第10話

   ちよこ3

 聞きなれたチャイムの音が授業の始まりを告げる。クラスメイト、特に男子達が騒いでいる。今朝の全校集会であった教育実習生がくるからだ。周囲の盛り上がりをよそに、私の目はあの人を追ってしまう。前日の席替えで手に入れた、片思いの私にとっては、隣の席よりも断然幸せな、教壇と一直線上に並ぶ彼の斜め後ろの席。

授業中ずっと好きな人を見続けていられる幸せを噛み締めていると、担任の小山先生の後ろについて、教育実習生の女の人が教室に入ってきた。

少しきつめだけれど整った顔立ちに、自然な感じの流行のメイク、大人の女性の色っぽさと清楚さが同居していて、男子達が騒ぐのもわかる気がする。

実習生はクラス中の視線を一身に受けながら、黒板に定規で書かれたような読みやすい綺麗な文字で名前を書く。

「有川美紀と言います。短い期間ですが、あなた達とたくさんの事を学んでいきたいです。宜しくお願いします」

 そう言ってお辞儀をする美紀先生を見て、美人って私みたいな平凡な容姿の人に比べていったいどの位の得をするのだろうと、そんな事を考えてしまう。

 小山先生は綺麗な若い実習生が来たのがよほど嬉しいらしく、ずっとニタニタしている。そんなだから30過ぎても彼女が出来ないのではないかと心の中で失礼な事を思う。

「美紀先生は彼氏とかいんの?いないなら俺と付き合ってよ」

 チャラついた一人の男子が口火を切ると、俺も俺もといっせいに騒ぎ出す。小山先生が騒ぐ男子生徒達を、真っ赤な顔で怒鳴るのだけど、まったく効果がない。尚美じゃないけど、こういう時、同い年の男子の言動は少し子供っぽいなと感じてしまう、

 私が少しだけ困った顔をした美紀先生を見ると、不意に美紀先生が胸元から白いハンカチを取り出し、教壇にあったペンでそのハンカチに何かを書き始めた。

「いいわよ、じゃあこうしましょう。私が今から出題する問題に答える事が出来た子とならお付き合いします」

 ただオロオロとする小山先生を無視して美紀先生は言葉を続ける。

「私が今このハンカチに書いた言葉を答えて下さい。ヒントは最後のニュースです。期限は私の教育実習期間終了までとします」

 美紀先生がそう言って女の私でも目を奪われる位の素敵な笑顔で微笑むと、クラスの男子達のテンションは最高潮まで上がっていった。


次の休み時間は、クラス中が、美紀先生の出したクイズの話題で持ち切りだった。

「ねえちよこ!あの教育実習生、クイズに答えられたら付き合うだとか、何か馬鹿にしてると思わない?」

 中学生なのに必要以上に薄くしてしまった眉をアイブロウで書き足しながら、尚美が同意を求めてくる。

「からかわれてるだけなのに、男子は実際にがんばっちゃう訳だから馬鹿にされても仕方ないじゃん」

 そう言ってしまった後、自分達の会話の内容が、学園ドラマの悪役女子みたいに思えてきて何だか悲しくなっていると、背後から急に抱きつかれる。

「それじゃあ私達で男子達より先にクイズ解いちゃおうよ」

 佳緒が後ろから私に抱きついたまま何だか魅力的に思える提案をしてくる。佳緒といい美紀先生と言い、とてつもない美人には人を引き付ける特別な引力のようなものがあるようにおもう。気づくと、いつのまにか、その人を中心に世界が回っている。

「いいねそれ!いっちょやったりますか!」

 私より早く佳緒の引力に引っ張られた尚美が言う。背後から、私の鼻先をかすめる佳緒の少し甘いシャンプーの香り。あまりに心をくすぐる、その匂いに思わずどこのシャンプーか聞いてしまう。

 佳緒に対する少しだけの嫉妬と大きな憧れが、私の返事をいつも尚美より1テンポ遅らせる。

「いいね佳緒やろう」

 私がそう言うと佳緒がとても嬉しそうな無邪気な顔で微笑む。何だかその笑顔は少しだけ美紀先生に似ている気がした。



 クラス中を巻き込む盛り上がりをみせた美紀先生のクイズ、最初の一週間は最終のニュース番組に謎が隠されているとか、ニュースって言うのは手紙の事じゃないかとか騒いでいたのだけど、まったく解けないその問題にだんだんとみんな興味を失っていき、今では口にする生徒すらいなくなっていたのだけど、そんな中で天邪鬼な私は、簡単に諦める周りに反発して教室の自分の席であぐらをかき、食べ終わったアイスの棒をガジガジとかじりながら、昨日の夕刊の最終ページを広げている。

「ちよこ、あぐらは止めようよ、新聞、開いてる姿、何かおじさんみたいだよ」

 佳緒が苦笑しながら言う。

「パンツ見えそうだっつうの嫌なもん見せないでよね、あんたまだあのクイズの事、考えてんの」

 あぐらなんてかかなくても、パンツの見えそうな短い丈のスカートの尚美がさっきの授業で配られた進路希望調査のプリントを丸めて私の頭を叩いてくる。

「だってこのまま諦めるのって、何か悔しいじゃんか」

 美紀先生の教育実習の期間も、残り少なくなってきた。クイズからクラスメイト達が興味を失っていくのと反比例するかのように、美紀先生の人気はどんどん上昇していった。

 優しい性格に上品な物腰、気さくな態度で、美紀先生の事を最初は嫌っていた尚美が、今では恋の相談までしているのだからその人気は本物だ。

 勇気をだして多くの男子が、最初の頃の冗談半分ではなく本気で告白したのだけど、結果は聞くまでもなく全員玉砕だった。

「クイズ解いたって美紀先生が本当に付き合ってくれる訳ないんだし、第一ちよこは別に美紀先生と付き合いたい訳じゃないんでしょ」

 呆れた口調で尚美がつっ込んでくる。

 進展のないまま刻々と近付いてくるクイズの期限と、もう諦めてしまった佳緒と尚美の態度に少し不満を感じながら、窓の外に目を向けると、校庭の銀杏の葉が風見鶏の周りをクルクルと舞っていた。

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