異世界転性いーあーるさぶすく!〜ぼくら月極用心棒〜

はーこ

第1話 思い出しました

「この世に神など存在しなかった!」


 ──ザン。


 なにかが断ち切られる音。


 なにが? 繊維だ。身につけているブレザージャケットの。ワイシャツの。


「滅んでしまえ、人も獣も『人越者じんえつしゃ』も、なにもかも! っふふ、ふははははっ!」


 背中にべっとりとこびりついた男の声が、耳ざわりでしょうがない。黒板を爪で引っかいたみたいだ。


 静かにしてくれ、黙れよ、そう言葉にしたいのに。


「ぅう……あ……」


 酸素を求める魚のように、ぱくぱくと、口の開閉しかできない。言葉に、ならない。


 冷たくて硬いはがねが、胸から生えている。肋間をかいくぐって、心臓を串刺しにしている。


 青白い月明かり。にぶく反射する刃。真紅の飛沫しぶきが、視界に映るものを極彩色で染め上げる。


「……海琴みこと……」


 名前を、呼ばれた気がする。呼んだのは、目の前で呆然と立ちつくす天斗そらとか。


 成績優秀でスポーツ万能。神から一物も二物もあたえられたイケメンくんは、まぬけ顔すら『える』ってか。


(はは……ウケる……)


 アホ面をさらしている天斗も、死にかけているじぶんも。


 なんでだよ、どうしてこんなことになった? 意味不明すぎてわらいが止まらない。


(……ちく、しょう)


 最期の最期まで、日の目を見ることもできないなんて。


「みこと……うそだろ海琴、海琴ォッ!!」


 薄れゆく意識のなか、重苦しい漆黒にぽっかりと浮かんだ青白い満月が、ぜた。


 これはそう、たいした腹の足しにもならない、ちっぽけな人間の悲劇。




 ──とかいう散々な人生を、真冬の池に突き落とされたせいで


「ねぇあいつ、上がってこないよ……!」


「しっ、知らねぇよそんなの!」



『こんなつもりじゃ』


『悪気はなかった』


 そうだよな。いつの時代も、いじめたやつはそれが『いじめ』だと認識していない。


 そういうやつらには、「じぶんがされて嫌なことをひとにするな」とか叱っても無駄だよ。「じぶんが嫌じゃないからいいんだ」ってとられる可能性があるから。


 他人ひとの気持ちをイメージする想像力に乏しい。だから面白半分にくり返す。


「だいたい、腕がちょっとあたっただけだろ。あのノロマが勝手に落ちただけ、おれたちには関係ねぇもん!」


 あまつさえ、『悪いのは相手だ』と。


(……そんなの、意味もなく突き落とされた僕がむくわれないじゃんか)


 ずるずると岸辺に這い上がった僕の頭上で、ぎゃあぎゃあとわめいていた近所のガキんちょたちが、急に戯言ノイズを引っ込める。


「けほけほっ、こほっ……ふぅう」


 からだが重い。頭がガンガンする。


 命からがら浮上してきたはずなのに、なぜだろう、薄氷うすらいを張る水中よりも息がしづらい。


 はっ、はっと浅い呼吸をかさねながら、新雪を引っかいた指先に、ふと違和感。


「……え?」


 違う。指先だけじゃない。両手両足、それから腰まわりに、明らかな異変。


 まず指と指のあいだに、発達した膜のようなものがある。


「なんだよ、これ……水かき?」


 それじゃあ、手の甲をびっしりと覆った……ちょっと硬くて光沢のある、紺青色のこれは。


「うろ、こ……?」


 ふるえる声でつぶやいて、そろそろと、首だけでふり返る。


 そして絶句。もっとも顕著な違和感──尾てい骨のあたりから生えた、尾びれを目の当たりにして。


「人魚だ、人魚がいるぞ!」


「しかも見て、あの髪の色! 『黒髪さま』よ! はじめて見るわ、神さまの使いよ……!」


 わらわらとあつまった野次馬が、池のほとりに座り込む僕を、あっという間に取りかこむ。


「人魚さま、『黒髪さま』! われらをお救いくださるのですね、おぉありがたや!」


 嬉々として押し寄せる人の波にもまれながら、咽頭をせり上がるものがある。


(なんで僕が、あんたたちを救わなきゃいけないんだよ……くそったれ)


 吐き気がする。手のひらを返して媚を売るあいつらに。


 なにより、こんなときでさえ悪態のひとつもつけない、臆病者の僕自身に。


「そのきものは、ユイか!?」


「あぁ小雨シャオユイ、アタシたちのかわいい子!」


 人波をかき分けやってきた顔ぶれは、もう見飽きたもの。吐き気は最高潮に達する。


「帰りが遅いから心配したぞ!」


「さ、さ、帰っておいしいご飯をこしらえてあげようねぇ!」


 世界とは不条理なもので。


 この日、僕を小間使いのようにこき使っていたケチな育ての夫婦おやは、人びとの暮らしも心も貧しい村で、大富豪へと続く切符を手にしたのだった。

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