第十六話『ミユミユ』 

 1学期の終業式が終わった。

 明日からの夏休みに、全ての生徒は浮き足立っていた。通知表を見せ合ったり、宿題が多いとか、自由研究とか、どこそこに旅行に行くとか。

 クラス中がザワついている中、アイとヒナとマッティは教室の端の席で、なにやらコソコソ話し込んでいた。 


 それは「カラオケボックス行かない?」とアイが言い出した提案について。


「学校で禁止されてるじゃん」ヒナが言った。

「でも保護者同伴ならいいんでしょ?」とマッティが言った。「うちは仕事してるから多分むりだけど。二人のとこは?」

 アイとヒナは黙って首を振った。 

 それからしばらく誰も喋らなくなり、突然「あたし、やろっか?」とアイが言った。「保護者役」

 二人はアイの顔をジッと見て考えた。

「まあ、アイ、老けてっからね」ヒナがボソッと言うと「老けてねぇし!」とアイが返した。

「お姉さんっぽい、って言ってもらえる?」

「おねえさんぽい」

「何、その言い方!」

「あんたが言えって言ったんじゃん。はい。おねえさんぽい」

「いや、ヒナあんた本当ムカつく。マッティ、何か言ってよ」

「食べる? これ」

「‥‥‥なに食べてんの?」

「たくわん」

「何で、たくわんなんか持ってんの? てかクサッ」

「クサッ! あんたそれずっとランドセルの中、入れてたの?」

「そうだけど?」

「中、臭くなるよ」

「いや、たくわんは臭くないよ」

「いや臭いっしょ! 普通に。」

「くっくっくっ。ウケる。マッティ最高。やっぱ、あたし、あんた好きだわ」

「私も好き〜! てか、何の話してたんだっけ? ‥‥ああ、保護者役?」


「でも、見えてもギリ中学生じゃない?」マッティがアイの胸を見て言った。「ペタンコだし」

「いや、そこ?」

「そりゃそうでしょ。大人って言ったら」

「なんか入れてみる?」

「何を?」

「バレーボールとか?」

「いや、それデカすぎるだろ!」


「じゃあ、化粧してみる?」とヒナが言った。

「うちのお母さんので」

「化粧ってどうやんの?」

「なんか白いのばーって塗って、口紅みたいの付けとけばいいんじゃないの?」

 マッティがそう言うと「適当かよ!」と二人が声を合わせ突っ込んだ。



 「私できるよ」


 その時、突然うしろから誰かが言った。

 そこに居たのは、朝倉 夢月。委員長だった。

 三人は息を飲んだ。よりによって委員長に聞かれてしまった。というか、いつからそこに居たんだろう。ずっと会話を聞いていたんだろうか?

 三人が何も言えずに固まっていると「そのかわり、私も連れてって」と委員長が言った。

「え? カラオケだよ」ヒナが言うと「私も行ってみたい。カラオケボックスってとこ」と委員長が言った。

 全く何を考えているのか分からなかった。校則違反だという事がわかっているのだろうか。

「見つかったらヤバイんだよ。めっちゃ怒られるし、学級委員も辞めさせられちゃうかもよ? それでもいいの?」アイが聞くと「いい」と委員長は言った。棒読みみたいな平板な口調だった。


 そして「みゆも一緒に行こ」と、下にいた深雪に言った。




   『ミユミユ』


 小鳥遊 深雪(たかなし みゆき)は、障害児だった。


 車に撥ねられたのは8歳の時だった。

 頚椎脊髄損傷。もう自分の足で歩く事は出来ないと医師から言われ、両親はその場で泣き崩れた。

 車道に飛び出した自分が悪いのに、運転手は何度も家に来て謝った。

 若い女の人だった。

 その人の人生もダメにしてしまった。

 深雪は深い自責の念に駆られた。


 うそ。

 

 本当は違う。  

 そう思い込もうとしていただけだ。


 あの女の人が免許、取り立てだったから。

 あの時、もっと早くブレーキを踏んでいれば。

 あの時キャッチボールしてた友達が暴投しなければ。

 ママがちゃんと私の事を見ていてくれてれば。  


 なぜ、私だけ?


 世の中の条理は不平等で残酷だ。


 自分と同じくらいの子供が走り回っているのを見るたび、深雪は世界を呪った。   

 なぜ私だけ? と。


 深雪が障害児になると、まわりにいた子は気を遣ってしばらくの間は一緒に遊んでくれた。

 でも、車椅子の深雪には出来ない事が多すぎた。だんだん、周りから人が居なくなっていった。

 かわいそうな障害児、というレッテルを貼られ、遠巻きに気の毒がられた。



 夢月(むつき)が転校してきたのは、事故に遭った次の年だった。

 学年で一番頭が良く、進級するとすぐに夢月は学級委員長になった。


 委員長だから、一緒にいてくれてるんだ。     

 深雪は思っていた。それが「仕事」なのだからと。

 いつも、車椅子の後ろには夢月がいた。深雪が出来る事は一緒にやり、出来ない時は黙って傍にいた。

 委員長だから。仕事だから。

 深雪はそう思っていた。


 しかし、学年が上がって違うクラスになっても、夢月はいつも深雪の側にいた。

 朝は深雪の家まで迎えに来て、帰りも一緒だった。学校行事で外に出る時も一緒に行動した。坂道があれば車椅子を押し、大きな段差があると人を呼んでくれた。

 素直にうれしかった。

 障害に手を差し伸べてくれる事もそうだけど、それよりも、どんな時でも深雪が一人にならないようにしてくれた事。

 それが、何より嬉しかった。

 でも、深雪はそのうち申し訳なく思うようになった。夢月の大事な青春の時間を奪ってしまっているような気がした。


「むっちゃん、いいよ」

 ある日、深雪は夢月に言った。

「私なんかとずっといなくても」

 すると夢月は「別にそんなんじゃないから」と言った。

 言ってる意味がよく分からなかった。

 言葉数が少なく、いつも一番大事な部分は行間に隠されてしまう。そこに夢月の真意を探るが、結局なにを考えているのか分からない。 

 何を言ったのかではなく、何を言わなかったのか。それが夢月が人に意思を伝える方法だった。でもその多くは人に伝わらない。  

 ちゃんと他人とコミュニケイト出来ない。思うようにならないそのもどかしさが手に取るように分かった。

 自分と同じだと思った。


 だからあの日。

 初めて夢月が自分の意思を表に出したあの時、深雪は自分の事のように嬉しく思った。

 そして夢月の力になってあげたいと、そう思った。


 終業式の日。問題児のヒナと転校生のアイ、それからいじめられっ子だったマッティが、教室の端でボソボソ喋っているのを、夢月はジッと見ていた。


 そして「行こ」と言って、車椅子を押した。

 

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