第11話 度胸

 振りかざされた包丁に、俺は足がすくんで動けない状態にある。


 1.5mほど離れた場所にいる相手は知らない男だった。

 恨みを買うような行動をしてきた覚えもない。


「悪いが小僧……オレは死刑になりたいんだ……」


 男がなにを言っているのかさっぱりわからない。

 ただ、俺は助けを求めようにも声すら出せないという事実に困惑しているだけだ。

 塾からの近道だからって、こんなひと気の少ないところを選ぶんじゃなかった。


「死ぃぃいいねええええ!!」


 街灯の光を反射する凶器が迫ってくる。

 スローモーションだ。それでも俺は動けない。

 ああ、俺は死ぬのか。殺されるのか。

 覚悟した……その時。


「はああああ!」


 男のものではない、声。

 凛として、聴いただけで格好いいと思えるものだった。


 動転していた気が元に戻ってくると、何が起こったのかわかってきた。

 女の子だ。俺と同じ高校生くらいと思われる女の子が、男に蹴りを入れた模様。

 蹴り、というのは女の子の体勢から察した。


 男は突然の襲撃によって、倒れてしまったようだ。


「だ、誰だ……ちくしょうが……」


 頭に手を当てながら、立ち上がった。

 凶器の包丁は手から滑り落ちたのか、見当たらない。


「て、てめえか、女あああ! ぶっ殺してやる! てめえも殺してやる!」

「くっ」


 まさか立ってくるとは思っていなかったのか。

 一撃で仕留めるはずの蹴りだったのだろう。


 女の子は視線は男に向けたまま、後ろにいる俺のほうに片腕を伸ばしてきた。

 そして手のひらを見せて、制止させるような意図を発する。


 俺はその仕草から、短距離走のスタートを連想した。

 ピストルが鳴らされるまで、まだ待てまだ待てまだ待て……。


 再び男を視界にとらえる。


 ナイフだ。

 いつの間にか小型のナイフを握りしめている。

 街灯の光を吸って、怪しい雰囲気をまとっているように感じる。


 男が吼える。


「しゃああああああ!」

「……」


 俺と女の子との会話は依然としてない……。

 男に勘づかれてしまったら、すべてが台無しになってしまうからだ。

 しかし、簡単なジェスチャーだけで意思疎通ができているかも不安ではある。

 ここは賭けるしかない。


「GO!」

「っ!」


 女の子が大声を張り上げ、同時に俺は逃げ出した。

 彼女を見捨てるように……。


 走りながら振り返る。

 女の子も走ってきていた。


 ほっとしたのはつかの間。

 当然だが男も追ってきている。

 明らかに狂気をみなぎらせた様子で。

 ナイフを振り回し、走る姿勢はめちゃくちゃ。

 それでも『俺たちに追いつけそう』なのがまずい。


「あなたはそのまま逃げて! 立ち止まっちゃだめ!」

「き、きみは!?」


 走りながらの会話。

 しかも恐怖と対峙しながらの極限状態というのは、思っていたよりも難しかった。

 俺は、彼女に聞き返す。


「追いつかれるぞ!」

「いいの! 案があるから!」


 案だと!?

 いったい何をしようって言うんだ、この子は……。


 もう少しで男に追いつかれる。

 俺がそう察してしまった次の瞬間に、女の子は行動を起こしていた。


「どりゃあああああ!!」


 空中に身を投げ出し、くるりと一回転しながら、かかとで蹴りを放った。

 俺の記憶違いでなければ、確か……胴回し回転蹴りとかいう大技。


 蹴りは、男の顎に命中したように見えた。

 威力の高い大技に加えて、男は自らの突進力さえも利用されたのだ。

 これで立ってきたら化け物。


「……どうやらもう平気みたいね。あいつが起きる前に安全な場所に移動よ」


 すっ転んでいた女の子は立ち上がると、そう言った。

 俺は先を行く女の子の背を追って、走った。


 人が多くなってきた、大通りに俺たちは出た。

 俺は息を切らしながら女の子に尋ねる。


「やりすぎだったのでは?」

「あのままじゃ2人とも殺されてたかもしれないじゃないの」

「まあ、確かに」

「力が必要な時に必要な力を使わないのは罪と同じ、って言われたことあるから」


 そりゃまた尖った思想だな、と俺は苦笑した。


「あ! なに笑ってるの!」

「いや、きみ面白いなと思ってさ」

「怖くはないの?」

「なんで?」

「よく暴力女って馬鹿にされるから……」

「命の恩人にそんなこと思わねえよ」


 これは完全に俺の主観だが、女の子はほとばしっていた殺気を収めた様子。

 すると、年相応の可愛さが見えてきて……。


「お礼になんか奢るよ」

「え、こんな時間に?」


 時刻を確認すると、午後11時を回っていた。

 確かに、べつの件でおまわりさんから何か聞かれそうだった。


「じゃあまた今度、なんかお礼させてくれ」

「そんな気を遣わなくてもいいわよ」

「俺の気が収まらないんだ。頼む!」

「それなら……まあ……」


 こうして俺は、命の恩人である女の子と連絡先を交換した。

 殺されそうな目には遭ったけど、余りある幸運に恵まれたことを感謝したい。

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