第18話 なんかでかい

「えっと……へっ」


 アホ丸出しの僕をよそに、唇を離したマイは、どこかうれしそうだ。


 白い歯をのぞかせてはにかむさまには、「下心」の「し」の字もない。


 だから余計に、混乱するというか。


「ま……麦くん、ごめん、ちょっと待ってくれる?」


 いつものようにハグからの頬ずりコンボを決めようとするので、胸を押し返す。


 それが麦は不満だったらしい。む! と唇をとがらせて、また腕を回してこようとするけど。


「ごめん、ほんとごめん……ごめんなさぁあいっ!」


「っ!?」


 力まかせに、麦を突き飛ばした。


 そして逃げ出す。脱兎のごとく、一目散に。


(キス、された……キスしてきた、麦が僕に、なんで!?)


 パニックになって爆走する僕のからだは、どこもかしこも発火したかのよう。


 だっこをせがんできたり、頬ずりをしたり。麦の行動は飼い主に甘える小動物そのもの。


 ならキスこれもそうなの?


 麦にとっては、何気ないスキンシップの範疇はんちゅうなの?


 こればっかりは、麦にきいてみないとわからない。


 そしていま、麦と顔を合わせる平常心の在庫を、あいにくと切らしている僕です。


「なんでなんでなんで、うわあああ!!」


 結果どうにもできず、人目もはばからず絶叫するしかない。


 ちなみに、ろくに前を見ず、がむしゃらに廊下を爆走するとどうなるか。


 答え。ろくなことは起こらない。


「なにかしら、さわがしい足音がするわねって、あら」


「へぶっ!」


 フラグをきっちり回収するかのごとく、廊下のちょうど曲がり角で、向こうからやってきた人影と衝突。


 ぼよんっ、とすさまじい弾力にはね返された僕は派手にふっ飛ばされ、尻もちをつく。


「いったぁ……」


 ジンジンと痛みを訴える腰まわりをさすりながら、涙目で見上げる……と。


「騒々しい坊やね」


「ひぇっ……」


 でかい。


 なんていうか、でかいひとがいた。


 かなり恰幅が……んん、ふくよかで、僕を弾き返したと思われる立派なおなか。


 ふっくらとした丸顔は濃いめの化粧でいろどられていて、貫禄だけでいうなら、クラブのママとかでいそうな出で立ち。


 ただし、頭上からふってきた声は、野太かったけれども。


「なによ、ひとの顔見て情けない声出して。アタシは猛獣かなにかか」


「す、すみませ……ひぇ」


「怯え方が野生の熊に遭遇したときのソレじゃないのよ。まったく、失礼しちゃうわ。立てるの? アナタか弱そうだから手を貸してあげるわ」


「あ、ありがとうございます……」


 ツンツンした物言いで、器用に巨体をかがめて僕に手を差し出してくれる『お姉さん』。やさしいな。しかし声は野太い。


 あまりに強烈な初対面で圧倒され、手を取るのをためらった一瞬。


 ヒュンッ!


 僕の視界に、風のごとく入り込む影があった。


「ウゥ……グルル!」


「……麦!?」


 僕を背にかばい、威嚇のうなり声を上げているのは、麦だ。その様子が、尋常じゃない。


 少年のすがたをしているのに、小麦色の頭からは狐耳が生えていて、きものの裾からのぞくしっぽの毛も、ぶわりと逆立っている。


 派手に転んだ僕、その目前には熊のごとき『お姉さん』。きわめつけに、あいだに割り込んだ麦が激怒しているとなれば。


(まさか麦……僕が襲われてるって、勘違いしてる!?)


 そうとわかれば、いまにも飛びかかりそうな麦の袖をあわてて引く。


「麦! 僕は大丈夫! だから落ち着いて! そのひとは悪いひとじゃないよ!」


「……」


「おねがい、麦……ね?」


 ふり返った鼈甲飴色の瞳と、しばらく見つめ合う。


「……フゥウ」


 沈黙ののち、ふるえる息を吐き出した麦は、むき出していた牙をおさめ、僕のほうへ向き直る。


 それから片ひざをついて、僕の背に手を添えて支えてくれた。


 ……よかった。僕の言葉が、届いたみたい。


「獣の耳と尾……そっちの坊やは、フー族ね。おどろいたわ。獣人がこんな街中にいるなんて」


「じゅうじん……」


「なるほどね。アナタが狐ちゃんのご主人さまなの。よく手懐けてるじゃない」


「えっと……あの」


「あーらごめんなさい。珍しいものを見たから、ついね」


 僕がいまいち状況を理解できないあいだにも、話は進んでゆく。


「気に入ったわ。アタシのことは美玉メイユーと呼んでちょうだい。美しいものに目がない、宝石商よ」


 そこまでいって、『お姉さん』──いや美玉さんは、「ところで、早速だけど」と話を展開する。


「青い瞳がきれいな坊や、アタシとおしゃべりはいかが? アナタが持ってる『ソレ』に、とっても興味があるの」


「『ソレ』……?」


 すぐにはなんのことかわからず、美玉さんに指し示されるまま、みずからの足もとを見下ろす。


 そして、四方に散らばった真珠の存在に、はじめて気づいた。


 ぶつかった拍子に、しまっていた巾着がふところからまろび出て、中身を盛大にぶちまけたようだ。


「あの、この真珠はですね……!」


「いいの、わかってるわ。アタシも商人のはしくれよ、タダとは言わないわ」


 そういうことじゃないんだけどなぁ……


 頭を抱えつつ、美玉さんから逃げられない運命を悟る僕だった。

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