第29話 クロス・ランニング

 うちの高校には県立の体育場を借りてのマラソン大会というものがある。

 体育場のなかを何周かするのだが、その距離およそ10km。

 なかなかハードである。

 今日はその当日で、いままさにスタートのピストルが鳴らされようとしていた。


「負けねえぞ!」


 友人が言った。

 こいつとは同じ陸上部。レギュラーを賭けて争っている仲だ。

 といってもコーチも監督もいない弱小部なんだけど。


「言ったよな! このマラソンで次の公式のレギュラーを決めるってよ!」


 レギュラーを決めるのは俺たちではなく主将だが、友人は聞く耳を持たない。

 頭のなかが『熱血』の文字で埋め尽くされているのではないだろうか。

 まあこちらとしても負けるつもりはないのだが。


「スタートもらった!」


 ピストルが鳴らされると同時に、友人は勢いよく駆けだした。

 俺はあわてずゆっくりと走りだして。


「……あの馬鹿。長距離走で短距離のスタート決めてどうすんだ」


 と、あきれつつ進んだ。


「だるいなあ……」


 この体育場は、建設されてから古いものの、設備が整っていることもあり、長年に渡って県民より愛用されている。俺も小さいころから、野球やサッカー観戦だったりプールで遊んだりしているので、馴染み深い。と言えば聞こえはいいが、ぶっちゃけ見飽きている。

 景色として楽しめる紅葉くらいしか見所がない。早いペースで走っているものの、ベストを尽くしているかと問われれば、否だ。テンションがあがらない。

 そんなこんなで8kmほど走った。

 友人はすでに追い抜き、適当に流すだけだな、と思っていたところ。


「ん? 周回遅れか?」


 トップ集団にいた俺たちよりも前にいるということは、最後尾だろう。

 周回遅れがちらほら出ている。

 よく走っているほうだが、さすがに本職とは比べられない。

 すっすっす……右に左に身体をずらしながら、一般生徒を追い抜いていく。

 楽ちんだ。

 こんな簡単に勝ってしまっていいものか、と疑問に思えるほど順調。

 とそんな時だった。


「ぜえはあっ、ぜえはあっ!!」

「……」


 あきらかにヤバそうな呼吸音が聞こえた。

 いまさっき追い抜いた人からだった。

 余裕があったこともあり、俺は振り返って確認する。

 小柄な女の子。ジャージの上からでも腕や足の細さがうかがえるので、筋肉なんてものには縁がなく、運動は苦手なのではなかろうか。それでいて、上着を押し上げる胸の大きさたるや……。

 基本的に運動をする選手の場合、女子は胸が邪魔になることが多い。陸上も例外ではないのだ。胸が揺れる遠心力で身体をもってかれるからね。スポーツブラジャーで固定しようにも限度はあるだろう。


「大丈夫か?」


 俺が女の子に聞いた。


「だいじょうぶ、です!」


 女の子は気丈そうに答えるも、足取りは怪しく、上半身もぶれぶれである。

 残念だが完走は難しいだろう。

 周回遅れということは現時点だとおよそ6kmだ。まだ半分近く残っていることになる。


「無理すんな。充分がんばっただろう。リタイアしていいんだぜ?」

「……」


 ちらりと俺のほうを見るも、あっさりスルーされた。

 まだ走るということか。

 頑固な子だ。


「しかたねえなあ。きみだけじゃ心配だから一緒に走ってやるよ」

「い、いいん、です。あ、あなたは、先に、行ってくださ、い」


 走りながらしゃべるのは、とんでもなく体力を消費するのだが。それでも女の子は言葉を返してくれた。

 いったい何が彼女を突き動かすのか、俺にはわからない。


「わかった。じゃあ先に行く。が、無理だと思ったらリタイアしろよ?」

「……いやです」


 俺は、ぽんぽん、と女の子の肩を軽く叩いて、ゴールを目指した。

 彼女とおしゃべりをしていたせいか、鬼の形相で迫ってくる友人にぎょっとして、急いでペースをあげたりもしたが。

 どいつもこいつも頑固ぞろいだ、と苦笑しそうになりながら俺は走りきり、ゴールテープを一番に切った。つまりは1位ということだ。喜ぶところだろうが、俺の関心はべつのところにある。


「お、きたきた」


 途中で追い抜いた周回遅れの女の子である。


「あと1周だぞー、がんばれー」

「……」


 回答はなし。

 嫌われたかね。


 とりあえず俺は本部に報告。

 限界なのに意地っ張りでリタイアしそうにない女の子がいる、と知らせる。

 万が一にでも要救護者をだすわけにもいかないので、マンツーマンでチェックすることに。

 で、誰が行くん?

