第8話

 ちよこ1

早朝、混雑した電車の中、妊婦さんが辛そうに立っているのに誰も席を譲ろうとしない。

優先席に当たり前のように座り携帯画面に夢中の同じ中学の制服を着た男子達。そいつららの頭を思い切りひっぱたいて注意してやりたいと思うのだけど、結局なにもしない自分。見て見ぬふりの周囲の人達、そいつらの事を最低だと思いながらも何も言えない…だって私は女の子だからとか自分を守る言い訳まで用意している。

最低な世界に良く似合った最低な自分。

想像の中で優先席に座る男子達に蹴りをいれていると、正面に座っていたメガネの少年が、読んでいた小説から視線を上げると、今気づいたといった様子で、妊婦さんに席を譲ろうと立ち上がり、自分の座っていた席を指差す。

妊婦さんが申し訳ないからと、顔の前で手を振りながら遠慮している。そのやりとりを幸せな気持ちで眺めていると、身体が電車の進行方向に向けて急に傾いた。電車がブレーキ音と共にスピードを落としていく。私の背後の扉が聞きなれた音を立てながら開くと、少年が『僕ここで降りるんで』そう言うと私の隣をそっとすり抜ける。

電車の扉が閉まり小さくなっていく少年の背中から目を離す事が出来ない。

だって私は『優しい嘘』を聞いたのだ。


 教室の四角い窓から見える嘘みたいに青い空を、飛行機雲が二つに割っていく。安っぽい映画みたいなその光景を眺めながら、朝の出来事を思い返す、優しい嘘をついたメガネの少年、同じクラスあの人の事を…朝から何度繰り返したかわからない、幸せな回想に耽っていると、頭上から、私の大親友を自称する尚美の声が降ってくる。

「ちよこ佳緒から聞いたよ好きな人出来たんだって!」

「そんな事誰もいってないよ」

 朝の出来事を佳緒に話した時、口止めするのを忘れた事を後悔しながら、尚美にも電車で見たやり取りを説明する。

「なにそれ?妊婦さんに席譲る為に自分の中学の三駅も前で電車降りちゃって、そんで無遅刻、無欠席駄目にしたんだ!馬鹿じゃんテストメガネ」

「馬鹿とかいわないでよ、それにテストメガネってなに?尚美のつけるあだ名、本当に意味わかんないから!」

「ちよこ朝から風見鶏に向かってなんかお祈りしてるし、あいつに恋しちゃってんじゃないの?彼氏ほしいならあんなんじゃなくて佳緒みたくイケメン捕まえなよ」

「私、佳緒みたく可愛くないし…」

 言ってて悲しくなる返事をしながら、風見鶏にお祈りする所を尚美に見られていたとわかり、顔が熱くなっていくのを止める事が出来なかった。

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