Day08 さらさら

 プールで好きなことは、ひたすらに音が遠いことだ。

 さらさらと流れる水の音。ちゃぽちゃぽと縁を撫でる波の音。うっすらと目を開けると、遠くでボール遊びをしている家族連れの、生き生きとした楽しそうな歓声さえ、どこか膜を張った向こう側の声のようにぼんやりと聞こえる。

「……ハコ君は」

 と、少し上の方から声がかかった。私はぱっちりと目を開けて、上半身を持ち上げる。

 ナズナちゃんが、そこに立っていた。両手に汗をかいた紙コップを持って、すらりとした競泳水着の上に薄手のオーバーウェアを羽織った姿で。

「まだ泳ぐって」

「そう」

 彼女は、自分でそう尋ねたのに全く興味がないかのように呟いて、隣に座った。

 プールはとても清潔だ。

 天蓋からは溢れるような光。日差しを浴びて輝く水面。私達が並んで座る、大きなパラソルの下のすのこ状の休憩スペース。スイッチを押せば午睡が出来るようリクライニングするし、周囲を周回しているロボットに声をかければ、枕でもブランケットでも借りられる。ナズナちゃんが持ってきたジュースだってそうだ。

 ここでは、私達が望んで、手に入らないものは何もない。ごろんと、その場で横になる。

「……平和だねぇ」

 ぽつり、と私は呟いていた。ナズナちゃんは、体育座りをしながら黙っていた。

「ずっとこうしていられたらいいのにね」

 ぽつり、と不自然なくらいの穏やかさで、そう呟いてしまった。ナズナちゃんが、ぴったりと合わせた両脚の上から、怪訝そうな目で私を見下ろしているのが、気配でわかった。

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