第14話 兄妹

「……天斗そらと……」


 あたたかいものがほほを伝う感覚で、ふっと、意識が浮上する。


 のそのそ上体を起こす。静まり返った寝室をぼんやり見つめるうちに、遅れて脳も起き出してきた。


「……うたた寝してた」


 どうやら、卓に突っ伏して眠りこけていたようだ。食事をとる以外はやることもなかったとはいえ、惰眠を貪りすぎでは。


 椅子の背もたれに体重をあずけ、深く息を吐き出す。天井をあおぎ、濡れたほほを袖でぬぐった。


「なんで、あんな夢見ちゃうかなぁ……」


 天斗と僕は、同い年だ。同い年の兄妹だけど、双子じゃない。それぞれ4月生まれと3月生まれ。


 いわゆる同学年の年子となれば、それを大半の人が恥と考えるのが、悲しいことに、いまの日本という国の風潮だった。


 僕ら兄妹は、そこにいるだけで、奇異の目で見られる対象だったんだ。


 その理由が理解できないおさない僕は、泣き虫と鈍くささに拍車がかかる。


『みこちゃん、あそぼ!』


 めったに親の帰ってこない家がさびしくて泣いてしまう僕を、外に連れ出してくれたのは、天斗。


 僕たちはどこへ行くにも、ずっといっしょだった。



 ──すきだった。


 天斗のことが、すきだった。



 でも年頃になると、いろんなことが変わってしまって。


 僕にかまうときの態度こそふざけているようだけど、天斗はむかしから、年のわりにおとなびていた。


 勉強は人並み以上にできたし、スポーツもひと通りこなせて、人当たりもよかった。小中高と教師からの評価は高く、校内で一番モテていた。


 だけど頑として、彼女を作ろうとはしなかった。いつまでも鈍くさくて手のかかる、出来損ないの妹のせいなんだろう。


「あんたのせいで、雅楽方うたかたくんが取り合ってくれないの!」と、妙な連帯感で結託した女子生徒たちに校舎裏へ呼び出されるのは、日常茶飯事。それが中学時代の記憶の大半といっても過言じゃない。



 天斗が溺愛する妹というだけで、夢見る女子に嫌われる。


 天斗が溺愛する妹というだけで、興味本位で近づいてきた男子に、面白半分で「ヤらせろよ」とせまられたこともある。



 心底落ち込んだし、吐き気も止まらなかった。


 何日も学校を休んだことでとうとうクラスからも孤立。


 そのうちに、朝身支度をしようとするとヒステリックな言いがかりをつけられたり、厭らしい目で舐めるように見られた記憶がフラッシュバックして、スカートがはけなくなってしまっていた。


 僕は、女でいることを辞めた。


 それなら万事解決、なんてわけにもいかず、天斗は最初に怪訝な顔をしただけで、僕との接し方をまったく変えなかった。


 相変わらず、『妹扱い』をされる。腑に落ちなかった。



 あとになって耳にはさんだけど、天斗は中学を卒業してから、スマホにある連絡先の大半を、なんの断りもなく削除したらしい。


「なんでこんな頭悪いやつらとツルんでたのか、ウケる」と鼻で笑っていたけど、目は笑ってなかった。



 高校に入ってからは、天斗の迷惑にならないように、天斗離れできるように、背伸びして恋人をつくったりしたけど……まさか、それが天斗を激怒させるなんて、思うはずもなく。



