第3話


   佐藤3

 淀んだ空気の溜まった、閉じこもり気味の部屋の窓を開けると、庭には曇り空の下、秋桜の花が咲いていた。

 エアコンで湿度や空気を一定に保ったこの空間を置き去りにして、季節はいつのまにか過ぎていく。毎日佳緒から届くメールにすがる事で、僕は生きている。

 今日の佳緒からのメールには、動画が添付されていた。携帯画面の中の佳緒は今日も綺麗だ。

『ねえあっちゃん、この熊の絵本の事、覚えていますか?佳緒が小さい頃に死んじゃった、本当のお母さんが、良く読んでくれていた本を、今のお母さんに勘違いから捨てられちゃって、佳緒が落ち込んでる時に、絶版になってたけど偶然古本を見つけたって言ってプレゼントしてくれた事があったよね。

 ネットで見つけたって言ってたけど…ほら表紙を外すとここに、佳緒と同じ幼稚園だった子の名前が書いてある。

 本当は佳緒が、幼稚園で配られた絵本だって話した事があったから、必死に探してくれたんだよね?

 この熊の絵本はお母さんが読んでくれたあの本より、もっと大切な佳緒の宝物です』

 画面の中で佳緒が、僕があげた絵本を、そっと抱きしめる。

 佳緒が大事にしていた絵本を、今の佳緒のお母さんが、あんまりボロボロだったので捨ててもいいか聞いた時、佳緒が怒りながら「その絵本は、ほおっておいて!」と言ったのに絵本が捨てられてしまう事があった。

 後からわかったのは、新しい佳緒のお母さんの生まれ故郷では、捨てることを『ほうる』と言うために、ろくに会話もなく佳緒がその絵本を大切にしてるという事も知らなかった為に勘違いしてしまったらしい。

 毎日一通だけ届くメールには時折、今日のように動画が添付されていたりする。佳緒からの聞いた事のない話や、見たことのない表情、それらが見られるだけで、僕が生き長らえるには充分な理由だった。佳緒の画像を繰り返しみている時、手にしていた携帯がなった。

 『星に願いを』佳緒からの着信は、通話とメールで区別していたので、通話に設定されている、その曲が鳴るということは、今の佳緒の携帯を持っている人からの連絡だと思い、せりながら通話のボタンをタッチする。

「もしもし」

「もしもしじゃねーよ馬鹿、あんた何、私の携帯からの着信はずっと拒否してんの?」

 携帯から聞こえてくる声は、佳緒のものではなく、佳緒と本当に中の良かった千秋ちゃんのものだった。

「毎日佳緒のメール送ってくれてんのやっぱり千秋ちゃんだったんだね…ありがとう」

「お礼なんて言われるためにやってんじゃない!高校にも来ないであんた一体毎日何やってんの!」

「もう誰にも会いたくないんだほっといてよ…千秋ちゃん、千秋ちゃんも毎日大変だろうし佳緒の携帯、僕が預かるわけにはいかないだろうか?」

「一年間あんたにメールを送るのは私が佳緒とした最後の約束だよ!それをやぶるわけがないじゃん!何もあんたの心配なんかしてないけど、ただ佳緒のやつ自分が死んじゃうかも知れないのに、残された時の、あんたの事を心配して泣いたんだ…学校も来ないでウジウジしてると、周りの奴らがあんたが可哀想だって言い出すだろ、私はそれが心の底から気に食わない!佳緒と逢えて本当に良かった幸せだったって、あんたは一人になっても笑ってなきゃいけないんだ!佳緒が死んだら自分も死ぬとか、そんな佳緒を悲しませる事、絶対に口にしちゃいけなかったんだよ」

 嗚咽まじりの声で伝えられたその言葉に僕はごめんとしか言えずに通話を切る。

 佳緒が大切にしていた熊の絵本の内容は、何でも吸い込む魔法の袋を持った熊に、小さな男の子が、嫌いな物をどんどん吸い込んで貰う内に、世界でたった一人になってしまい、最後に本当に駄目なのは自分だったのだと気づいて、袋に自分自身を吸い込むと、そこには、いままでと何も変わらない世界が広がっていたというお話だった。

 死ねばそこに佳緒がいるというなら、今この瞬間にも僕は命を絶つだろう。死んでしまってもなお、佳緒はこんなにも大切な時間を与えてくれているのに…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る