第15話.飛竜、カムダウン!

 


 アルフォンスをダシに盛り上がりまくっていた婚約者たちなのだが。


 そこに、ガッシャーン! と、突如としてけたたましい音が響いた。


「な、なに!?」


 驚いたセシリーが目を向けると、飛竜の厩舎のひとつから、もうもうと土煙が上がっていた。

 その中から飛び出すようにして現れたのは、二足歩行の巨体だった。


「白い――飛竜?」


 飛竜は、でこぼことした身体に、立派な牙を持つ魔法生物である。

 古代には実在したというドラゴンにも似ているが、飛竜はワイバーンと呼ばれる種族の一種だ。


 横面が長く、青い目はつぶらで、どこか優しげな顔立ちをしている。ただしその気性はドラゴンよりも荒いとされ、扱いには細心の注意が要る。

 飛竜は一般的には灰色の体躯をしている。彼らを操る聖空騎士団の制服が青いのは、青空にまぎれて移動するためだ。


 しかし、こちらに向かって突進してくる飛竜の色は純白。

 セシリーは一瞬、その美しさに見惚れてしまった。おそろしいと思うより、きれいだと思ってしまったのだ。


「危ないです、逃げてください!」


 団員か誰かの叫び声に、ジークが、セシリーを勢いよく突き飛ばした。

 セシリーは悲鳴を上げる間もなく、アルフォンスの両手に受け止められる。


「アル、セシリーを連れて逃げろ!」


 ジークがそう命じて、門扉へと駆け出す。

 飛竜は混乱しているようだ。あの勢いだと、一帯を覆う生け垣なんてあっさり薙ぎ倒して、王城に――王族や貴族たちが居る空間にまで向かってしまうかもしれない。


 それをジークは、ひとりで止めようとしている。


(でもそれじゃ、ジークが危ないわ!)


 飛竜はジークに気がつかず、彼を踏み潰してしまうかもしれない。

 そんな想像が脳裏をよぎった瞬間、セシリーは決めていた。それ以上、考える暇はなかった。


「ごめんなさい!」

「っあ! ちょっと、セシリーちゃん!?」


 セシリーは一瞬の隙をついて、アルフォンスの手を抜け出すと、門扉に向かって走り出した。

 ジークは気がついていない。敵意がないのを示すために両手を広げている。


 そんな彼の横をすり抜けて、迫りくる飛竜の目の前に躍り出たセシリーは――力いっぱい叫んでいた。



「【】!」



 その短い言葉を聞き取った瞬間。

 飛竜の二本足が、確かに止まる。


 急には停止できず、その場で何度か足踏みをして、そのままふらふらと地面に横たわる。

 服従の意を示すポーズだった。ジークやアルフォンスが唖然と目と口を開く中、セシリーはおそれることなく近づいて、下げられた飛竜の撫でてやった。


「よーし! 良い子、良い子!」

『クルルル…………』


 喉の奥で飛竜が鳴く。


(本当は喉のあたりを触ってほしいのかしら?)


 残念ながら、セシリーの腕では届きそうもないのだが。


「セシリー、これはいったい……」

「私、小さい頃から動物に懐かれやすくて……」


 呆然としたジークの問いかけに、てへへ、と頬をかくセシリーである。

 小さい頃、スウェルの友人が連れてきた大型犬が暴れて子どもを引き倒したときも、静めたのはセシリーだった。セシリーには今、凶暴な飛竜があのときの大型犬と重なって見えていたのだ。


「いや。魔法生物は、犬や猫とはまったく違うぞ」


 しかしジークの言う通りである。

 そもそも現存する魔法生物の中でも、飛竜は特殊な生き物だ。世話をした人間にしか懐かず、他の人間には牙と爪を振るうだけ。


 だが今、猛っていた飛竜はずいぶんと大人しくなり、セシリーの愛撫に喉を鳴らすばかりで。


「あ……」


 そういえば――とセシリーは思い出す。


 グレタは自分が魔女であると告げて、ランプス邸を去ってしまったから、セシリーは彼女から詳しい話は聞いていない。

 でも物語の中に現れる魔女というのは、細やかな違いはあれど、古代の魔法だったり、魔法生物を手なずけたりと、いろいろな不思議な力を持っていた。


(これって、私の魔女の血が影響してるの?)


 セシリーに流れる魔女の血を感じ取り、飛竜は懐いたのかもしれない。


(それって、なんか、ヒロインっぽーい!)


 セシリーは、恋愛小説脳であった。

 ヒロインだけが持つ特別な力、という響きには、どうしてもテンションが上がってしまう。


(特別な力によって、ヒーローも夢中にさせちゃうやつだわ!)


「それにさっき使っていた言葉は……」


 自身のヒロイン力の向上に感激するセシリーに、まだ何か言っているジークだったが。

 そこに申し訳なさそうな、もっというと土気色の顔をした団員がやって来て、ジークの前で両膝をつく。


「おい、シリル。なんでスノウを出した」

「す、すみません。ぼくの飛竜が近づいて、興奮したスノウが鉄柵を倒してしまって」


 シリル、と呼ばれた団員は、黒髪に眼鏡をかけた真面目そうな少年だった。

 きっとセシリーと同い年くらいだろう。若々しい少年だが、今にも倒れそうなほど顔色が悪い。眼鏡の奥の瞳は、涙ににじんでいる。


(ま、まさか、殴るんじゃ……)


 だが、飛竜を暴走させたのはシリルの失態のようだ。

 噂通りであれば、ジークは超暴力的な男だ。容赦なく鉄拳制裁するのではと、セシリーは戦々恐々として見守っていたのだが。


「……ハァッ」


 ジークは、そう溜め息を吐くと。


「また修理しないとな。こいつ、どんな柵でも越えやがって。俺の言うことを聞きやしねえ」


 ジークががしがしと頭をかいている。

 セシリーは一瞬、ぽかんとしてしまう。だが後ろのアルフォンスは噴き出していて。


「ほんっと、ジークは甘いよね。これ、ふつうに考えたら処罰ものだよ?」

「団長と呼べ。……反省文は書かせる。一か月分は給与も三割減だぞ。分かってるな、シリル?」

「は、はい! 二度とこんな失敗はしません!」


 ジークに手を借りて、シリルが立ち上がる。

 セシリーは詰めていた息をゆっくりと吐き出す。


(この人……)


 三度の飯より血の味が好き、だとか言われているけれど。

 違う。ジークはきっと、優しい人だ。そうセシリーは思う。


『クルゥ……』


 手を止めているセシリーに、飛竜が不満げに鳴く。


「あっ、ごめんね。もっと撫でてあげるから」


 この飛竜はどうやらジークの相棒のようだ。そして名前も判明した。


「雪のように白いから、スノウなのね。かわいい名前!」


 うふふ、とセシリーが呼びかけたときである。

 スノウは何かの合図を受けたように、おもむろに身を起こすと。


「あら? スノウ、どうしたの?」


 しばし見つめ合うセシリーとスノウ。


『…………』


 そして。

 うふふと微笑むセシリーを、スノウがぱくりと口に咥えた。



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