第七話 『怠け者vsエゴイスト』

「アイ、という名の新鬼です。ラキさん、よろしくお願いいたします」と、新羅が申し送りをすると、ラキは漫画を読みながら「あっ、そう」と興味無さそうに言った。

「お前も挨拶しろ」と新羅がアイを促すと、いかにもダルそうに横に立っていたアイは「チョリ〜ッス」とピースサインから目を覗かせて言った。

「ちゃんとしないか!」

「よろしくゥ!」

「よろしくお願いいたします、だろ?」

「はいはい。うっさいな」

 アイは面倒くさそうにそう言うと、頭をポリポリかきながら「よろしくおねがいしまーす」と、ペコリと頭を下げた。


「挨拶も出来ねぇのかよ」とラキは、読んでいた漫画本をテーブルの前に放り投げ、初めて二人の方を向いた。

 そしてアイの顔を見て「お前、どこ大?」と聞いた。

「大学とか出てないし」とアイは答えた。(アイは高校の在学中に死んだので、最終学歴は中卒ということになる)

「は? 大学出てないヤツが、何でここにいんだよ?」ラキが言うと「ちょっと、色々ありまして」と新羅が答えた。

「ロクなやつしか来ねぇな」ラキは言い、小さく舌打ちした。

「すいません。ラキさん」

 新羅が謝ると、ラキは「あ?」と、眉を寄せ「さん。じゃねぇだろ?」と新羅に凄んだ。

「俺は、お前の何だ? ああ?」

「上司です」

「だったら、さん、じゃねえだろうが? 獄卒長"様"だろうが! 青鬼の分際で、調子に乗ってんなよ! 殺すぞ!」

 ラキが怒鳴りながらテーブルの上に置いてあった灰皿を投げつけると、新羅の体に当たりネイビーのスーツが白く汚れた。

「おら、謝れ!」

 新羅は真っ直ぐ立ってラキを見据えていた。握った拳が小さく震えている。


 その様子を黙って見ていたアイは「くそダセェな、お前」と、ラキに言った。

「なんだと?」

「あんた、モテないでしょ。デブだし。チンコ小さそうだし」

「ああ?」

「学歴とか肌の色とか、そういう上っ面でしか物事を図れない奴は、だいだいチンコ小さいっつうの」

「おい、新入り。テメェ、誰に向かって口きいてんだ? 俺はここの責任者だぞ!」

「いやマジでクソだな。外でみんな必死に働いてるのに、ソファにふんぞり返って、タバコ吸ってマンガ読んで、そんで責任者だって? そんな事、おっきな声で言って恥ずかしくないの? 言っとくけど、そんな上司に付いてくる奴なんていないからね。そんで、あんた何でモテないの〜とか、思ってるっしょ。教えてあげようか? 本当にモテる男ってのはね、汗水たらして一生懸命、死にものぐるいで生きてる男だよ! あんたなんか、新羅の足元にも及ばないよ!」


「やめろ! アイ」新羅が言った。

 そして、ラキに向かって深く頭を下げ「申し訳ありませんでした」と言った。

「何でこんな奴に謝るんだよ!」アイが言うと、新羅は頭を下げたまま「これが仕事だ」と言った。

「忘れるな。これが、社会だ」

 ラキは、フンと息を吐き

「おい、女。覚えとけよ、明日から」とアイに言った。



 しかし、ラキのその計画は儚くも失敗に終わった。

 アイのダメぶりはラキをも遥かに凌駕するもので、昨日のあの啖呵は一体だれが吐いたものなのか、次の日、アイはさっそく遅刻して職場にやって来ると、獄卒長部屋のソファに座り込み、置いてあったラキのタバコを勝手に吸いながら化粧をし始めた。


「貴様っ! 何をしている!!」とラキが怒鳴りつけると「ちょっと待って〜」と、気怠そうに言い、マスカラを塗り始めた。

「ここは貴様のような新入りが勝手に入っていい部屋はではないんだ! さっさと出ていけ!!」

「いいじゃん、別に」

「ダメだ! 早く現場に行け! これは命令だ!」

「朝から大きい声出さないでよ。あたし、低血圧なんだから、ちょっと静かにしてくんない?」

「もう昼過ぎだ!! 初日から、こんなに遅刻してきやがって! 早く仕事に向かえ!」

「待ってよ〜、化粧してるんだから。ていうか、あんたやる事ないならコーヒー買ってきてくんない? スタボのやつ」

「ふざけるなっ!! なぜ俺が貴様のコーヒーを買いに行かないといけないんだ!!」

「いいじゃん。どうせヒマなんでしょ?」

「ダメに決まってるだろうが! なめてるのか! おい! さっさと立てっ!」と、ラキが肩に手をかけると「やだ、セクハラ」と言いながら、アイは腕を振り上げた。


 次の瞬間、ラキは床に倒れていた。 


 あれ? とラキは思った。俺、こんなに弱かったんだっけ、と。鼻を啜った。血の味がする。なんだろ、この感じ。あれ? 涙が止まらない。負け犬? ああそうか、俺は負け犬だ。なんだかもう立ち上がりたくない。


