第11話.すべてが溶けていく

 


 用向いた先で報せを受けたスウェルは、大慌てで馬車を走らせ邸宅へと戻っていた。


 報せが入ったのは一時間ほど前のこと。

 なんと階段から足を滑らせたセシリーを受け止めて、ジークが頭を打ちつけてしまったという。

 セシリーに怪我がないのは何よりだったが、聖空騎士団の団長を務める男に万が一のことがあっては大変なことになる。


「大丈夫かいっ? ジーク殿が頭を打ったって……!」


 そうして焦燥感を募らせながら客室に駆け込んだスウェルを出迎えたのは――。



「あ、ぜんぜん大丈夫です」

「ぜんぜん大丈夫でしゅ♡」



 ベッドに腰かけるジークと、その膝に乗ってにこにこしているセシリーの姿であった。

 スウェルは確信した。


(ぜんぜん大丈夫じゃないぞ!!)


「二人とも頭を打ってしまったんだね。なんて可哀想に」


 ほろりと涙するスウェルに、セシリーは「ううん」と脳天気に首を振る。


「パパ。私もね、打ち所が悪くてジークがおかしくなったのかもしれないと思ったの。でもね、違うの。ジークは本当に私のことが好きになっちゃったの」


 いつの間にかジーク呼びになっている……いや、それよりも、その内容が気に掛かる。


「そ、そうなの。えっ、そうなの?」

「そうです」


 ジーク本人からも力強い肯定が返ってくる。


「呼んでいただいた医者からも、恋の病だと診断されましたから」

「藪医者呼んじゃったかな?」

「いいえ。彼は国を代表する名医ですよ。俺の症状を確実に言い当てた」


 彼はすぐに、膝の上のセシリーに視線を戻すと。


「セシリーに会うまで、俺はずっと空虚だったんだ。でもお前に出会えて、欠けていた何かがようやく埋まった気がする」

「ねぇジーク。それって、それってね、私が先に言おうとしてたの……」


 逞しい胸板に、つつ、と指を這わせるセシリー。

 悪戯な指を絡め取ったジークが、セシリーに微笑みかける。




「ばーか、知ってるよ」




 きゅんっっっ――。


 セシリーの胸を貫くピンク色の矢が、縦横無尽に部屋の中に降り注いでいく。

 看病していた使用人もスウェルも、まとめて部屋の外へと吹っ飛ばされた。


「ぐっ……! なんて濃厚なきゅんの矢なんだ!」

「旦那様! これでは近づけません……!」

「腰を低くしろ。四つん這いの体勢になるんだ。行くぞ!」

「はい!」


 二人は床を這いながら、なんとか部屋の中へと再び侵入を果たす。

 そんな二人ににこにこしながら、セシリーが「そうだ!」と手を合わせた。


「パパ。私、ジークと結婚するから!」

「え!?」


 スウェルは驚きの連続で、開いた口が塞がらなくなっている。

 ここ数日間は何やらぶつぶつと「ワイルド騎士……」「薬……薬が……」「くッせ」とか呟いていた娘が、急に「結婚する!」と宣言したのだ。驚かずにはいられない。


「で、でもセシリー、あんなにいやがってたじゃないか。白馬の王子様じゃなきゃいやだって」

「白馬の王子様なんてどうでもいいの! もうジーク以外の男の人のことなんか、考えられないの!」

「おい、セシリー」


 ジークが割り込んでくる。


「俺以外の男の名前なんて、呼ぶなよ」

「架空の王子にすら嫉妬してる!? 難儀すぎるよジーク殿!」

「父親を呼ぶのも、本当はやめてほしいくらいだ」

「嫉妬もそのレベルまで行くともはや病気だよ! 医者! 戻ってきて!」

「セシリー、二度と呼ばない! ずっと、ずーっと、ジークだけ呼ぶもん!」

「セシリーも本当にどうしたんだい! 頭を打ったのはセシリーなの!?」

「違うの! これが本当の私なの!」


 セシリーがじたばたと両足を動かして言い張る。


「パ……じゃない、肥満体型の中年男性の意地悪」

「呼び方にそこはかとない悪意があるねぇ!」

「ジークと結婚できないなら、セシリー死んじゃうから!」


 過激な発言にぎょっとするスウェルだが、咎めるようにジークがセシリーの顔を覗き込む。

 ジークが何か言おうとするたびに、スウェルは軽く身構えるようになっていた。


「死ぬなんて言うな。俺と一緒にじいさんばあさんになるまで生きるって約束したろ」

「約束、思い出した! セシリー、ジークと生きる!」

「良い子だ」

「良い子のセシリー、食べて♡」

「悪い子だ」

「はわわわわわ!!!」


 目も当てられないほど蕩けかけているセシリーから、スウェルはそっと顔を逸らす。


「――よく分からないけど、良かった! パパは二人が仲良しで良かったよ!」


 そうだ。もう、そう思うしかない。

 結婚に消極的だったセシリーもその気になっている。ジークもなぜだかセシリーに夢中になっているようだ。

 両人が納得したのであれば、スウェルが言うことは何もないではないか。


 何かがおかしいような気もするが、最近の若者の感覚というのは、スウェルには理解できないものなのかもしれないし。


(それに、結婚できないなら死んでやる、という気持ち。僕にも分かるんだ……)


 グレタとの身を焦がすような情熱的な恋を、スウェルは思い出していた。


 若い頃に出会ってから、スウェルはグレタに夢中だった。一心不乱にグレタだけを、今も変わらず想っている。

 人目も気にせずイチャイチャする二人を見ていると、とてつもなくグレタに会いたくなってくる。奔放な彼女は、今頃どこに居るのだろう。楽しく過ごしているといいのだが。


(グレタ。セシリーは、大きくなったよ……)


 成長した娘を、グレタにも見てほしいものだ。

 そしてもちろん、挙式にはグレタに参列してほしい。よし、とスウェルはさっそく提案することにした。


「じゃあ、とりあえずそうだねぇ。善は急げっていうし、婚約――しよっか!」


 三人は笑顔で頷き合う。


「します」

「しゅる!」

「書類も、出そっか!」

「出します」

「だしゅ!」



 そして、理性が蕩けてしまったセシリーが“冷静さ”を取り戻すのは。

 すべての手続きが終わった、その日の夜のことであった――。



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