 俺が疑問に思っていると、体育の教師が近づいてきた。


「おまえ、走りきったのにずいぶんと余裕があるな」

「ま、まあ陸上部なので」

「よし、その子に追いついて隣を走ってやれ。もう一周くらいいけるだろ」

「めんどくさ……いえ、なんでもありません」


 俺は、ゴールしきったのに、さらに走らされることになった。

 なにせ、チェックしなければいけない女の子の顔を知っているのは俺だけなのだ。

 まさか学校行事にそこまで本気になる生徒がいるとは、運営側も想定できなかったのだろう。

 俺は、追い抜く生徒の顔をちらちら見ながら、女の子を探してさらに一周する。

 そして見つけた。


「……」

「あ、発見」

「……」

「よお、がんばってんな」

「……な、なにか?」


 俺は走りながら頬をぽりぽりと引っ掻き。


「いや、きみが倒れたら大変だから、様子を見てくるようにって本部に言われてさ」

「……」

「それで一緒に走り……ああ、嫌なら隣じゃなくて後ろから見てるよ」

「……」


 やはりしゃべるのはつらいか。

 俺は彼女が走りきるまで、後ろから見ていた。

 相変わらずフォームはめちゃくちゃだし、足取りも怪しい。それでも背後から立ち上る殺気のようなものはなんだ? いったい何が彼女をそこまで突き動かす? それがさっぱりわからない。


「……」

「ほら、ゴールだ。よく走ったな」

「……ありがとうございます」


 しかし彼女は、リタイアせず、俺の手も借りずゴールしてみせた。順位はまったく駄目だめだったが。

 彼女はやり遂げたからか、陸上トラックの上に仰向けで寝そべり、空を見ている。俺はその隣に座り込み、彼女の表情に見入ってしまっていた。どこか悔しそうなのだが、理由は不明。その瞳に何が映っているのかも、俺にはわからない。

 彼女の様子を見て、俺は聞かずにはいられなかった。

 いったいなぜ、ここまでただの学校行事にこだわったのか、と。

 だから聞いた。

 すると、小さな口が開き。


「あなたの隣を走れる女の子になりたかったんです」


 と答えた。


「は? え? ん?」


 俺は何のことだかわからず、首をかしげた。


「わたし、あなたのことがずっと好きでした。風を巻いて走る姿が格好よくて」

「俺が……、好き? ははは、何の冗談だ? こんな冴えない男を、す、すす、好きなんて」

「自分がわかっていないんですね。あなたって女子のあいだで人気あるんですよ」


 マジで!?

 俺は信じられず自分に人差し指を向けて立ち尽くした。


「でも、陸上部に入るほどの実力も度胸もなくて……学校行事の今回に賭けていたんです。ひょっとしたらあなたの隣を走れるチャンスかもしれない、と。情けない結果になってしまいましたけど……」

「いや、ふつうに一緒に走ったじゃん」

「あれは一緒に走ったとは言えません。お情けです。納得できません」


 俺は、ぷっ、と吹き出し。


「いや、きみ陸上部に入りなよ。競技者向きの性格してるって」

「え、わたしがですか?」

「そ。負けず嫌いで自分に厳しいところとかさ。まだ高一の秋だし、間に合うって」

「褒めてくれてます?」

「おう、絶賛してるぜ」

「……なら、考えてみます」


 そう言って彼女は、立ち上がると去っていった。

 気のせいかもしれないが、頬と耳が真っ赤になっていた。

 彼女の熱気に当てられて俺もやる気を取り戻したのは、黙っておこう。彼女の走る道には、きっと邪魔なだけだろうから……。

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