 ……僕は天斗がすきだった。


 それは家族だから、兄に対するものだと思い込んでいた。



『おまえは俺のものだろ、海琴みこと



 ……兄妹としての一線をこえてしまったとき、当然ショックに打ちひしがれたよ。


 激しく天斗に求められて、嫌悪感をいだくどころか、ひどく安堵しているじぶんがいるんだもん。


 混乱した。これは、いけないことだ。


 僕たちは、兄妹なのに。



 しばらくして、数ヶ月ぶりに海外出張から帰ってきた父に、天斗がものすごい剣幕で詰め寄っているところを見てしまった。もはや殴りかかる勢いだった。


 ほんの一場面を目撃したにすぎない僕には、なぜ口論をしていたのか、わからなかったけど……その翌日から、天斗の様子が一変した。


 いつもみたいに、意地悪を言ってくるのは変わらない。だけど、なんていうか……僕に対して、目に見えて甘くなった、みたいな。


 ふとしたときのスキンシップが増えた。ハグされて、キスされているときは、たいした味なんてするはずないのに、まるで、ふわふわな砂糖菓子でも口にしてるみたいで。


 それを心地よく思う僕もいた。でも。


『──海琴、だいじな話がある。これからのこと、ちゃんと話そう』


 だからこそ、熱っぽいまなざしで真正面から告げられたとき、冷水をあびたような心地になった。



 ……だめ、だめだよ、天斗。それ以上は、だめ。


 僕たちは、兄妹なんだよ。


 おねがいだから、僕をこれ以上、天斗がいないとだめな人間にしないで。


 そうして、向けられた想いを見て見ぬふりだなんて最低なことをしたから、神さまは、僕を天斗から引き離したんだ。


「……天斗っ……!」

 

 考えないようにしていたのに。


 いっしょにこの異世界へ飛ばされてきた天斗が、どうなったのか。


「僕を刺した男も、『人越者じんえつしゃ』がどうのって、叫んでた……」


 たしかに天斗も僕も黒髪だったけど、日本じゃ当たり前だ。それに人智をこえた強大な力なんてもってたら、ふつうの高校生なんてやってない。


 不運なことに、間違って殺された。結局そんな結論に行き当たる。


 いくら天斗がなんでもできるパーフェクト人間だとしても、人が殺される光景を前にして、正気でいられるわけがない。


 そしてためらいなく人を串刺しにできる殺人鬼に、現代で平和ボケした高校生が、太刀打ちできるはずもないのだから、天斗も、おそらく……


「僕が転生したなら、天斗も、どこかにいるかな……」


 しょうもない願望だとしても、そう考えずにはいられなかった。


 天斗も運よく転生したって、僕のことをおぼている保証なんてないのにね。


 そもそも、前世の僕が殺されてから何年たったんだろう。


 わからないこと、叶いもしないことばかり求めてしまう。


「ははっ、ないものねだりだなぁ……」


 このままじゃ、だめだ。


 僕は天斗に囚われすぎている。


 変わらなきゃって、思うのに。


「……忘れたくないよ、天斗ぉ……!」


 きみを忘れてしまったら、僕はこんどこそ、廃人になってしまうだろう。


「うっ……くぅ……っ」


 袖で顔を覆って、嗚咽をこらえる。


 とめどなくあふれる涙は、ほほを伝い、押しつけた絹へ染み込む。


 ──つん。


 不思議だな。じぶんの涙なんて価値のないものだと思っていたのに、たとえ真珠になったとしても、この涙だけは、だれにもわたしたくない……


 ──つん、つんつん。


 ……なんだろう。気のせいかと思ったけど、違ったらしい。


 はじめは控えめだったのが、反応がないと、さらにダメ押しのごとく肩をつつかれる。


(こんなときに、だれだよもう……)


 ジト目を寄こしてやろうかと思ったら、顔をあげて思考停止する。


 いつの間にだろうか。行儀悪く椅子に体育座りをしてすすり泣いていた僕のそばに、少年が立っていた。


 淡い橙色の髪をした、やたら顔のいいその美少年は──


「僕の寝床に侵入してきた全裸少年っ!?」


 思わず指をさして叫ぶ僕の言葉に、むす……と唇をとがらせる美少年。「人聞きが悪い」とでも言わんばかりだ。


 きょうはちゃんときものを着ていた。僕が投げつけた、藍染めの衣を。

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