第8話.惚れ薬、作る!

 


 惚れ薬のレシピは、七年前にグレタがおいていった。


 セシリーにとってはあまりに悪しき記憶である。とてもじゃないが、目につくところに放置したくはなかった。

 そこで七年前のセシリーは、レシピが書かれた羊皮紙を無造作に丸めて、屋根裏部屋へと放り込んでいたのだが……。


「ごほっ、ごほんっ……うげーっ、埃っぽい!」


 使われていない屋根裏部屋を七年ぶりに訪れたセシリーは涙目になりつつ、なんとか羊皮紙を回収した。

 外で埃を払ってから開いてみると、かなり黄ばんでおりインクが掠れたところもあるが、なんとか読み取れる。


「お母様の字だ……懐かしいわね」


 インクの跡をなぞり、セシリーは深々と溜め息を吐いた。


 かれこれ七年前――グレタは誰にも何も告げずに、突如として姿を消した。

 嵐の晩の翌日、セシリーが目を覚ましたときには、グレタの姿はすでになかった。

 スウェルは焦らず、グレタを捜そうともしなかった。気ままに生きるグレタのことだから、気が済んだらすぐに帰ってくるだろうと信じていたのだ。


 だがスウェルの信頼を裏切るように、グレタは今も戻ってこない。

 何かの事件に巻き込まれたとして、あっけなく死ぬような母ではないので、どこかで飲んだくれて呑気にやっているのだろうが……セシリーとしては「まったくもう」と悪態を吐きたくなる。


「自分が魔女だって明かして、惚れ薬の力で結婚したことも勝手に話しちゃって、それで居なくなるってどういうことなのよ」


 幼き娘の心のアフターケアをもっとどうにかしろ、と文句を溜め込んでいるセシリーだ。

 しかし今となっては、グレタの残したレシピだけが頼りである。気を引き締めて、セシリーはレシピに目を落とす。


「えっと、惚れ薬は、魔女の血を継ぐ者にしか作ることができません……そうなんだ」


 魔法が当たり前のように行使されていたのは遥か過去のこと。

 今や古代の魔法具や、魔法生物がわずかに存在するだけの世の中だ。

 グレタとセシリー以外には、もはや魔女の血を持つ人間は残っていないのかもしれない。別に捜したわけではないので分からないが、少なくとも薬師でもないのに調合を嗜む人など、セシリーの知人にはひとりも居なかった。


 まずは材料から集めようと、上から順に見ていくセシリー。


「えーっと、なになに。まずは青根の薬草……」


 幸いというべきなのか。

 惚れ薬にはとにかく必要な材料が多かったが、その大半はあっさりと揃った。

 というのもセシリーはグレタの畑を引き継ぎ、多くの薬草を育てている。畑に生えた薬草でだいたい間に合ったのだ。

 隅っこに生えたマンドラゴラの根を引き抜くのには苦労したが、これも耳栓を使ってなんとかなった。


 もはやグレタは、未来のセシリーが惚れ薬を使うことを分かっていたのではないか?

 そう邪推してしまうくらい、順調な滑り出しだった。なんだか悔しい気もするが、実際に作る羽目になったのでなんとも言えない心境である。


「よし、じゃあ次はっと」


 というわけでやや舐めていたセシリーは、次の行で声をひっくり返らせた。


「次は、カエルの……………………生き血ぃ!?」


 急にハードルが高い。セシリーは愕然としてしまう。


「カエルの生き血ぃ!?」


 愕然としすぎてもう一度叫んでしまう。

 嘘でしょ、と思いつつ、その下にも目を向けると。


「術者の髪の毛、毛根ごと千本!?」


 多すぎるし絶対に痛い。想像だけでセシリーは頭皮を傷めてしまった。


「それとトカゲの尻尾!? 月夜に十日も晒した水!? 術者の生き血いぃ!!!」


 なぜこうも生き血ばかりを要求するのか。

 セシリーは信じられない気持ちでわなわなと震える。


(ちょっと待って。これ、人に飲ませるのよね?)


 罰ゲーム? いじめ?


 こんなものをジークに飲ませるのは、あまりにひどいのではないだろうか。いや、そもそも惚れ薬で心を操ろうとしている時点で極悪かもしれないが……。


 しかもカエルの血を抜くのも、トカゲの尻尾を奪うのも可哀想だし、月夜に十日も晒した水なんてとても飲めたものではない。第一、髪の毛が入っている時点で何もかも最悪だ。

 自分の血を入れるのなんてもう最悪を通り越して非常識だ。それに痛いのもいやだ。こうなると、いやいや尽くしになってくるセシリーである。


「う、ううん。別にそれそのものを入れなくてもいいんじゃないの?」


 いやすぎるので、セシリーは妥協の精神を発動させた。


「そうよ! あんまり認めたくないけど……私には魔女の血が流れてるんだものね。そんな私が一生懸命に作れば惚れ薬っぽいものがきっとできるはず!」


 声に出すことでセシリーは自分を奮起させた。

 やる気を取り戻したセシリーは、次々と代わりの材料を集めていく。


 カエルの血の代わりに熟れたトマト。トカゲの尻尾の代わりにゴボウの先っちょ。月夜に十日晒した水の代わりに、花瓶の水。

 髪の毛の代わりに細めの麻縄。自分の血の代わりに熟れていない清らかなトマト。


「か、完璧じゃないの!」


 セシリーは自分の天才ぶりにいたく感動した。


 材料の準備ができたところで、工房に持っていく。

 これもグレタが残した工房だ。今思えばやはり彼女は魔女で、惚れ薬以外にもいろいろな薬を作っていたのだろう。


 セシリーはといえば、薬草茶や薬湯を作る際に、たまに借りる程度である。

 慣れ親しんだ工房にやって来たセシリーは、刻んだり、煮出した薬草などを鍋の中に落としていく。

 花瓶の水をばしゃばしゃとものすごい勢いで入れて、竈に火を入れる。


 途中、麻縄に油が引火したり、トマトが弾けて顔が真っ赤になったりと事故もあったが……それこそ、筆舌に尽くしがたいほどの努力の末に。


「できた……! できたわ!!」




 ――惚れ薬が、ついに完成した。



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