一 隠れた名店(2)

 同じ煉瓦造りの平屋ではあるが、エウロパのものとは何かが違う……それは、露華がもっとずっとずっと幼かった頃、祖国で見た記憶がぼんやりと残る、辰国の下町にどこか似ているような気がする。


 いや、建物ばかりでなく、頭上には赤い提灯がいくつも連なって掛けられていたり、彼女と同じ辰の服を着た老人達が、軒先でチェスのようなゲームにのんびりと興じていたり、その場に広がる異質な空間は、なにからなにまでがなんだか妙に懐かしい……。


 それもそのはず。そこは、少数ながらもこの島へ渡った辰国人達が生きるために集まり、コミュニティを作って住む街の一角なのだ。


「……匂いのモトはあの店ネ」


 とはいえ、異国暮らしの方が長かった露華にとって、本能的に懐かしくはあっても深く感慨を抱くほどのものでもない。そのノスタルジー感じる景色に一瞬呆然と佇んでしまう彼女だったが、すぐに気を取り直すとよりいっそう匂いの強い、根源と思われる場所を特定した。


 そこは料理屋のようであり、粗末な造りながらも店先には大きな辰国陶磁の甕が置かれ、カラフルな彩色で「味皇軒」と書かれた看板が入口の上に掲げられている。


「味皇軒……好吃ハオチーな予感しかしない店ネ……」


歓迎光臨ファンインゴンリーン〜(※いらっしゃいませ〜)!」


 引き寄せられるようにして、開け放たれた店頭を露華が入ると、おかみさんらしき中年女性が挨拶をした。


 緑色の辰服に茶の前掛けを着けた柔和な顔立ちの女性だ。その黒髪や目鼻立ちから、明らかに露華と同じ辰国人とわかる。


「コノ匂いハ何カ?」


「アア、当店自慢の名物、プラタノ湯麺タンミェンダヨ。一杯どうだい?」


 開口一番、露華が尋ねると、やはり彼女に似た訛りのある言葉使いでその女性は答える。


「せっかくだからいただくネ。その湯麺を一杯ネ」


「あんたー! プラタノ湯麺一丁!」


 露華の注文に、振り返ったおかみさんは薄暗い店の奥の方へ向かって叫ぶ。


「アイヨー! プラタノ湯麺一丁!」


 すると、奥の厨房からはそんな注文を繰り返す男性の声が返ってきた。


 直後、ゴウゴウ…と窯の火を燃やす音やガチャガチャ…と鍋やオタマを操る騒音が聞こえ始め、おかみさんに促されてテーブルについた露華の前に、時を置かずして見るからに美味しそうな一杯が供される。


 琥珀色のスープに浮かぶ黄味がかった細い麺……その上に飾られたチチャロン(※豚皮を揚げたもの)やニンニク、紫タマネギの酢漬け……そこから立ち上る白い湯気には辰国の香辛料が濃厚に香る。


「いただきますネ……コクン……!?」


 早速、まずはレンゲでスープを掬って口に運ぶと、露華の口の中に南洋の魚介の風味が大海の様に広がった。


「こ、コレは……ズズズ…」


 引き続き露華は急いで麺も啜って、スープの味が残る口の中で頬張る……すると、プラタノ(まだ青いバナナ)を練り込んだモチモチの麺に海鮮のコクが絡まり合い、得も言われぬ美味しさが雷の如く彼女の脳天を突き抜けた。


真好吃ジェンハオチーネ! コンナに好吃な湯麺は食べたことないネ!」


 そのまま立ち上がらんばかりの勢いで、露華は強烈な衝撃とともに感嘆の声を響かせる。


不是プゥシィ! 好吃ナばかりじゃないネ! コレは、マサニ辰国料理と新天地の食材の理想的融合ネ!」


 目を見張る露華が思わず口走った通り、エルドラーニャ島ではポピュラーな食材であるプラタノを練り込んだ麺や、近海で獲れるエビや貝などの魚介から作ったスープ、さらにはサント・ミゲルの名物チチャロン、紫タマネギの酢漬けなどを合わせたその湯麺は、サント・ミゲルの食文化を取り込んだ新天地風辰国料理といえよう。


「…ズズズ……箸ガ止まらないネ…ズズズズ…


 あまりの美味しさに、露華はその湯麺を一気に掻き込み、スープの一滴までをも残らず飲み干した。


「フー……至福の一杯だったネ……」


 あっという間に平らげた露華は、恍惚の表情を浮かべて大きく吐息を漏らした後、虚な目でお椀を見つめながら考える……。


 この湯麺は、その味においてもその哲学においても、自分の作るものを遥かに凌駕している……自分でもこの湯麺を再現したい……この辰国料理の真髄を我がものとしたい……と。


「オカミサン、コレを作った方を呼んでくれネ!」


 気づけば、そんな言葉を露華は思わず口にしている。


「アア、ウチの亭主ダヨ。オマエさん! ちょっと来ておくれ! お客サンがお呼びダヨ!」


「ハイハイ。何の御用カノ……?」


 その言葉におかみさんが声を張り上げると、店の奥から湯麺を作った料理人と思しき一人の老人が出てくる。


 芥子色のやはり辰国の服を着た柔和な顔の人物で、白髪頭に白い口髭と顎髭を蓄えている。


「アナタがこの湯麺を作ったネ?」


「ホウ。見ない顔のお嬢さんダノ。アア、作ったのはワシじゃヨ。ワシはこの店の主で皇村源ファンツンユアンという」


 露華が尋ねると、老人は彼女の顔を物珍しそうに眺めつつ、そう言って自己紹介をする。


「ワタシはその妻の吉法ジィファデス」


 また、続けておかみさんもついでとばかりに、亭主のとなりに並んでそう告げた。


「アタシは陳露華いうネ。ご主人の湯麺の味に惚れたネ。どうか弟子にしてほしいネ」


 対して露華は、まっすぐに老人の目を見つめると、手を胸の前で組んで真摯にそう頼み込む。


「弟子? ……アイヤー! 他人ひとに教えるなんてトンデモナイ! ワシは弟子なんてとる気サラサラないのでの」


「別に教えてくれなくてもイイネ! タダ、この湯麺の作り方を近くで学ばせてほしいだけネ! 皿洗いデモなんデモするんで、どうかしばらくこの店ニおいてほしいネ!」


 露華のその願いを老店主── 皇村源は、慌てて首をふるふると振って断ろうとするが、それしきでは彼女も引き下がらない。


 衝撃的なその味との出会いに、最早、彼女の中に迷いなどなかった……。


 無論、海賊〝禁書の秘鍵団〟に属する露華ではあるが、船長のマルクに暇乞いをし、しばらくその海賊を休業にして住み込みで働いてもいいとさえ思っている。


 それほどまでに、皇村源のプラタノ湯麺は彼女の心を捉えて離さなかったのである。


「アイヤー! そう言われてものう……そもそもコノ店自体、めっきり客も減ったし、そろそろたたもうかと思っていたからの……」


 だが、老店主は白い眉を「ハ」の字にして、驚くべき事実を彼女に告げる。


「店をたたむ!? な、ナンデネ!? こんなに好吃な湯麺なのに……」


「イヤア、それが…」


 また違う驚きを覚え、さらに重ねて尋ねる露華に、老店主がその理由を答えようとしたその時だった。

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