La Señora gourmet 〜セニョーラ味っ娘〜

平中なごん

一 隠れた名店(1)

 魔導書グリモリオ――それは、この世の神羅万象に宿る悪魔を召喚し、使役することで様々な事象を想い通りに操るための技術書……。


 聖暦1580年代末。海の向こうに未知の大陸〝新天地〟を発見し、世界屈指の大帝国となったエルドラニアは、プロフェシア教(預言教)の奉じる唯一なる神と教会の最高権威〝預言皇〟の名のもと、魔導書の自由な所持と使用を人々に禁じ、悪魔の力を独占することで権勢を欲しいままにしていた。


 だが、そんな世界の秩序に反旗を翻し、帝国の船より魔導書を奪っては、写本を作って密かに流通させる海賊がいた……彼らの名は〝禁じられた書物を開ける秘密の鍵――禁書の秘鍵団〟という。


「──思いがけず、五香粉ウーシャンフェンばかりカ、豆板醤と甜麺醤まで手に入ったネ。さすが、サント・ミゲルの市は品揃えがいいネ」


 そんな秘鍵団の一人、東方の大国〝シン〟出身のロリカンフー少女・陳露華チェンルゥファは、エルドラニアが新天地に初めて建設したエルドラーニャ島の植民都市サント・ミゲルの市場を訪れていた。


 だが、東方人的なツインお団子ヘアーはいつものままながら、今日は普段着ている桃色のカンフー服ではなく、より日常的な辰国の衣服に着替えている。


 まだ幼いロリフェイスとは裏腹に、こう見えてそれなりに名の通った海賊であるため、一応、当局に見つからないようにとの変装である。


 小柄な身で行き交う人々の狭間を掻い潜り、わいわいと賑わう市場の雑沓を進む彼女の腕には、今しがた購入したばかりの辰国料理用の調味料やら香辛料やらが、大きな紙袋に入って抱きかかえられている。


 露華はこれを買うために、彼女達海賊が根城としている北の小島トリニティーガーから、わざわざ海を渡ってエルドラーニャ島の反対側にあるセント・ミゲルまでやったきたのである。


 それは、昨日の昼食後のこと……。


「── 辰国の香辛料が切れたネ。明日、サント・ミゲルの市場マデ行って来たいけどいいカ?」 


 現在、特に狙っているような獲物もなく、岬に建つ廃墟のアジトに仲間達と滞在していた露華は、彼女同様に年若く童顔だが、秘鍵団を束ねる船長カピタンのマルク・デ・スファラニアに、一応、エルドラーニャ島渡航の許可を求めていた。


 料理も得意ないため、一味の料理番も務めている露華であるが、よく使う祖国の香辛料を切らしてしまったのだ。 


「え? わざわざサント・ミゲルまで? ト。リニティーガーじゃ手に入らないのかい?」


 すると、マルクは碧の眼を大きく開き、少々驚いた顔で疑問を呈する。


 トリニティーガー島は海賊達が要塞化して占拠している閉ざされた小島であるが、その海賊達がもたらす収奪物や潤沢な富により、意外や経済が発展していて物も集まってくるのである。


「トリニティーガーの市にも物ハいっぱいアルが、ほとんどガ周辺の海行く船から奪った物だからナ。辰国ノ物ハなかなか入って来ないネ。その点、セント・ミゲルは東航路のマイニラード経由で、ソコから近い辰国の産物もアレコレ運ばれてきたりするんだヨ」


 しかし、露華は独特なイントネーションの言葉使いで、マルクの疑問に反論する。


「ソレに、辰国人も同じ様にマイニラードから渡って来てるし、断然、ココより辰国の物ハ手に入り易いネ」


「なるほどね……わかったよ。でも、〝レヴィアタン号〟は目立つから出せばないな。そうだ、代わりにメジュッカ一家の船に乗せてってもらえるよう頼んでみよう」


謝謝シェシェ、助かるネ!」


 露華の説明にマルクも納得し、こうして彼女はサント・ミゲルへやって来ることとなったのだった。


 ちなみに一味の特徴的な海賊船は、エルドラニアの駐留艦隊や海賊討伐の専門部隊に知れ渡っているために使えず、メジュッカ一家という、海賊であることを偽って、カタギの海運業にも手を出してる一党の輸送船に乗せて来てもらった。


 そこの女頭領や古参の幹部と、マルクは古くからの知り合いなのだ。


「サテ、用は済んダシ、帰りの船マデまだ時間アルし、散歩デモするネ」


 お目当ての物を手に入れた露華は、せっかくサント・ミゲルに来たこともあり、ついでにちょっと街を散策してみることとする……。


「──新天地への入口の港町、さすがに賑わってるネ……なんだかパリーシスを思い出すネ……」


 エウロパ風の建物が左右に立ち並び、上流階級も平民も、エルドラニア人もそれ以外の外国人も、たくさんの人々が行き交う中心部の大通りを、露華はかつて住んでいたフランクル王国の都パリーシスを思い浮かべながら進む。


「……ン? この好香ハオシャンな匂いハ……」


 と、その時。彼女の小さな鼻を芳しいスパイスの香りが掠めた。これはよく知る辰国料理のものだ。


「…クンクン……こっちからするネ……」


 なんとも美味しそうな匂いだったので、露華は鼻をヒクヒクさせながら、その匂いのもとを探る……どうやらそれは、大通りと直角に交わる、細い脇道の奥から香ってきているようである。


 気づけば無意識に、露華はその空中を漂う、見えない匂いの道を追っていた。


 彼女は脇道を進み、その路地をさらに横へ折れる……。


「…! ココは……」


 突然、露華の目の前に場違いな光景が現れた。

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