第19話 人魚の涙

 廊下を道なりに進むと、蓮の葉が浮かぶ池と、それを見下ろす高殿たかどのが見えてくる。


 高殿には卓がひとつと椅子がふたつあり、それぞれ美玉メイユーさんと僕が腰を落ち着けた。


 小麦色のもふもふ毛玉に変身したマイは、僕の肩に乗り、しっぽを首に巻きつけて、向かい合った美玉さんの挙動を鼈甲飴色の瞳で注視している。


「間違いないわね。蒼真珠あおしんじゅだわ。それなりの銀子ぎんすを積まないと、手に入らないものね」


「……そんなに高く売れるんですか? これ」


 卓上に視線を落とすと、美玉さんが用意した木製の宝石箱がある。


 巾着からさらい出した真珠でいっぱいになったそれをながめながら、複雑な心境になる。


 正直、美玉さんの鑑定結果に半信半疑だ。


 なんたって、僕のからだから採れたものだし。


(なんとなく、取っておいたけど……)


 ほのかに青みをおびているものの、かがやきは曇っていて、お世辞にも高価なものとは言いがたい代物だ。


「おばかさんね。これはそこらの海で採れるものとは訳が違うの。人魚が流した涙。それだけを蒼真珠と呼ぶことができるのよ。どうやら、人魚が見つかったっていう話は、ほんとうみたいね」


「……」


 ファンさんが波止場を閉鎖してまで極秘にしていた人魚の情報を、美玉さんは知っていた。それだけで、それなりの事情通であることは明らかだ。


 多くをきかれないから、おそらく僕の正体にも気づいている。


「人魚自体は、そう珍しくはなかったわ。むかしの話だけどね」


「……いまは、違うんですか?」


「蒼真珠を求めた人間に、乱獲されてしまったのよ。人魚は美しい容姿をもつ者が多いから、愛玩目的に手を出すやからも少なくなかったけれど、アタシたち人間とは生態が違いすぎるわ。陸での生活に順応できずに死んでしまって、徐々に人魚はすがたを消していったの」


 たしかに、僕は僕以外の人魚と出会ったことはない。話にきいたことすらも。


「……人間は、どうしてそこまでして、蒼真珠を欲しがるんですか」


「答えは簡単。不思議な力をもつとされているからよ」


「不思議な、力……?」


「こんな言い伝えがあるわ」



 ──むかしむかし、あるところに、不治の病をわずらった青年がいました。


 青年はじぶんの運命を嘆き、海に身を投げます。


 ですが、そんな青年を、荒れ狂う波から助け出した美しい人魚がいました。


 人魚は蒼い瞳から涙をこぼしながら、青年へと告げました。


『これをお持ちなさい。あなたのお力になるでしょう』──と。


 人魚が流した蒼い涙は真珠となり、その真珠を持ち帰った青年は、おどろくべきことに、病を克服したのです。



「──人魚の涙は、どんな病も怪我も治してしまう。転じて、不死の霊薬として信じられるようになったの。類まれなる治癒の力をもつ蒼真珠は、別名『蒼涙晶そうるいしょう』といって、蒼く、水晶のように透きとおっているのだそうよ」


「蒼く、透きとおって……これとは似ても似つきませんね」


「そりゃあね。『蒼涙晶』は伝説上の宝石だもの。夢のあるお話だけど、要はおとぎ話に裏打ちされた縁起物っていう箔が、蒼真珠にはついてるってこと」


 守銭奴夫婦が銀と引き換えに売りさばいていたけど、ぼったくりじゃなかったんだなぁ、とぼんやり思う。


(どんな病や怪我も治す、人魚の涙……か。僕にもそんな力があったら、麦を助けてあげられたのかな……)


 また勝手に想像して、勝手に落胆しているじぶんに気づき、嫌になる。


「クゥ……」


「……なんでもないよ。ごめんね、麦」


 うつむいた僕を、麦が気遣わしげに見上げてくる。


 笑みを張りつけ、のどもとの毛をわしゃわしゃと撫でると、麦は目を細めてすり寄った。


(余計な心配をさせちゃ、だめだ)


 悲観するだけじゃなく、前に進まないと。


「美玉さんに、お願いがあります」


「なんとなく予想はつくわね」


「蒼真珠を、買い取ってくださいませんか?」


「まず、理由をききましょう」


「僕は……僕たちは、生きていかなきゃいけないんです」


 仕事を見つけるまでのすこしのあいだでも、食いつなぐために。


 僕でもちゃんと麦のお世話ができるんだって、証明するために。


「だから、お金が必要なんです」


 ふと、視線を向けられる気配。


 ねぇ麦、きみの目に、僕はどう映っているかな。


 痛いくらいの沈黙が流れて、僕を見据えていた美玉さんがため息をもらす。


「安直な言い分ね。いいことを教えてあげるわ、坊や。むやみやたらと蒼真珠を売りに出さないほうが身のためよ」


「……どうして、ですか?」


「言ったでしょう、人魚は希少だって。それがどういう意味かわかる? 蒼真珠をあつかうということは、その出処を厳しく追及されるってことよ。真贋なんてさほど問題じゃない闇市ならともかくね」


 ……軽率だった。


 美玉さんの言うとおりだ。先走るあまり、僕はなんの関係もないひとを、危険にさらすような真似を。


 唇を噛みしめたそのとき、がたりと音がして、美玉さんが席を立つ。


「だから、約束してちょうだい。アタシ以外の宝石商に、そんなお誘いはしないって」


「……え?」


 ふわりと、芳香がただよう。線香に似た、それでいてかすかに甘い香り。


 うなだれた僕の目前に、白檀びゃくだんの香を焚きつけた巾着が差し出されていた。そのゆるんだ口からは、パンパンに詰まったつぶ銀がのぞいている。


「アタシ、美しいものには目がないの。それが宝石であれ、ひとの愛情であれ、ね。アナタの健気な想いに免じて、専売契約を結んであげるわ」


「専売、契約……まずは、一週間のお試し期間から、とか……?」


「あら、そんなの真珠を美しく磨いてるうちに終わっちゃうわよ。やるからには末永く、絞りとらせてもらうわ」


「絞りとるって……はは」


 本音を隠す気がサラサラないんだから、いっそ清々しいというか。


「まとまったお金の管理が不安なら、次からは分割して月額で支払いましょうか? それくらいの気遣いができてこそ、いいオンナってもんよ」


 いいオンナというか、悪役のボスの風格なんだけど。


 悪い顔で手を組む美玉さんを見ていると、なんだかおかしくなってきた。


「ウチは信頼できる顧客としか取引しないし、個人情報は厳守するから、安心していいわよ」


 ……月額契約。


 あらためて胸中でくり返してみて、無性に目頭が熱くなる。


「そういうわけだから。浮気しちゃ、やぁよ?」


「美玉さん……ありがとうございます、ありがとうございますっ!」


「あらあら。わかったから、ほどほどにしてちょうだいね。なんだか狐ちゃんの視線が痛いのよ」


 思わず立ち上がってペコペコと頭を上下させれば、美玉さんの苦笑が返ってくる。


「麦、どうしたの? 怒ってるの?」


「……」


 肩に乗った麦へ問いかけるも、美玉さんを見据えたまま反応がないから、どうしたものか悩む。


 言葉は理解できるから、僕が頭を下げてるのは美玉さんにいじわるされたからじゃないって、わかってるはずだけど。


 とほうに暮れる僕は、


「あらヤダ。浮気相手はアタシのほうだったかしら?」


 と冗談めかした美玉さんの言葉に、首をかしげるばかりだった。

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