第22話 ちぐはぐな世界

 腰が重いのに、気分はふわふわ。そんな支離滅裂な感情をかかえて、会食堂へやってきた。


「ようやく、こうしてお食事させていただくことが叶いましたね」


 そういって朗らかに笑うファンさんが、正面にいる。


 ひろい室内で席についたのは、氾さんと僕。あとは給仕のために出入りする数人の女給さんと、マイのすがたがあるだけ。


「僕のためにお時間を割いていただき、申し訳ありません。お忙しいでしょうに……」


「めっそうもない! あなたさまは伝説にも謳われる人魚さまであり、この世でもっとも貴い黒髪さまなのです。むしろ、手厚くおもてなしするしか能のない商人でしかないことが、わたくしは悔やまれるばかりでございます」


 一の自虐をつぶやけば、十の称賛が返される。


 人をよく見る商人だからこそ、あまり人付き合いが得意じゃない僕のことを、氾さんはとっくに見抜いてるんだろうな。


「あの……僕にお手伝いできることはありますか?」


「おや、それはどうしてまた」


「お返しがしたいんです。家事や掃除、洗濯に裁縫もできます。雑用でかまいませんから、お力になれることがあれば……」


「人魚さまは、謙虚なお方なのですね」


「……はい?」


「そう難しくお考えにならずともよろしい」


 これも、僕を配慮しての言葉だったのかもしれない。


 だけど、でも。


「人魚さまは奇跡の象徴。こちらにいらっしゃるだけでよいのです」


 ──なにもすることなんてない、いや、なにもできやしないんだから、あんたはただ、黙って座ってりゃいいのよ。


 ──そうしたら金魚のフンみたいに、かねが勝手についてくるからね。


 ……不謹慎にも、親の顔をしたがめついあの女のことを、思い出してしまうなんて。


「人魚さま、こちらでお過ごしの際に、ご不便などはございませんか? 必要なものがありましたら、ご遠慮せずにおっしゃってください。逆に、不要なものがありましても。処分いたします」


「不要なもの……ですか?」


「えぇ。この李水りすいでの商談も終えまして、そろそろ隣街へ向けて出立しようと考えているのです。長らく続いていた雨も、明日の朝には上がる風向きですから。旅路に余計なものは不要でございましょう?」


「──!」


 明日にはこの港街を出る。


 突然告げられたことは、僕に少なからず衝撃を与えた。


「でしたら……麦に……これからも、彼にお世話をおねがいできますか? いてもらわないと、困ります……」


 たいして思考もまとまってないくせに、気づいたら厚かましいひと言が口からこぼれていた。


 ……こんなの、麦の意思なんてみじんも考えてないじゃないか。


「なるほど……さようでございますか」


 綺麗に髭の剃られた顎に手を当て、しばらく思案していた氾さんが、にっこり。


「そのようにいたしましょう。これ、おまえはたったいまから、人魚さまの側仕えです。その手となり足となり、お望みのことごとくを叶えてさしあげるように」


 首をかたむけた氾さんにならって、ようやく僕もうつむいた視線を上げる。


 ふり返ったとき、僕の椅子のうしろに立つ麦はもう頭を下げていて、どんな表情をしているかまではわからない。


「ふふ、ごらんの通りです。彼は人魚さまのすべてを受け入れ、付き従います。どうぞ、如何様にもなさいませ」


 歌うような氾さんの言葉が、どこか遠くにきこえる。


「さぁ、お食事にいたしましょう」


 ぱんぱんっと手を打ち鳴らす氾さんの合図で、冷めてしまった手つかずの料理が女給さんによって下げられ、あたたかい料理が新たに運ばれてくる。


 僕の配膳、お茶のお世話は、すべて麦がこなしていた。


 とても美味しいお料理に違いなかったはずなのに、なにを食べたのか、どんな味なのか、よくわからない。


(違う……違う、そうじゃない)


 卓へところ狭しと並べられる色とりどりの料理。


 上質な調度品。高級な衣。


 目にするものすべてが、僕には不釣り合いなもの。


 たったひとり、唯一心をゆるせる麦すら、おなじ目線にはいない。


(僕が伝えたかったのは、こんなことじゃない……)


 恵まれているがゆえに、なにももたないちっぽけな僕が浮き彫りになる。


 ちぐはぐな世界で、僕は漠然とした孤独にみまわれていた。

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