第2話
佐藤2
佳緒と毎日二人で乗った電車の中、携帯をいじる女の子や、通勤途中のサラリーマン。車窓から見える景色へと順に視線を移していくと、ずっと使っていた電車なのに、その景色にあまり見覚えがない事を不思議に思う。
佳緒と付き合い出すまでは下ばかり向いていて、佳緒といる僕は、本当に彼女ばかりを見ていて、周りなんか見ていなかったのだと、あらためて気づかされる。
吊革につかまり、電車の揺れに身を任せている内に、少し視線を落とせば、そこに佳緒がいるような錯覚に捕らわれる。
彼女の髪の香りや、笑い声、柔らかな手や優しい笑顔。
それらを感じる何より大切だった時間はもう二度と僕には訪れないのだと、生きている限りは、どこにいても、何をしていても、ただそれだけを、これからの僕は強く感じ続けるのだろう。
降車する人たちの波をかき分け、逃げるように電車を降り、佳緒と付き合い始めるきっかけとなった、校舎裏の建物に向かって僕は走った。
生い茂った草むらの中に、ぽつんと立てられた木製の看板に、赤いペンキで書かれた立ち入り禁止の文字。その文字も風雨でかすれてだいぶ読み辛くなっている。
腰の辺りまで伸びた草を、両の手で左右に掻き分けながら、佳緒と二人で通った中学校の校舎裏の建物へと足を急がせる。
なぜ取り壊されないのか、不思議がられていたその建物の、褪せた茶色の壁には、以前より遥かに増した緑の蔦が這っている。
だいぶ薄くなってしまった赤色の屋根の天辺に設置された風見鶏から、僕たち生徒の間で風見鶏の館と呼ばれていた建物。古びた木製の扉は壁と同じように、びっしりと蔦で覆われている。
扉を覆う蔦を引きちぎりながら、観音開きの重い扉を開き中に入ると閉ざされた空間独特の湿気や、カビの匂いが鼻に衝く軋む床を良く見てみると、開いたままの入り口の扉から差し込む日の光を受けて、埃の積もった床に足跡が浮かび上がっている。足跡が少し前にここに人が来た事をおしえてくれる。
予感めいた思いが確信へと変わる。
広間の中心からまっすぐとのびる階段を一息で駆け上がり、目的の部屋の扉を開けると、薄暗い部屋の中央に天窓から柔らかな円形の光が降り注いでいた。
光の中心に身体を置き、背伸びして丸い天窓を開けると、新鮮な空気が室内に流れ込んで来る。
逸る気持ちのまま、窓の淵を掴み、懸垂の要領で上半身を一気に外まで持ち上げると、屋根の天辺、錆び付いた風見鶏の足元に紐で括りつけられた、ビニールの塊が視界に入った。窓の縁に足をかけ勢いをつけて屋根の上に身体を上げると、這うようにして風見鶏の足元までたどり着くと、塊を引き千切るように外し、何重もに包まれた包装をほどいていくと佳緒に手術前に手渡されたのと同じ、満月が描かれた封筒が出てきた。
封筒を開けてみると、便箋に佳緒の見慣れた字が…
『あっちゃん、こんなクイズのような形で言葉を伝える事になってごめんね。あっちゃん佳緒が死んだら自分も死ぬからって真面目な顔でそう言ってたよね、それが佳緒はとても心配です。今もその気持ちが変わらないのなら佳緒の携帯に空メールを送ってみて下さい。佳緒を早く忘れたかったら、この手紙は見なかった事にして、捨ててしまって下さい』
僕は一瞬も迷わずに、すぐさま佳緒の携帯に空メールを送る。少しして佳緒の携帯からの返信メールが届く。メールにはあっちゃんへという題名と、動画が添付されていた。
動画を開くと携帯画面に病室のベットに座る佳緒の姿が映し出され、もう二度と聞く事が出来ない筈だった佳緒の優しい声が流れだす。
『佳緒の作ったメールや動画を、これから一年間毎日あっちゃんに届けてもらうように大事な友達にお願いしてあります。
あっちゃんに伝えたい事365通のメールでも、まだ全然足りなかったよ。あっちゃんと付き合えた、この二年間佳緒は本当に幸せだったけど、もっともっとあっちゃんと同じ時間が過ごしたかったです』
そう言って涙ぐみ俯く佳緒。再生が終わり真っ暗になる携帯画面。佳緒が亡くなってから初めて流れでる涙が止まらなかった。
干からびてしまわないのがとても不思議なくらいに、僕は一晩中泣いた。
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