5.暗礁航路……⑤

※作者より……

 今回は全編イチャラブ回です。露骨な表現は避けておりますが、苦手な方はスキップしてください。

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 ジール王国の船『セーアドラー号』は、荒れた外洋から、凪いだ内海へと進もうとしている。3本の帆柱マストに風を受けて力強く海を進む。

 この船の乗客である勇者マックスと仲間達にそれぞれ与えられた個室は、彼等の船旅を上質なものとするために用意されたものだ。


 それらの個室の一つであるナディアの部屋は、柔らかな灯に包まれていた。

 優雅なアンティーク調の家具が置かれ、ベッドには厚手の柔らかなシーツが敷かれている。

 テーブルの上には、ナディアが広げていた魔術書や水晶、淡い色合いのベールやショールが散りばめられた空間は、まるで異界からの贈り物のようだ。


 しかし、視点を少し動かすと様相が変わってくる。

 無造作に放り出された剣やブーツ、ベッドのヘッドボードに引っ掛けられているワンピース、ベッドの下に放り出され小さな山を作っているボレロ……そしてベッドの上に散乱する肌着は、二人の物語を無言で紡ぎ出している。


 薄明かりの下、彼女の吐息が静かに響く。彼は、より一層彼女を求め、彼女は受け入れるかのようにシーツを掴み、身を仰け反らせる。

 ナディアは、紫水晶アメジストの瞳をマックスに向ける。

 その瞳は歓びに満ち溢れていた。


「……マックス……」


 形の良い艶のある唇から、切なく甘い声が溢れ出る。

 マックスは、切なそうなナディアの表情に、限りない愛しさを感じていた。


「ナディア……」


 マックスがナディアの名を呼ぶ。

 ベッドに背を預け想い人の高まる温もりを感じると、ナディアはそれを受け容れるように優しく微笑みながら、マックスの頬に手を添える。


 そんなナディアに愛しさを募らせていく。

 腕の中に納まる愛しい存在。自分が勇者になる事を後押しした存在……それがナディア。

 唇を重ね、お互いの熱い吐息を感じながら、言葉にならない想いを伝え合っていた。


 勇者マックスと仙術師カルティベイターのナディア……人間族ヒューム精人魚族ローレライ……種族の異なる二人は、他のパーティーメンバーよりも遥かに深い縁で結びついている。


――この身体を得て、何年になるだろう?


 波の音が聞こえたような気がした。

 大きな揺らぎにあやされるようにどこまでも曖昧な時の流れの中で、マックスに寄り添いながらナディアは思う。

 初めて出逢ったのは、ナディアの住む南の珊瑚礁であり、戦渦に焼け出された少年マックスを生まれ故郷の街に戻るための旅を共にしたのが切っ掛けだった。

 一緒に旅をして海を渡り、マックスが味わった悲しい現実に、ナディアは共鳴し心を惹かれた。


 それまで一介の人魚族マーメイドに過ぎなかったナディアは、始めて恋を覚えた。それも多種族の人間族ヒュームに……

 その結果、精人魚族ローレライと変態進化したナディアは、身体の作りも外見も人間族ヒュームとなんら変わらないものとなった。


 精人魚族ローレライとなり、自在に操れるようになったスラリと伸びた長い脚は、優美な曲線を描きながらマックスのてのひらを受け止める。

 くすぐったいのに心地良く思える感覚が駆け巡るが、それが幻覚でないことを伝えてくる。


――私との約束を守ってくれた愛しい人……


 屈強で精悍な若者となり彼女の前に再び現れたマックスに、ナディアは初めて喜びの涙を流した。

 以来二人はいつも一緒にいる。勇者に任じられて仲間が増え、パーティーを組んで、世界を進む。


「俺が君と共にいられるのは、特別な運命が与えられているからかもしれないな。フィルツブルク聖皇国の招待を受けたこの航海も、きっと運命なのかもしれない……」


 マックスがそう呟くと、ナディアの表情にかすかな影が差した。彼女は、マックスの肩に顔を寄せ、まるでその答えを求めるように囁いた。


「マックス……本当はどう思っているの? フィルツブルク聖皇国の招待を」


 マックスは少しの間、沈黙を保ちながら遠くを見つめた後、静かに言葉を紡ぎ出した。


「俺はアニマ神を信奉している訳じゃない……むしろ憎んでいる。俺の家族、静かで慎ましく生きていた父も母も、愛おしい妹も、皆、戦争で奪われた。神の名のもとに殺された。同じアニマ神を信じる者達から、理不尽に奪われたんだ……その事は決して忘れない」

