第7話 6.紫式部、消失する

「冗談はやめて下さいよ〜。主人公が多くの女性と関係を持って、やがて真実の愛に気付くって言うストーリーのやつですよ」

「あぁ、あれか。そなたの解釈が良かったのじゃろう」


 師匠は、作品に対する評価をあまりに気にしていない様だ。それどころか何処か上の空で、今すぐにでも眠りにつきたいというオーラを醸し出している。


「どうしたんです? 寝不足ですか? 師匠」

「馬鹿を申すな。私はこの世の者ではないのじゃぞ。寝不足などになるか」

「ですが、とてもお疲れの様に見えますよ」

「うむ。……近頃、この実体を保つのに少々苦労しておるのじゃ」

「何か理由が?」

「……」


 黙ったまま俯き、扇子で顔を隠してしまった師匠に僕は声をかける。


「これまで頑張りすぎたのかもしれませんね。しばらくは僕ががんばりますから、師匠はゆっくり休んでください」


 俯いて言葉を聞いていた師匠は、顔をあげると、力強く真剣な眼差しをこちらへ向けた。しかし、僕を呼ぶ声は、それとは逆に、今にも消え入りそうな程に弱く小さい。


「……宣孝よ」

「はい?」

「そなたならば大丈夫じゃ。自信を持て」


 その時、師匠の声を消す様に、ポケットに入れていたスマホが騒がしく着信を知らせた。相手は、担当編集者だった。何事だろうと電話に出る。


「はい?」

「宣孝さん! やりましたよ。大賞です! 売りたい!賞、取りましたよ!」

「!!」


 そんな興奮した声に紛れて、ピシっと何かが軋む音が聞こえた気がした。しかし、意識がそちらへ向くより先に、担当の声が僕の耳を占領する。目の前の師匠は、憑代へ戻るためか、白檀の香りとともに実体化が薄くなり始めていた。


「先程、運営から連絡を頂きました。これで名実ともにベストセラー作家ですね。これから、ますます忙しくなりますよ!」

「えっ……ちょっと……」


 自分の言いたいことだけを言うと、担当は電話を切ってしまった。


「師匠〜、ゆっくりできないかも……っ!!」


 僕は泣き言を口にしつつ、紫水晶ドームを覗き込んで息を飲んだ。ドーム中央に大きな亀裂が入っていたのだ。そればかりか、夜空の星の様に瞬いていた、いくつもの小さなきらめきも全て消え失せて、まるで漆黒の闇を湛えているかの様だった。


「師匠!! 出てきてください、師匠!!」


 僕がいくらドームを撫でようとも、室内に変化はない。残された白檀の薄い香りだけが鼻を擽る。途端に師匠の言葉が脳裏を過る。


“大丈夫じゃ、自信を持て”


 師匠は、こうなる事が分かっていたのだ。最後に僕を見たあの強い眼差しを思い出すと、そう思えてならなかった。


 その眼差しに背中を押されるように僕は、亀裂の入った紫水晶を、それまでの定位置からパソコンの横へと移動させた。


 僕は、パソコン前の椅子に座ると目を閉じて、部屋に残る白檀の香りを大きく吸い込む。ゆっくりと深呼吸して気持ちを落ち着けると、パソコンに向き直った。


「さぁ、今日も始めますよ。師匠!」


 僕は、一人静かにパソコンのキーボードを叩き始めた。






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『うちに紫式部がいます』、完結しました☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


次ページからは、『スーパーマンの一日』をお届けします。

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