第3話.政略結婚なんていや!
セシリーの父であるスウェル・ランプスは、セシリーと同じく亜麻色の髪を持つ男性だ。
恰幅が良く、運動神経が悪い。平たく言うと動けないデブである。
ハンサムという言葉とは無縁の男性だが、若い頃は騎士として勇猛果敢に戦場を駆け回り――はしなかったが、司令部でがんばって指示を出したりして、順当に出世したらしい。
スウェルの笑い皺が刻まれた目元も口元もセシリーは好きだけれど、今だけはそれを見ていたくないと思ってしまう。
というのもスウェルが開口一番に放った一言に、大きなショックを受けていたからだ。
「あれ? セシリー、どうしたの? 聞いてる?」
「聞いてないわ」
「聞いてるじゃないの。あのね、セシリーの結婚相手が決まったんだよぉ!」
「さっきより高いテンションで言わないでよ。聞いてないんだから」
「聞いてるよねぇ!」
後ろを向いていやいやいや、と耳をおさえ頭を振りたくるセシリーを、スウェルは困った顔で見つめている。
思えば数日前から、いやな予感はあったのだ。
最近のスウェルが妙に浮かれた様子で、小太りの身体を揺らしてスキップしていたりとか、かと思えば何もないところで転んで足を捻挫したりとか、それなのにニコニコ笑って「僕は幸せ者だねぇ」とか訳の分からないことを口走っているのを見かけるたびに……自分の知らないところで何かろくでもないことが進行しているのではないかと、セシリーの胸には緊張が走っていた。
いやいやするセシリーに構わず、スウェルは身振り手振りしながら話し出してしまう。
「お相手はジーク殿。なんとあの、ジーク・シュタイン殿だよ」
セシリーは呆然とするしかない。
なんとあの、と言われてもその名前に聞き覚えがなかったのだ。
「ジークって、誰?」
そんなセシリーの反応を、相手に興味を持ったものと受け取ったのだろう。
スウェルは少し嬉しげな顔で続ける。
「ジーク・シュタイン殿の実家は、そりゃもう裕福ななりき……商家でね」
成金らしい。
「彼は次男坊なんだけど、なんと二十歳の若さで聖空騎士団長を務めるすごい方なんだよ。とんでもない出世頭だよぉ」
セシリーはようやく全てを理解した。
セシリーの実家であるランプス家は、王都にちっちゃな領地を持つ子爵家である。
財産も領地もろくに持たない家ではあるが、大金を積んで貴族とお近づきになりたい人はいくらでもいるのだ。新進気鋭の商家というなら、尚更だろう。
つまりこれは、
(――――政略結婚!!!)
ああ、なんて悪しき響きなのだろうか!
(政略結婚、政略結婚、政略結婚……)
衝撃のあまりセシリーは立ちくらみを覚えた。
「セシリー! 大丈夫かい!」
スウェルの心配する声も耳に入ってこない。
ちなみにセシリーの好きな言葉は当然ながら「恋愛結婚」だ。政略結婚とは真逆だ。絶対に相容れない同士だ。
というわけでセシリーは狼狽えるスウェルに近づき、正面から思い切り襟を掴んだ。
「殴るわ、お父様」
「どうして!? やめてよセシリー!」
「それでも殴るわ。お父様が前言を撤回するまで」
「だ、だってその――べっ、別に好きな人も居ないだろう!?」
「は?」
セシリーはキレた。
それはそうだが、まぁそうなのだが、そういう問題ではない。
「私には、運命の赤い糸が繋がった王子様がどこかに居るの!」
「どこかって、どこにだい?」
「どこかによ! 世界は広いっ、この大地のどこかには必ず居るわ!」
胸を張って言い張るセシリーを、父は困ったような目で見つめる。
「僕だってね、一人娘のセシリーには幸せになってほしいよ……でも待てど暮らせど、王子様は君の元に現れてはくれなかっただろう?」
……ぐっ、とセシリーは言葉に詰まる。
父の言うとおりだ。苦節十七年。王子様とおぼしき人物は、未だセシリーの前に姿を見せてはいない。
どんなに星に祈っても、祈りは一向に届かないまま。
(……私を迎えに来てくれる王子様は居ないの?)
そんな諦めは、日に日に大きくなっていって……それに気づかない振りをして、今まで過ごしてきたのだ。
貴族令嬢である以上、親の決めた結婚には逆らえない。
こんな日が来ることをセシリーだって覚悟していなかったわけではない。
それでも、どうしても素直に頷くことはできず、セシリーは唇を尖らせてスウェルに訊く。
「でもどうして急に、結婚の話なんて……」
「酒の席でジーク殿と偶然、隣の席になってね。流れでそういう話になったんだ」
「酒の席の流れで!?」
あまりに理想と違いすぎる現実にセシリーは仰天した。
(そんな、そんな適当に私の結婚が決まるなんて……!!)
「たとえば仲良しな親同士が決めた結婚だけど幼い頃に二人は実は出会ったことがあってお互いに一目惚れしていてそのとき持ち物を交換し合って未だにその思い出を大切にし合っていたとか、前世では敵対する家同士の子どもだったけど来世ではきっと愛し合おうと誓って涙ながらに胸を短刀で貫いて死んだ恋人同士だったとか、夜会で粗暴な酔っ払いの手から助けてくれてお礼にと夜空の下で一曲ダンスしたけれど気がつけば夜風と共に去ってしまったあの人こそがそのジークって人だったりとか、そういうことじゃなくて!?」
「セシリーが望むなら、パパ今からなんとかする! まず酔っ払いを雇うよ!」
「今からじゃもう遅いのよ!」
わあんっ、とセシリーは顔を覆ってしまう。
(……でも、待って)
ふとセシリーは気がついた。
(そうよ。もしかしたらその人が――ジークって人こそが、
そうだ。まだ希望を捨ててはいけない。
セシリーは父に向かって可愛らしく小首を傾げた。
「ねぇ、お父様。ジーク様って方はどんな人なの?」
「おお。乗り気になってくれたんだね!」
スウェルがぱぁっと顔を輝かせる。
「そうだねぇ。ジーク殿は背が高くてすっごくハンサムだし、剣は強いし、学術にも秀でているし、女の子にきゃあきゃあ言われてるし、まさにセシリーの大好きな白馬の王子様って感じでねぇ」
「イメージ操作は結構。脚色せずに教えてちょうだい」
素っ気なく遮ると、スウェルは指を組んでもじもじした。
「…………泡を噴いて倒れたりしない?」
「そう簡単に人は泡を噴かないし、倒れないわ。いいから教えてお父様」
「じゃ、じゃあ教えるね?」
まだもじもじしつつ、スウェルが咳払いをする。
「えっと、ジーク殿は強面で、呼吸するように暴言を吐くから、女の子にはきゃあきゃあ叫ばれて逃げられるらしいよ。そ、そうだ。飛竜乗りだからほとんど白馬の王子様みたいなもんだよね! あと三度の飯より血の味が好きで、ついた二つ名は確か――"凶犬"だったかな」
セシリーは泡を噴いて倒れた。
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