「マックス……」


 マックスの瞳には、遠い記憶に苦しむような光が宿る。その表情は、あの時と何も変わらない。何一つ残さず消え果た故郷に佇んだあの日と!

 ナディアは、そっと彼の身体を抱き締めた。


「だから、俺には力が必要なんだ。この悲劇が繰り返される世界を変えるために。連中が信奉して止まないアニマ神の信奉者であることを人々に見せて、彼等にとって必要な存在になるための、揺るぎない権威が……」


 彼の言葉に、ナディアの胸の奥が強く締め付けられた。

 彼女にとって、マックスの思いは痛いほど理解できるものだった。

 ナディアは、マックスの腕の中で目を閉じた。しかし、そのまぶたの裏にはかつての光景が浮かんでいた。


「そうだね……あの時の事は忘れちゃダメだよ」


 あの日、マックスの故郷を覆い尽くした戦火の煙と、跡形もなく破壊されていた建物。その中で、ナディアは遠くから見つめることしかできなかった。

 まだ幼く、魔術一つ満足に操れなかった彼女は、何もできなかった。


 彼の家族が無残に命を奪われたあの瞬間、ナディアの心に深い憎悪と悔しさが刻まれた。

 それから彼女は、精人魚族ローレライの先達であるマリーナのいる『珊瑚の森』に向かい、彼女の下で、戦いや癒しの術を必死に学んだ。


 ただ無力に見つめるしかなかった自分を乗り越えるため、そしていつか同じ悲劇を阻止するためだった。

 それでも、あの時の記憶が蘇る度に、どうしても胸が締め付けられ、暗い影がよぎる。


「ナディア……どうした? 思い詰めたような顔をしている」


 マックスの声が再び聞こえ、彼女の意識が現在に引き戻され、紫水晶アメジスト色の瞳を開いた。

 心配そうに顔を覗き込む恋人の表情を見て、ナディアは微かに微笑み、頭を横に振った。


「ううん……何でもないの……」


 そう言いながら、彼女は胸にしまった無力感と哀しみを隠すように微笑む。その表情を見て、マックスはさらに強く彼女を抱きしめ、耳元で囁いた。


「俺がこうして前に進めているのは、ナディアのおかげだよ。君がいてくれたから、俺は戦い続けることができるんだ

「もう……そんな事言われたら、ボク・・泣いちゃうよ?」


 幼い人魚族マーメイドだった時に使った言葉を使って、おどけようとしたが、そのナディアの試みは見事に失敗した。

 大きな瞳から涙が溢れ、マックスはそれを指で拭って微笑んでいる。


「どれだけ辛くても……俺はナディアと共に未来を築きたい」


 その言葉に、ナディアの心が温かく満たされるのを感じた。

 彼がこうして前を向いて歩んでいる姿こそ、彼女がどうしようもなく愛おしく思える理由だった。戦争に憎悪を抱きつつも、それに呑まれることなく歩み続けるマックスの強さ。

 その不屈の意志は、ナディアにとって何よりも尊いものだった。


「私に足をくれたのは貴方。私の存在そのものを受け入れ、傍にいてくれるのも貴方。だから……私は貴方を信じる。貴方が信じるものを、私も信じる」

「ナディア……」


 彼女の言葉が胸に響き、マックスは再び彼女を抱きしめる。

 ナディアはその腕の中で、安らかに目を閉じ、微笑みながら身を委ねた。彼女の温もりと柔らかな息遣いが、二人の間にある確かな愛を証明している。


 船は静かに波を切りながら大海原を進んでいた。

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ノイルフェールの伝説~天空の聖女(セインテス)~ 朝霧 巡 @oracion_001

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