 化粧を終えたアイは背伸びをして立ち上がった。そして、パンパンと顔を叩き「よし、がんばろっ」と言って、動けずに横たわっていたラキを踏みつけて外に出て行った。



 しかし、10分もしないうちにアイは戻ってきた。

 突然、ドンッ! と大きな音がして部屋の扉が開き、ラキはビクッとした。

「ちょっと、マジで最悪なんだけど!!」と、厚底を床に打ちつけるように、ドカドカ入ってきた。そして顔に氷を乗せて、ソファで横になっていたラキの前まで来ると「ちょっと見てよ! これ!」と言って、手の爪を見せてきた。何か猛烈に怒っているようだった。長く伸ばされた爪には綺麗にピンク色のネイルが塗られている。

「え? ‥‥‥はい?」とラキは気押されたまま声を出した。

「ほら! ここ!」とアイはネイルの一部分を指差した。ネイルは遜色なく塗られている。なにか気に食わない事があるのだろうか。

「ほら、ここ! 見てよ! ここ! マジで、さいっ、あく、なんだけど!」

「‥‥‥え?」

 ここ! と、怒鳴られる度に自分が怒られているような気がする。目を細めて見てみるが、怒っている原因が全く分からないので、忖度のしようもない。

 唖然とした顔で爪を見ていると「ねえ、聞いてよ!」と、アイはすごい剣幕で喋り出した。

「向こう行ったらさ、いきなりデカいハンマーみたいなの持たされて、それで亡者を叩けって言われたのね! すごい意地が悪そうな黄色の奴にね。ガチのハンマー。すんごい重いやつね! でも、あたし頑張って持ったの! 仕事だからね。ほんと、昨日の新羅の顔とか思い出しながらね。がんばろっ、て思ったから、マジで重たかったけど一生懸命がんばって持ったの。でもさ、やっぱ重いから、だんだん手が痛くなってきて。デカい鬼がフン、とかって笑って。ほんと、あたし泣くの我慢して。クソ、見てろよって思って、振り下ろそうとしたの。そしたらさぁ、ねぇ聞いてる!? そしたらそれがね、すべって手に当ったの! あ、痛いって思って、それで爪見たら。ほら! 見てよ、ここ! 昨日塗ったばっかなのに、擦れてるの。ねぇ、ひどくない!?」


 アイは機関銃のようにひとしきり喋り終わると、少し落ち着いたのか、フウと溜息をつき、向かいのソファに座りタバコに火をつけて言った。


「あ〜あ。なんか疲れちゃった」

 

 それから、アイは現場に戻る様子もなく、置いてあった週刊誌をパラパラめくったり、スマホを見たりしているうち、あくびをし始め「帰ろっかな」と言った。「龍に餌やんなきゃだし」と言って、ラキのタバコを持って出て行った。


 台風が去った後のように、静かになった部屋の中でラキは呆然としていた。 

 なんなんだ、あいつは。一体何しに来たんだ?



 それから一週間、アイは顔を出さなかった。

 ラキは胸を撫で下ろした。

 あの日から、アイの顔を思い浮かべただけで胃が痛んだ。食欲もなく、夜もあまり眠れない。

 きっと嫌になって自分から辞めたのだ、そう思うと心が晴れた。


 しかしある日、出勤してきたラキは、自分の部屋の前で足を止めたまま愕然とした。


 あれ? 

 ど、どこだ? ここは!


 部屋がピンク色になっている! 

 壁も絨毯も、毒々しいピンクになっており、ヒョウ柄のカーテンにドレッサー。冷蔵庫にベッドまで置いてある!


 恐る恐る中に入っていくと、高そうな革張りのソファでアイがタバコを吸っていた。


「‥‥‥お、おい」ラキが声を掛けると「オッハー」とアイは挨拶した。

「な、な、なんだ、これは?」

「どう? かわいくない?」

「え? いや。え? ‥‥‥な、なんで?」

 言葉が出てこなかった。状況が把握できない。

 ラキが呆然と口を開けていると「あたし、ここに住むから」とアイが言った。

「‥‥‥え? な、な、なんで?」

「ほら、あたし家ないじゃん! だからちょうどいいかな、と思って。職場も近いし、っていうか職場だけど」

「こ、こ、これは、全部お前のものか?」

「そう。買ったの」

「買った?」

「うん。ローンで」

「ロ、ローン?」

「そう。獄卒ってすごいんだね。獄卒証みせたらすぐにローン組めた。そんで考えたんだ! やっぱさあ、社会人になったからには環境が大事じゃん! プライベートが充実してると、仕事がんばろって気になるし。アガるよね、マジで」

「‥‥‥え? ちょっ、お、俺のものは?」ラキが聞くと、アイは「あそこ」と扉の外を指差した。

 獄卒たちが休憩する詰所の端に、今まで部屋の中にあったソファやテーブルが雑に積み上げられている。

「‥‥‥」

ラキが呆気に取られていると「ねぇ」と、アイが急に甘えるような声で言った。

「‥‥‥え? な、なに?」

「お金、貸してくんない?」

「はい? ど、ど、どうして?」

「もうローンの枠いっぱいなんだって。それでね、ここにシャンデリアつけようと思って」

「‥‥‥シャ、シャ、シャンデリア?」

「そう。絶対かわいいと思うんだよね! だから、お願い! 給料出たら返すから貸して?」


 ラキは、だんだん目の前が真っ暗になっていくのを感じていた。

 そして、アイが来る前までの幸せな時間を思い出し"幸せというのは無くした時に初めて気づくのだ"と、人生、もとい鬼生の機微を知った。

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