第16話 顔がいい(現実逃避)
泣いて、なだめて、笑い合って。
どれくらいたったかな。ようやく落ち着いたころ、僕と狐の少年は、寝台の端にとなり合って座る。
「えっと……僕の言葉は、わかるんだよね?」
こくり。
「文字は書ける? 読める?」
ふるふる。
「名前は?」
ふるふる。
「……ないの?」
こくり。
これには閉口する。舌を抜かれたり、低血糖になるまで酷いあつかいを受けるような、すさまじい環境に置かれていたのだ。
最悪、人間不信になってもおかしくなかっただろうに…………待って。
「……! ……!」
僕の手をにぎった少年が、期待をこめたまなざしで見つめてくるんだけど。これってつまり。
「……名前をつけてって? 僕に?」
こくこくっ。
「だめだよ」
「……!?」
ガーンと、効果音でも聞こえるようだ。
ショックの面持ちで固まったあと、少年はほほをふくらませ、無言の抗議をしてくる。
ずいと至近距離まで詰め寄られると、やっぱり顔がいいなぁとか場違いなことを考えるのは、ある種の現実逃避だ。
「名前をつけていいのは、ちゃんと面倒を見られるひとだけなんだよ」
「……」
「僕じゃ、きみにごはんを食べさせてあげることもできない」
「……」
「それに僕はね、きみに尽くしてほしいから、きみを助けたんじゃないよ」
「……」
弱々しく、痛々しいすがたが、虐げられていたかつての僕とかさなった。
彼を助けることで、じぶんまで救われたような気分になれる、なんて。
「僕の自分勝手な、自己満足。そんなもののために、お返しなんてしなくていい」
いままでつらかった分、めいっぱい笑ってほしい。きっと、僕には叶わないことだから……
「…………」
僕の言葉を押し黙ってきいていた少年は、まぶたを伏せ、じっとなにかを考えているようだった。
ふいに、寝台から立ち上がる少年。痛いくらいの沈黙の中、無言でふみ出した彼は──僕のほうへ向き直ると、ひざをつき、両手をつき、頭すら絨毯にこすりつける。
「なっ! また土下座!? やめて! 顔をあげて!」
あわてて腕を引こうとするけど、少年は深々と伏したまま、頑なに動こうとはしない。
(僕が折れるまで、土下座をやめないつもり!? うそでしょ……)
どうやら少年は、これと決めたら曲げない性格のようだ。
「困ったなぁ……もぉ」
あーとか、うーとか唸りながら悩むこと、しばらく。
「……わかった。きみのお願い通りにする」
「……っ!? ……っ!」
「ほんとうだよ、うそじゃない」
反射的に顔をあげた少年を、「でもね」と片手で制す。
「僕、センスないよ?」
「……?」
「名前をつけるのが壊滅的に下手ってこと! 文句は受け付けませんから!」
澄んだ鼈甲飴色の瞳。
それよりさらに目を引くのは、ふわふわとした淡い橙色の髪。
陽光の当たり具合で黄金にも輝いて見える、小麦色の、まばゆい髪だ。
「……『マイ』って、どうかな?」
きょとん。首をかしげる少年。「なんで?」と純粋な疑問らしい。
僕は少年の手のひらに、指先で『麦』と書いた。
「むぎ──『
そんなこと、字を読めない彼につたわるはずもないのにね。わかってるよ。照れ隠し以外の何物でもないって。
「麦の穂はね、太陽に向かって、まっすぐ、まっすぐ成長するの。だからその、きみがじぶんらしく、まっすぐに生きていけるようになったらいいなって……わぁっ!?」
ごにょごにょ……と濁す語尾が言い終わらないうちに、ふたたびぐりんと視界が一回転する。
もしかしなくても、瞳を輝かせた少年に抱きつかれ、その勢いでまたもや寝台へ押し倒されたんだ。
「うー! うぅうーっ!」
「わかった! わかったから落ち着いて! 苦しいよ!」
なだめても聞いちゃいないみたいで、さいっこうなご満悦顔で、すりすりとほほをこすりつけられる。
見た目は僕と同い年くらいだけど、精神年齢はもっと幼いのかな?
小動物みたいで、かわいいと思ってしまったじゃないか。いや、あながち間違いでもないか。
「ねぇ、だいじなこと言い忘れてたんだけど」
「……?」
「僕はね、
なんでこんなことを言ったのか、じぶんでもよくわからない。
もしかしたら、だれかに知っていてほしいと、心の奥底で願っていたのかな。
「ひみつだよ、麦?」
ぱちり、と鼈甲飴色の瞳がまたたいた次の瞬間、ひときわまぶしい太陽の笑みが、間近に咲きほこった。
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