第2話 月額契約の価値すらないのか

 

 僕は前世で、大罪人だったのかな?


 いや、そのへんに転がっている小石みたいに平凡で気にもとめられない、小心者だった。


 そういう僕にも、恋人というものがいた時期があった。一週間でフラれたけど。


「興味本位の定期購入サブスクみたいなもんなんだってよ。お試し期間中に解約かぁ。どんまい、みーこちゃん?」


 告白してきたのはそっちでしょ? とか、なんで本人じゃなくおまえが言いにくるの? とか、いろんな感情でない混ぜになってて。


 天斗そらとはいつものように、そんな僕の傷口をつつき回しにやってきた。


 黙ってりゃ、甘いマスクの黒髪美男子。月9のドラマに出ているアイドルとか、そっち系の。顔はいいけど、性格は最悪なんだ、こいつ。


 十数年もいびつな腐れ縁を続けていれば、なんでいちいち僕にかまうの? 時間の使い方間違ってるよって、いっそ感心する。


(月額契約の価値すらなかったのか、僕は)


 根暗の権化みたいなじぶんにうんざりするのは、いつものこと。


 でも、がまんすればいいんだ。僕がなにも言わなければ、なかったことにできるんだから。


「怒ってんの? それとも泣いてる? なぁシカトすんなよ、こっち向いて海琴みこと、みこちゃーん」


 蛇みたいに絡んでくる天斗に無視を決め込みながら、黙々と家路を急ぐ夕暮れ時のこと。


 僕らは突如としてまばゆい光につつまれ、気づいたら、見たことのない場所にいたんだ。



 ──異世界転移。



 あれがはやりのアニメや小説にあるようなプロローグだとするなら、物語の主人公は、きっと天斗だろう。


 わけもわからないまま刺し殺された、僕なわけがない。


 そう、僕はかつて、雅楽方うたかた 海琴みことという高校生として生きて、死んだ。十五年あまりの、短い人生だった。


 いまの名前は、ユイ。輪廻転生だかなんだかをへて、うまれ直したのだ。


 なんの因果か、好き勝手に僕を召喚して殺した、あの異世界で。



  *  *  *



 長雨ながさめの季節は、輪をかけて憂鬱になる。


 それにしたって、これはひどすぎる。


「あんまりだ……!」


 凍てつく池に突き落とされた事件から、二年。


 くしくも前世とおなじ十五歳をかぞえる年の初夏。住み心地だけはよくなった屋敷の、庭院にわへとおりる階段に座り込み、悲しみに暮れる。


 絹を織ることが、今世で唯一の特技だった。生活のために織り子をする必要なんてもうないけど、機織はたおと向かいあって黙々と作業している時間が、やすらぎのひとときだった。……なのに。


 ズタズタに引き裂かれた絹。追い立てられる日々のなか、毎日すこしずつつむぎあわせていた織物を抱きしめて、からだのふるえが止まらない。


「おや穀潰し。そんなとこでなにしてるの」


「あっ……」


 どっと、背中に衝撃。


 べしゃり、と水たまりを叩く音がして、ほろ苦い土の味が口内に、冷たい水分がきものに、じわりとしみ込んでくる。


 ねずみ色の空からふり注ぐ霧雨を全身にあび、急激に体温が下がっていく。細かな水滴とおなじ温度へ近づくにつれ、ぞわ……と表皮がうずく感覚。



 両手は二の腕から指先、両足は腿から爪先まで紺青の鱗に覆われ、指のあいだには水かき。左右の耳もひれへと変化する。


 尾てい骨から生えた尾びれは、鮮やかな紅にはだれ雪が散ったような、紅白のまだら模様。



 うつぶせのせいで、息苦しい。押しつぶされたささやかなふくらみを嫌でも感じることになり、唇を噛む。


 べつに珍しくもない青藍の髪は、いまごろ墨よりも濃い漆黒に染まっていることだろう。


「あーん小雨シャオユイ! アタシのかわいい!」


「……かあさん」


「水あそびもほどほどに、へやにおもどり。きょうもお客さまがいらっしゃるからね」


 打ってかわり、破顔したふくよかな丸顔から発される猫なで声が、鼓膜ひれにまとわりついて不快だ。


「……すぐに、支度します」


 しぼり出したか細い声は、先日声変わりをしたとは思えないほど、高い。


 泥くさい絹の布きれを探りあて、鱗まみれの二本足をもつれさせながら立ち上がる。



 親の顔をした女は、僕が人魚のすがたをしているときだけ、甘ったるいほどにやさしくなる。


 使用人を雇う金も惜しみ、炊事も洗濯も掃除もすべて僕の仕事。滞ればすぐさま罵倒と平手を寄こす、傍若無人な守銭奴しゅせんどとは別人。


(……薄っぺらい家族愛を取ってつけたように説く、道化め)


 だけど一番の愚か者がいるとするなら、じぶんの境遇を嘆くだけでなにもできやしない、無力な人間もどきだろう。


(むなしい……悔しい、くやしい!)


 目頭が熱くなる。潤んだ視界からこぼれ落ちたものが、ぱらぱらと土色の水たまりを叩く。


「あぁ小雨、そんなに泣いて! もったいない、もったいない!」


 よく言うよ。


 人魚が流した涙は、真珠になる。それを知っているこの女は、僕が手織りした絹をわざと引き裂いたんだ。


 黄色い歓声をあげながら真珠へ飛びつく女に背を向け、駆け出す。紅白の尾びれはきれいなだけで、邪魔でしかない。


 ──陸をよたよたと走る人魚なんて、笑える。


「もう嫌だ……こんなところ抜け出してしまいたい! 自由になりたい!」


 あてがわれた私室は、目に痛い豪奢な衣と簪であふれかえっている。


 唯一のプライベートスペースにすら、『僕』という存在の居場所はない。


 優雅で美しき人魚たれと、従順な服従を強要する。


「……死んじゃえばいいのに、みんな」


 ぽつりとつぶやき、はっと我に返る。


 最低だ。そんなだから、僕はこれ以上の何者にもなれやしないんだ。


「だれか、たすけて……ねぇ、ねぇ……!」


 寝台へ倒れ込む。とたんにあふれ返った真珠の海で、窒息してしまいそうだった。


 終わりの見えない孤独な毎日。


 ──幕切れは、あまりに突然だった。

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