第3話【最終話】 桃花に誓う

 この島で暮らすようになって十年が過ぎた。


 空を見上げる。炎のような夕焼けの中、雲がゆっくりと流れている。

 庭に咲く桃の花に視線を移す。

 希滋と夫婦になった日、この桃に向かって誓いを立てたのを思い出す。


 ――俺は、この桃の花のような希滋を、命を掛けて守り抜く。


 すると家の中から元気な声が飛び出してきた。


「ああっ、父さまだっ。おかえりなさいませえっ」


 長男のけんが転がるように駆けてきて俺に飛びつく。その衝撃に思わずよろけそうになりながらも、子供の力強い成長に嬉しくなった。

 家に入ると、生まれて半年の長女、えんをおぶった希滋きじが出迎えてくれた。


「おかえりなさいませ、あなた」


 希滋が微笑みを向けてくれる。

 その微笑みを、じっと見つめる。


「あの、どうかされたの」

「いや。この先どうなるのかと思って」


 縁の頭を撫でた後、希滋を再び見つめる。


「だって希滋は年を重ねるごとに美しくなるし、俺の希滋への想いは年を経るごとに大きくなるし。だからこのまま二人で歳を取っていったら、希滋の美しさと俺の想いはどうなってしまうんだろうと思って」


 うまく話せなかったので、意味が伝わったか不安に思っていると、彼女は顔をさあっと紅色に染めて俺の腕を強く叩いた。


「もうっ」


 声が明るいのでよかったが、ちょっとびっくりするくらいの力で叩かれ、腕が痛い。

 この力強い手で俺達の子供を育て、家を守ってくれているのだ。そう思うと、腕の痛みすら愛おしい。




 現在の俺は、父――義父ではあるが、桃太郎の俺にとっては唯一の「父」だ――と同じ役人になった。とはいえそれは名目上で、実際はただの下働きだ。柴刈りをする奴らの相手などはしていない。

 当然、稼ぎは少ない。それでも希滋がやりくりしてくれているおかげで、たまに団子を楽しむくらいの暮らしはできている。


 帰ってすぐ、仏壇に手を合わせる。

 父は二年前、病で帰らぬ人となった。

 仏壇のそばに、父が使っていた太刀が飾られている。それを見るといつも、父がどこかで見守ってくれているような気がする。


「あなた、今日は黍団子がありますよ。あとでみんなで頂きましょう」

「おっ、希滋の『日本一の黍団子』だね」


 大好物が控えていると知り、心が浮き立つ。さて幾つ食べようかと考えていると、近くの櫓から大きな鐘の音が鳴り響いた。


 鐘の音と同時に何かを叫ぶ声が聞こえる。外に出ると、誰かが大声で触れて回っていた。


「『柴刈り』の奴らがあ、襲ってきたぞおっ」


 その声に被さるように、幾つもの叫びが飛び交っている。


「舟がどんどん来やがるっ」

すげえ数だあっ」

「弓や刀を持っているってよおっ」


 胸の奥が激しく暴れる。額に汗が滲む。何事かと顔を出してきた憲を家に押し込め、海が見える場所まで走った。


 目の前が一瞬、白くなる。

 見慣れない舟が何艘も島に留まり、そこから人間が砂糖に群がる蟻のようにこちらへ向かっていた。

 あとから来た役人の男は、小さく舌打ちをしてから俺を見た。


「とんでもねえ数だ。……桃太郎、お前も行けるか」

「はい」


 頷き合い、家に向かう。


 仏間に入ると、縁を抱いた希滋と憲が並んで正座をしていた。


「あなた」

「うむ」


 俺が頷くと、希滋はぎゅっと唇を噛んで頭を下げた。


「承知いたしました」


 縁を憲に預け、立ち上がる。

 白い鉢巻と父の太刀を俺に差し出す。


 「鬼」と呼ばれる役人の目印である白い鉢巻を強く締める。

 太刀を佩く。ずしりとした重みを感じた時、父があの大きな手で背を叩いてくれたような気がした。


「父さま」


 縁を抱いて正座したままの憲が、目に涙を溜めながら声を張り上げた。


「父さまがお帰りになるまで、母さまと、縁と、この家は、ぼくが守りますっ」


 触れたら崩れ落ちそうな憲に胸が痛くなる。掛ける言葉が溢れすぎて言葉にならず、ただ頷くことしかできない。


 希滋は少しの間どこかへ行ったかと思うと、小さな皿を差し出した。


「おひとつどうぞ。黍団子、お好きでしょう」


 揺れる瞳で笑顔を作っている。


「ありがとう。ひとつ下さい」


 黍団子をそっと口に入れてくれる。

 白い指先が唇に触れる。

 団子を飲み込むと、腹の底から力が湧いてくる。


 すると急に、希滋は糸が切れたようにその場に座り込んだ。憲が驚いて支えようとする。

 俺は屈んで両腕を広げ、三人を強く抱きしめた。

 希滋が縋り付き、胸に顔を埋める。憲は大声で泣き出した。俺は両腕に更に力を込めた。


 家族のぬくもりを体に刻みつけるように抱きしめる。

 このぬくもりを感じられるのは、おそらくこれが最後だろう。




 役人の集団に合流する。白い鉢巻が夕焼けの下で光っている。彼らと幾つか言葉を交わしたのち、坂を下った。

 弓や刀を持った集団が、怒声と共に登ってくる。

 俺は太刀を振り上げ、雄叫びと共に走り出した。




 俺を助けてくれたこの島のために。

 そして、何よりも大切な、大切な、希滋と子供達のために。


 俺は、鬼になる。

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桃花に誓う~鬼に拾われた桃太郎~ 玖珂李奈 @mami_y

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