第15話 飴色にくらむ

「そういえばファンさまが、身の回りのお世話係を用意するとおっしゃっていましたネ」


「きいてませんけど」


「いやぁ、言い忘れておりましたナ! ワタシとしたことが、うっかりうっかり〜!」


「……松君ソンジュンさぁん?」


 この時間帯、僕のへやの前を守ってくれていた(はずの)松君さんに事情聴取をすれば、このとおり。


「同年代の若者同士、思う存分に親睦を深めちゃってくださいマセ! 邪魔者の年寄りはこれにてっ!」


「あっちょっ、松君さんってば!」


 言いたいことだけ言っていなくなったぞ。つくづくフリーダムだな、あの人。艶麗イェンリーさんが氾さんの外出に同行していないからか、余計に。 


 肝心のお世話係とやら、淡い橙色の髪の美少年は、運んできた茶器を卓の上に置いてから、じっとたたずみ、微動だにしない。


 すこし眉間を揉み、腹を決めて口火を切る。


「僕のお世話をしてくれるんだって?」


 こくり。


「結構です。お帰りください」


 むっ。


 眉をひそめた美少年が不服そうに詰め寄ってきたけど、ひとつだけ言わせてほしい。


「きみ、僕の寝床に素っ裸で入り込んでたでしょ? 顔がいいからってゆるされると思わないでよ」


「……?」


「いや『なに言ってんの?』みたいな反応しない! 顔がいい自覚がないのか!? これだからイケメンは!」


 じゃなかった、話が脱線しかけている。危ない危ない。顔がいいと、それだけでいろいろ持ってかれちゃうんだよ。イケメン恐るべし。


「つまり! そっちにその気がなくても、僕は貞操の危機にさらされたと思うわけ! なのに『仲良くしてくださいね』なんて言えると思う!?」


 ……言った。言ってやったぞ。


 自意識過剰だろうが知ったことか。


「……」


「だいたい、あいさつのひとつもないってどうなの? いきなり押しかけてこられても、混乱するだけじゃん」


「…………」


「きみがなんで僕の寝床にいたのかは知らないけど、おかげできみに対する信頼度は皆無だからね。じぶんのこともじぶんでできます」


 だから、お帰りくださいと。


 椅子から立ち上がり、入り口を指さす僕を、突然の衝撃が襲う。


「っ……!」


「うわっ!?」


 気づいたときには、がば、と抱きつかれていた。


「はっ? 急になんなの、離して!」


「……ぃ、あ……!」


「ちょっ、すごい力だなおい……!」


 僕とおなじくらいの痩せ型なのに、とんでもない腕力だ。胸を押し返したくても、びくともしない。


 少年は鼻先を僕の肩口にこすりつけながら、しきりに首を左右にふり、とぎれとぎれの母音をこぼす。


「い、あ……い、あ……!」


 いや、いや! と。


 僕にしがみついた彼の肩は、小刻みにふるえている。……泣いてる?


「もう……怒るに怒れないじゃん」


 これで突き放したり、怒鳴ったりしたら、僕が悪者になった気分だよ。


「どうしたの? 僕が嫌なことでもした?」


 つとめてやさしく声をかければ、ハッとしたように顔をあげる少年。


 僕はその瞳が、深みのある黄金……鼈甲飴の色をしていることに気づき、息をのむ。


「っあ……ぅ……!」


 ぶるぶるぶるっ! と、少年が激しく首をふる。


 はくはくと、なにかを必死に訴えようとするけれども、言葉にはならない。そのときの口の開閉で、気づいた。


「なっ……」


 ……頭から血の気が引く思いだった。


 散々やり取りをして、ようやく状況を理解するなんて。


「そんな……きみ……」


 わなわなと、唇がふるえる。


 少年の肩に添えた手も、強ばっていることだろう。



 ──少年の口の中には、あるはずのものがなかった。そう、舌だ。



(僕は、バカなのか)


 どこか見覚えがある、鼈甲飴の色の瞳。


 淡い橙色の髪だってそうだ。


 お湯で汚れを落としてあげたも、おなじ色の毛をしていたじゃないか。


 どこに行っちゃったんだろう? って、疑問に思ってたじゃないか。


「もしかして、きみ……あの子狐? ……わっ!」


 やっとの思いで声を絞り出したとき、視界が回る。


 盛大に押し倒されたものの、ひっくり返った先が幸いにも寝台ベッドで、ぽふんと衝撃を吸収される。


(まさか……そんな)


 脳内はパ大ニックだ。


「……ん!」


 固まる僕に、少年はすこしだけ顔を離し、むす、と不満を表現する。「まだ信じられないのか」とでも言うように。


 泣きながら怒る器用な少年は、おもむろに右手で僕の手をとる。


 それから指先をかぷ……とみ、やわく甘噛みをした。おどろいて手を引っ込めようとしたけど、ぐっと力をこめて阻止されちゃって。


 かぷ……いや、ガシガシと、ムキになって指先を噛むすがたを見ているうちに、なんだか可笑しくなる。


「こら。きょうはお砂糖の味なんてしないよ」


 可笑しいのに、なんだか無性に、泣きたくなってくる。


「……ごめん」


 声はかすれて、ふるえてしまった。


「いっぱい意地悪言って、ごめんね……全然気づかなかった……」


 ふるふる。


「元気になった?」


 こくり。


「ほかに、つらいところとかない?」


 こくり。


「……よかった」


 こみ上げる思いはあるけど、僕はそんなに口が上手いほうじゃないから、月並みな言葉しかかけられない。ごめんね。


 噛まれていないほうの右手で、そっと淡い橙色の頭をなでてみた。


 すると少年は鼈甲飴色の瞳をにじませて、感極まったようにほほをすり寄せてくる。


「ひゃ……くすぐったいよ!」


 すんすんと、僕の首すじを嗅いだ少年が、はにかむ。


 鼈甲飴色の瞳が涙でキラキラした、太陽よりもまぶしい笑顔だった。


(あのときの『人魚』と『僕』が、同一人物だって、わかってるんだ?)


 とかいうのも、よくよく考えれば、当然のことだった。


 そうだよね。狐は鼻がいいから、ごまかせないよね、なぁんて。

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