第7話.その頃のジーク1

 


 辻馬車を降りたジーク・シュタインは、颯爽と石畳の路を進んでいた。


 向かう先は王城敷地内の外れ。飛竜の厩舎である。一頭ずつが見上げるほど大きな体躯を持つ飛竜を育てるには、広い草場や水場がいる。

 そのため厩舎の一帯は、自然豊かな公園のように広々としているのだが、基本的に団員以外の立ち入りは禁じられている。禁じられずとも、凶暴な飛竜を恐れて、誰も好き好んで近づく輩は居ないのだが。


 革靴を鳴らし、つかつかと歩みを進めるジークを、すれ違う誰もが避けていく。

 目が合っただけで半殺しにされたとか、目が合っていなくても殺されたとか噂されまくるジークのことだ。王城で働く兵士や侍女たちに避けられるのはいつものことだが、腹立たしいのもまたいつものことである。


 子どもが見たら泣きながら気絶しそうな形相で足を早めたジークは、飛竜の厩舎へと辿り着く。

 草野では飛竜たちが日向ぼっこをしたり、駆け回ったりと呑気に過ごしている。水場で羽を濡らし遊び回る飛竜も居る。


 そちらを目を眇めて見ていたジークは、ふと気がついた。

 七つ並んだ厩舎の端で、芝生に寝そべる男が居た。男は気配に気がつくと顔を上げて、不思議そうにしている。


「あれ、ジークじゃん。妙に帰りが早くない?」

「アルフォンス。お前、またさぼりか」


 アルフォンス・ニアは、ジークが率いる聖空騎士団の副団長である。

 伯爵家の三男なのだが、甘いマスクの男で、とにかく女との浮いた噂に事欠かない。優秀だが不真面目な男で、ジークは彼の扱いに手を焼いている。といっても今や、腐れ縁のようになっているのだが。


 アルフォンスが欠伸混じりに立ち上がる。

 金の艶めく長髪を軽くかき上げると、アルフォンスはうっすらと笑ってみせた。


「今日は婚約者の家で昼食会、って言ってなかった?」

「……とっくに終わった。それと別に婚約者じゃない。今日の夕方頃にでも断りの連絡が来るだろ」

「なんだよそれ。オレに仲人させたくせに!」

「頼んだ覚えはまったくないぞ。というか、いい迷惑だ」


 ジークはひたすら呆れる思いだ。


 あの日――女に断られたというアルフォンスによって、ジークは無理やり酒場に引っ張っていかれた。

 そこには、飲んだくれて泣き続ける中年男が居た。その人物こそがスウェル・ランプス子爵である。


 それまで面識はなかったが、ジークは一方的にスウェルの名を知っていた。


(数年前……ランプス子爵が先代の王に提言したおかげで、飛竜育成予算を減らされずに済んだ)


 飛竜の恩恵を余すことなく受けながら、先王は飛竜に割かれる予算が多すぎると不満に思っていた。

 そこをスウェルが飛竜の功績、今後も国に与えるだろう富を根気強く説き、王を納得させてくれたという。


 そんな出来事から――スウェル自身はあずかり知らぬことだろうが、ジークは個人的にスウェルに恩義を感じている。ジーク以外にも、スウェルのことを尊敬している人間は多いだろう。だから彼が友人から肩代わりした借金に困っているという話を知って、迷わず力を貸すことにしたのだ。


 別にお金は返してもらうつもりはなかった。

 高級官僚よりは下がるものの、聖空騎士団長を務めるジークはそれなりの高給取りだ。実家も裕福だから、金には困っていない。そう率直に伝えるつもりだった。


 が、そのとき、アルフォンスが余計なことを言った。



『ランプス子爵って、すっごく美人の娘さんが居るんですよねぇ! でもご婚約もされてないとか。どうですか、うちんとこの団長。女の子にまったくモテないので、浮気の心配は皆無ですけど!』



