第12話

 ちよこ5

 クイズの答えの糸口すらも見つからないまま、美紀先生の教育実習の最終日がやってきた。クラス内を見渡すと数人の女子がハンカチで目元を押さえている。

 中学三年にもなると、短い期間の付き合いになる教育実習生がいなくなるからと言って、泣くほど悲しむ子はあんまりいないのだけど、美紀先生との別れは特別なようだ。

 教壇では美紀先生が、みんなからの視線を一身に受け微笑んでいる。

「みなさん本当に素晴らしい時間をありがとう。幼い頃からずっと憧れていた教師という職業が、いかに大変で、どんなに大切なものか私はこのクラスで学ぶ事が出来ました」

 悲しむ私達を暖かい眼差しで見つめながら、美紀先生が涙声だけれど何故か教室の隅まで良く透る声で語りかける。

「私が初めてあなた達に出会った、あの日に出したクイズ、誰か解けた人はいるのかしら?」

 美紀先生のその言葉に周囲を見渡すと、現在単独トップで私のぶん殴ってやりたい男ランキングに位置するアキラがただ一人手を上げていた。

「まあアキラ君答えが解かったの?」

 美紀先生が嬉しそうにアキラを見る。その直後のアキラの行動は、私の想像の遥か斜め下をいく最低な物だった。

 アキラは両手のひらを机につき、もったいぶった感じでゆっくりと立ち上がると、ちらりと佳緒をみた。「佳緒さんが、こんな簡単なクイズ何でみんな解けないんだろうって言ってました」

 アキラのその発言を聞いて、私は全身の血が沸騰しそうになる。なんてレベルの低い嫌がらせをする男だろう。佳緒を見ると悔しそうに下唇を噛み泣きそうな顔でうつむいていた。私はこの時ほど自分の名前に感謝した事はない。

 大きな音をわざと立て、座っていた椅子を後ろにはじき飛ばす程の勢いで立ち上がりみんなの注目を集める。 

 考えが頭の中でまだ文章として機能しないまま、私は勢いだけでしゃべりだした。

「えーっと美紀先生の出したヒントの最後のニュースって言うのはジャニーズグループのNEWSの事で…」

 考えがまったくまとまらず、よりにもよって尚美が力説し、私と佳緒とで大笑いしていた答えを思わず口走ってしまう。

「ちよこさん美紀先生とそんなに付き合いたいの?」

 アキラの言葉に、クラスの男子達が笑い声をあげる。悔しくて悔しくて堪らないのに、ここでキレたら佳緒に迷惑がかかると思いぐっと耐える。 

 気がつくと私はどうっしてもらえる訳もないのに無意識の内に大好きなあの人を見てしまっていた。彼は周囲の男子達のように私の事を笑ってはいなかったけれど、興味なさそうに窓の外を頬杖して見ていた。私が自分勝手に落胆して彼から視線を外そうとしたその時、彼が不意に立ち上がった。

 立ち上がったその姿に何故か電車で席を譲っていたあの日の姿が重なる。一瞬も目を離す事が出来ないでいると、彼がイメージと違う強い口調で言葉を発した。

「何もしてない奴らが、頑張ってる人を笑うなよ」

 クラス中の視線が彼に集まる中、自分を非難する彼の言葉に苛立ちアキラが怒鳴る。

「おい黙れよメガネ!」

 そんなアキラの言葉に、微塵も動じる様子を見せず、彼は静かにアキラの席に近づいて行くと、メガネを外し机の上に置いて言った。

「アキラ知らないなら教えてあげるけどメガネは元からしゃべんないよ」

 予想外の彼の行動に、アキラは言葉さえ出なくなっている。

「みんな笑ってたけど、西岡さんの答えはかなり正解に近いよ」

 私は予期せぬタイミングで、彼に初めて名前を呼んでもらって鼓動が速まる。緊張し過ぎて私が彼の言葉を理解出来ないでいると美紀先生が彼に話しかける。

「あら安吾君は、答えが解かってるみたいね」

 彼は…安吾君は美紀先生の言葉に肯定の意味を込めるかのように、浅く頷くと話し始めた。

「ジャニーズのNEWSってグループ名は、新しい情報って意味とNorth【北】East【東】Wast【西】Sous【南】の頭文字を取って世界の全方向で活躍出来るように名づけられたもので、美紀先生の【ニュース】って言葉は東西南北を示していて、【最後の】って言葉は寄席なんかで…紅白歌合戦の方がわかりやすいかな、最後に出演する人を【取り】って言うんだけど、これをもじっていて【鳥の東西南北】つまり【最後のニュース】ってヒントは、この教室の南側から見える風見鶏を示していて、その風見鶏の足元にハンカチを結んでおいた、それが正解ですよね美紀先生」

 安吾君が一息で話し終えると、私は自分が涙ぐんでいる事に気づく。湧き上がってくる、あまりに強い安吾君を思うこの感情をどうしたらいいか分からず、私が戸惑っていると美紀先生が安吾君の答えを肯定する。

「凄い安吾君!大正解よ。じゃああのハンカチに何て書いてあったか、みんなにも教えて貰えるかしら」

「あなた達は本当に大切な、私の初めての生徒ですと書いてありました。つまり僕達は付き合う【対象ではない】ってそういう事ですよね」

 安吾君の答えに美紀先生が本当に驚いた表情で、薄いピンクのマニキュアを塗った右手を口元に添えて微笑む。

「まあ残念、先生安吾君とならお付き合いしたかったな」

 美紀先生はそう言うと今まで見た事もない、妖艶とまで思える表情で笑った。

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