Day04 滴る

 窓の外で、ゴウゴウと風が鳴っている。この病院の狭い庭で、干されていたシーツやタオル類を急いで片付けたり、庭を散歩……という名の徘徊をしていた患者達を部屋に連れ戻そうと走り回る、黒衣の修道士達の慌ただしい姿が見えた。

 嵐が来る前兆だった。

「……おや?」

 数度のノックの音と共に、ツィルミ博士が顔を出した。振り返ると、今日の彼は髪を後ろに一つにまとめている。後ろ手で扉を閉めながら、彼は無表情に首を傾げる。

「起きていたんだ」

「だってまだお昼ですよ?」

 少しムッとしながら答えた。何ですか、私が寝ていた方が好都合だったんですか? 子供だと思っているかもしれませんが、我々は異性同士ですよ。少し失礼じゃないですか? 何が目的かは知りませんが……。と滔々と文句を言っていたが、彼はスタスタとベッドサイドの椅子に腰掛けて、ただ私の言葉が終わるのをじっと待つだけだった。そして、何も言わず何を考えているのかもわからない顔で、ただ静かに顔を見られていると、溢れる文句も萎むというものだ。そもそも、本来は別に大した怒りでもない。

 私も、会話に飢えていたのだろう。……だって、ここでは一人ぼっちだったから。

「転生性記憶障害は」

 ツィルミ博士は、部屋が十分静かになったことを確認してから、口を開いた。窓辺から時折、コツコツと、飛んできた木の葉や小さな枝が当たる音がする。

「脳に急激な負荷がかかり、初期は特に眠気の症状が起きやすい」

「負荷?」

「うん。本来の君――スズナという人間だった君の中に、今の君――スズシロという人間の意識が落とし込まれたことで、今の君の脳の中には、二人分の人間の意識や経験が蓄積している筈だ」

 脳、というものの機能はわかるかな。それとも君は、精神や知性は、ハートに宿っていると考えているかな。彼が、自身の頭をトントンと軽く叩きながらそう呟くのを聞きながら、私は眉をひそめた。

「ハート……心臓のことですか? 馬鹿馬鹿しい。心臓はただの臓器ですよ、知能が宿る筈がないじゃないですか。脳は人間の知的活動を含めた、あらゆる身体機能を司る司令塔です」

「そうだね。……けれど、この国の人々であれば、必ずしもそうは答えない」

「なん……」

「この世界の生化学は、君くらいの歳の子供に充分に浸透する程には、発達していない」

 ――神が人を見出し、神が人を選んだ時、神は人に炎を授けた。その炎が胸に宿り、人間は神の力(魔法)を手に入れた。以降代々炎は魂と共に受け継がれる。胸が高鳴り血を送り、体温を上げるのは、神が与えたその力故なのだ――それが、この世界で一般的な神話なのだけれど。

「君はすぐに、心臓はただの臓器だと切り捨てた。なるほど……君はずいぶん、高度に発達した世界から来たこのようだね。スズシロ」

 部屋の中が一気に暗くなった。ザァッ、と立ち籠めた暗雲から、雨が音を立てて降り始めた。

「もう少し君とゆっくり、話をしたいな」

 ふむ、と彼は立ち上がって、天井を見上げた。一人部屋の狭い病室の壁に、博士の影が黒いシミのように浮かび上がった。その見上げた天井から、ポタ、ポタと、漏れた雨水が滴ってくる。

「場所を移ろう。ここは少し、設備不良のようだし……退屈だっただろう、君も」

 その時私はようやく、博士がうっすらとした笑みの皺を、頬に浮かべていることに気付いた。

 トン、トンと何かが鳴っていると思った音は、自分の胸の音だった。

 これは不安の音だろうか。それとも、好奇心の音だろうか? その正体も掴めないまま、私は彼の手を取った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る