 そのままなし崩し的に、ジークとセシリーをお見合いさせよう、という流れになってしまったのだ。

 スウェルはひどい酔い方をしていて、真っ赤っかな顔で終始ふわふわしていたので、どこまで正確に覚えているかは分からないが……今日の様子を鑑みるに、酔った末にとんでもない約束をしてしまったと悔いていることだろう。


 ジークも悪魔ではない。いやがる若い娘を無理に娶ろうなどと最初から思ってはいない。

 金についても返すあてがないのなら、それで構わないと思っている。あれはただ、一方的にジークが謝意を示しただけなのだから。


「それで? ご令嬢はどうだった? すっごい美人だった?」


 わくわくと弾むような面持ちで問うてくるアルフォンス。

 ジークは腕組みをして、しばらく考える。


 つい数時間前の昼食会。黙々と食事を口に運んでいた令嬢の姿……。


「……いや」

「なぁんだ、残念」


 すっごい美人だったかと言えば、当てはまらない。


 亜麻色の髪に、大きくてくりくりとした、子どものように丸い瞳。

 他の女子ならばジークの外見を怖がり、顔を上げようともしないのに、彼女は真っ向からジークを睨みつけてきた。それも、気迫漂う双眸で。


 あの瞳に見つめられたとき、ジークは目が逸らせなくなっていた。


「でも、そうだな。すっごくか――」

「それで? どういう話したの? また怖がられて泣かせちゃった?」

「…………」


 遮られたジークは眉間に皺を刻みつつ、冷たい声で返す。


「泣かせてねぇ。……令嬢は飛竜に詳しいようだったな」

「へぇ、飛竜に? そりゃ変わってるね」


 アルフォンスの言う通り、確かにセシリーは風変わりだった。


 聖空騎士団は、騎士団の中でもかなり特殊な部類に位置している。

 特異なのが、近衛のように部隊が分かれていないこと。というのも部隊を分けるほど人数が居ないからだ。

 隊員は平均して十五年から二十年で引退し、残りの人生は飛竜を看取るのに使う。ときどき、災害時の救出活動に出動することはあるが、基本的には余生と呼ぶべき時間であろう。


 飛竜乗りには技術が必要で、減った分はまた、新たに別の飛竜を育てた騎士が補充される。というのも飛竜は、自らを手ずから育て上げた人間にしか心を開かないためだ。獰猛な生き物で、もし育て親以外の人間が近づいた場合、噛み殺したり、蹴り殺したりと、簡単に命を奪ってしまう。

 そのため団員がなんらかの事故や病気、あるいは出撃で戦死した場合、残された飛竜は野に放たれる。団員も飛竜も、お互いに替えが利かない。国を守る戦力として大きいが、その分、多くのリスクを抱えているのが聖空騎士団である。


 ジークをはじめとする団員たちは普段は飛竜の世話をしながら、幼い第五王女の護衛騎士としての任務にも当たっている。


 そんな実態や、飛竜という古代生物について知っているのは、王城でもごく一部の人間や、聖空騎士団の団員たちくらいだ。

 聖空騎士団はエリート集団として知られるが、飛竜のような強力な生き物に乗るだけで褒賞を授けられて羨ましい、と喧嘩を売られることも絶えないくらいだ。

 そういう輩には、それこそ飛竜が馬か牛のように思えているのだろう。


 だが、セシリーは違っていた。

 聖空騎士団がどのように飛竜を育て、関わって、絆を育んでいくか――まるで見てきたように詳しく、それを語ってみせたのだ。


(父親に教わったのか?)


 しかし彼女のほうこそ、父親のスウェルより飛竜に詳しいようにもジークには見受けられた。


「美人だったらオレも会いたかったのに」


 アルフォンスは未だに下らないことを言っている。


「お前、いい加減に……」

「まっ、オレはそもそも結婚なんてお断りだけどね」


 舌を出しておどけるアルフォンスにジークは溜め息を吐き、厩舎に向かう。

 無駄話に興じている場合ではない。そこで待ちわびているだろう相棒の飛竜を、早く出してやらねばならなかったから。



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