第11話 よかったぁ!
明かりのともった窓を目指してやってきたんだろうか。
外壁をよじ登ろうと爪で引っ掻いていたのは、子狐だった。
沸騰させたお湯をひょうたんに入れて栓をし、
毛布でくるんだ子狐をひょうたんのくびれにもたれかからせるようにして暖をとらせること、十数分。
「だめだ、全然おさまらない……!」
子狐のふるえはおさまるどころか、さらに悪化していた。
「フム……これは、なんとまぁ」
「なにかわかりましたか、
「こちらをごらんくださいマセ」
子狐にふれて観察していた松君さんが、その口もとに手を添え、ぱか、と上下にひらいてみせる。
「なっ……!」
そこにあるはずのものが、なかった。
「舌がありません。一部欠損ではなく、きれいサッパリ抜かれています。そんな器用なことができるのは、人間くらいでしょうネ。えぇ、これは人為的なものでしょうトモ」
「いま出血してないとこを見ると、これはずいぶんむかしにやられてるね。ふつうなら出血多量で死ぬが、治療されてる。相当迅速な処置だったんだろう。……おそらく、舌を抜いたやつと治療したやつは同一人物だ」
「どうしてそんな酷いことを……!」
「理由なんてわからないさね。ただひとつたしかなのは、この子狐ちゃんが、日常的に虐待されてる可能性が高いってことさ」
「舌の傷がふるえの直接的な原因ではないでしょう。もっと言いますと、雨がふりはじめてから、そう時間はたっていまセン。低体温によるものでもないでしょうネ」
「寒さのせいでも、ない……」
あらためて目にした子狐は、やせ細っていた。
毛はしみついた泥でくすみ、もともとどんな色をしていたのかもわからない。
「虐待……」
──おい
理不尽な理由で殴られて、蹴られて。
──そんなに言うなら、節約しねぇとなぁ? ハッ、これからしばらくてめぇの飯はなしだ。水も飲むな。いいか、わかったな!?
馬鹿らしくて短絡的な理由で、十日も飲まず食わずで働かされた。
その結果、どうなったか。
──あぁ、そうだ、思い出した。
「っ……わかった、かも」
「雨少年? わかったとは、もしや」
「わかりました、この子のふるえの原因が!」
言うなり、ばっと身をひるがえす。
飛びつくようにしてさらったのは、卓に置いてあった瓶だ。
ふたを外し、中身をひっくり返す。落花生は取りのぞいて、とろりとした液体だけを手のひらへ残した。
「このふるえは、低血糖が原因かもしれません!」
違うかもしれない。それより重篤な病かもしれない。
そんな雑念で頭がぐちゃぐちゃになりそうだったけど、手を止めることはできなかった。
(この子は、僕とおなじだ)
あのとき、僕がだれかに手を差しのべてもらいたかったように、この子もきっと。
「そこで押さえててもらえますか」
「ほいヨ!」
松君さんに子狐の口を開けたまま固定してもらい、砂糖を煮つめた汁を、指先をつたわせ口内へ、ゆっくり流し込んでいく。
水かきのある手のひらは、砂糖の煮汁の受け皿となり、子狐が窒息しないよう流入量を微調整するのに役立った。
(おねがい、これでよくなって……おねがい!)
夢中で続け、瓶の中身が底をつく。
子狐が、ぶるりと身震いをする。
つらそうに伏せられていたまぶたが上がり、つぶらな瞳がのぞいた。
それから、脱力して立ち上がるのもままならなかった前足で、僕のベトベトな指を挟み込み……ガシガシと、やわく甘噛みをはじめた。
からだのふるえは、すこしずつ、おさまっていた。
「おぉ、これはお見事!」
「やった……?」
「やりましたゾ、お手柄ですゾ、雨少年!」
陽気な笑みの松君さんにとんっと肩を叩かれ、まばたきをひとつ。
ガシガシと、子狐はやっぱり、僕の指を甘噛みしていた。「甘イノ寄コセ」と、前足でがっつりホールド仕様である。
「よくやったじゃないか、雨」
ぽん、と頭にのせられる手。
そのうちに、わなわなと込みあげてくる熱で、視界がぼやけてきちゃって。
「……うぅ、ぁあ! よかったぁああああ!!」
こどもみたいにピーピー泣き出してからのことは、よく覚えてない。
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