薪割りに回されたのはその恰好ゆえのことだったりもする……。


「──これはそれがしの誇りポリシー……甲冑姿こそが騎士の正装! さらさら脱ぐ気はござらぬ!」


 ……と、マルクの懸念通り、彼は頑なにキュイラッサーアーマーを脱ごうとしなかったのだ。


 こんな甲冑姿では当然目立つし、その時代錯誤さで有名人の彼はすぐに素性がバレてしまう……で、人目につく所には置けず、やむなく苦肉の策として、店裏での薪割りに当てられたというわけだ。


「…フン! ……うむ。斧もなかなかおもしろいでござるな。今度、戦場でも使ってみるか……フン…!」


 ま、怪我の功名とでもいおうか、剣の達人である彼の薪割りとの親和性は高く、秘鍵団の助っ人の中では最もハマり役になっていたりはするのであるが……。


 あ、ちなみに今、キホルテスが持っている斧は彼のテンションを上げるべく、トリニティーガーの武器屋で従者のサウロが買ってきてくれた中世の骨董ものの戦斧アクスである。


「──おかげさまで店の方は繁盛してるみたいじゃないか……それじゃ、僕の方もお役目を果たすとするかな……」


 そして、船長のマルクはというと、同じく店の裏手に建つ食物貯蔵庫の中で、魔導書による悪魔召喚の儀式を行っていた……。


「──霊よ、現れよ! 偉大なる神の徳と知恵と慈愛によって、我は汝に命ずる! 汝、ソロモン王の72柱の悪魔序列48番、有翼総統ハーゲンティ!」


 扉も窓もすべて閉め切った真っ暗な土煉瓦の小さな土蔵……濃厚な香の煙が立ち込め、チラチラと揺れる蝋燭の炎だけが灯るその暗闇の中で、左胸に金の五芒星ペンタグラム、右裾には仔牛の革製の六芒星ヘキサグラム円盤を着けた黒いフード付きジュストコール(※ロングジャケット)を長袍の上に羽織り、三角帽トリコーン魔女の帽子ウィッチハットを足したような帽子を頭に被ったマルクは、短銃型の魔法杖ワンドをかざして悪魔召喚の呪文を唱える。


 彼の立つ足下の床には一枚の大きな布が敷かれ、そこにはとぐろを巻く蛇の同心円と五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラムを組み合わせた複雑な図形が赤や黄、青、緑といったカラフルな色使いで描かれ、さらにその前方を見れば深緑の円を内包する三角形が記されている………いわゆる〝ソロモン王の魔法円〟と呼ばれるものだ。


「…… 霊よ、現れよ! 偉大なる神の徳と知恵と慈愛によって……ん? 来たね……」


 何度かその〝通常の召喚呪〟を唱えた後、突如、前方に描かれた三角形からモクモクと煙が湧き上がったかと思うと、その中に半透明をした異形のものがどこからともなく姿を現す…… 背中には黒く大きなグリフォンの翼、頭には金色をした牡牛の角を二つ持つ、赤い肌に艶やかな黒髪の気品溢れる美麗な男子だ。


「……ハァ……また、あなたですか……今日はなんです? またワインを造れと?」


 その異形の美男子は、溜息混じりにマルクを見やりながら、心底嫌そうにそう尋ねてくる。


 彼は、マルクの求めに応じて現れた錬金術師の悪魔、魔導書『ゲーティア』に掲載される、かつてソロモン王が使役していたという七十二柱の悪魔の内の一柱……〝有翼総統ハーゲンティ〟なのだ。


「いや、今回はワインじゃなく辰国酒さ。ついでにラム酒もね。ほら、良質な湧水と原料の米、サトウキビは用意してある。もちろん発酵に必要な麹もね。材料はあるんだ。なら、ワイン以外でも君なら簡単だろう?」


 その悪魔に、マルクの方は笑顔を湛えながら馴れ馴れしい口調でそう答えた。


 何度も呼び出したことがあるのでお互いすっかり顔馴染みなのだが、このハーゲンティ、錬金術に精通しているばかりではなく、「真水をワインに変える」こともできる、酒造りも得意な悪魔なのだ。


「相変わらず無茶なことをいいますねえ……ワイン造れというのだって失礼なのに、あまつさえ、他の酒造れなんていう人間、あなた以外まずいませんよ?」 


「そこをなんとか頼むよお。辰国料理屋にワインじゃ合わないだろう? ね、知らぬ仲でもなし。そこをなんとか! 魔術界隈には君の素晴らしさを大いに喧伝しとくからさあ。天下の有翼総統さまの手にかかれば、そんなのチョチョイのチョイだろう?」


 いつもながらの無茶振りにますます眉をしかめるハーゲンティであるが、これまたいつも通りにマルクも宥めすかして、なんとか言う事を聞かせようとする。


「ま、できなくはないですが……仕方ないですね。ただし、面倒くさいんで必要な分だけ一度きりでお願いしますよ? また呼び出されるのはごめんですからね?」


 すると、マルクのしつこさに負けたのか、ハーゲンティはほんと嫌々ながらという顔で渋々その願いをかなえることにしてくれた。


 普通こういう時、悪魔は願いの対価として魂を要求してきたりするものだが、ベテラン魔術師のマルクが口車に乗ることはなく、拒めば神の威を借りた力業で言うこと聞かせにくるだろうから、もう言うだけ無駄とハーゲンティも諦めている。


 この悪魔と若き魔術師船長は、そんな腐れ縁の仲なのだ。


「ソロモン王やイェホシアもでしたが、ほんと、人間は悪魔使いが荒いんだから……」


 なおもぶつくさ文句を言いつつ、手を原料の米やサトウキビ、麹にかざし、それを水の詰まった甕の中へと空中移動させたハーゲンティは、目を瞑って何かを念じるような仕草をみせる……と、甕の中の水が光り、なにやら変化の起こったことが傍目にもはっきりとわかった。


「……はい。できましたよ。後の仕上げは自分でやってくださいね? じゃ、私は帰ります。ほんと、もう呼び出さないでくださいね…… 」


 そして、相変わらずの渋い顔でそう断ると、本来の送り返す呪文もなしに勝手に薄れて闇に消えていった。


「ありがとう、ハーゲンティ! さ、ちゃんとできたかなあ……あ、そういや辰国のお酒って飲んだことないけど、味はこんなもんでいいのかなあ?」


 そんな悪魔を見送った後、短銃型の魔法杖ワンドを腰のフォルダーにしまったマルクは、甕に突っ込んだ指を舐めながら、その致命的な問題に思い至って首を傾げた──。




 ともかくも、このようにマルクが悪魔の力で酒を用意しなければいけないくらい、今日の味皇軒は非常に繁盛している。


 あの閑古鳥の鳴いていた味皇軒がなぜこうも満席になっているかといえば──。




「──本日新装開店ネ〜! 美味しいカラ、みんな来てくれネ〜!」


「本日新装開店で〜す…っていうか、やっぱりこの服カワイイ! あ、よかったら来てくださ〜い!」




 ──と、いうように、今朝、辰国ドレス姿の露華とマリアンネが目貫通りでビラ配りしたからである。


 可愛らしい二人の美少女で先ずは客引きをし、やって来た客達は皇村源と露華による絶品辰国料理に舌鼓を打つこととなる……さらにその味に感動した客達が味皇軒の話を周りの人間に吹聴することで、みるみる内にその評判はサント・ミゲルの街に拡がっていったのである。


 こうして、露華とその愉快な仲間達による味皇軒再建計画は、思いの外にうまくいった……かに思われた。

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