第十七話『委員長』

 夏休みが始まった初日、アイとマッティ、それから委員長と深雪は、ヒナの家に集まった。


 ヒナの部屋の床に、ヒナのお母さんの化粧道具が一式並べられた。

 口紅は分かるが、それ以外は何に使うものなのかさっぱり分からない。

 五人はそのよく分からない道具をジッと見下ろして、それから委員長の顔を見た。

 なぜ、委員長は化粧の仕方を知っているのか。誰も聞かなかったし、自分からも言わない。しかし、なぜか出来そうな気がした。学年で一番の才女。できない事など何もない。

 全く根拠はないが、何だかよく分からないオーラのようなものが四人には見えた。


「集中したいから」と委員長は静かに言った。

「二人にして」

 そして、アイと委員長を残して三人は部屋を出た。


 それから三十分後、隣の部屋で待っていた三人が呼ばれ、部屋に戻るとアイが背中を向け椅子に座っていた。

「できたよ」

 委員長が言い、三人は恐る恐るアイの正面に回った。  

 

 三人は絶句した。


 そこにいたのは、まるでコウ○太夫のような真っ白な女だった。

 真っ黒に縁取られた目の位置は、福笑いのように上下にずれ、真っ赤な口紅は唇から大きくはみ出している。消したり描いたりするうち、収拾がつかなくなり何度も重ね塗りしたのだろう。油絵の要領で。トライアル&エラーの蓄積。その結果できあがったのが、コ○メ太夫だ。

 よく見ると委員長の手は色々な化粧にまみれ、真っ白だった。


「どう?」

 委員長は聞いたが、三人は何も言えなかった。


「どう?」じゃねぇよ! とヒナは思い、

 なんつーバケモンだ‥‥‥とマッティは驚愕し、

 深雪はお腹を抑えて、下を向いていた。

 クックックック。と声が漏れ、それから我慢できずに、あはははははは! と、大きな声で笑い始めた。


 深雪は、久しぶりに笑った。こんなに笑ったのは事故に遭ってから初めてのような気がした。なぜ笑われているのか分からず、キョトンとした二人の顔を見ると、余計におかしくなった。

「あははは! あはははははっ!」

 ヒナが呆れた顔で「これは無いわ〜」と言い「捕まる、捕まる」とマッティも言い、それから二人とも深雪に釣られて笑った。 


 結局、アイの化粧化計画は中止になった。 

 あんな顔の人間が小学生を四人連れて歩いていたら、カラオケボックスにたどり着く前に警察官に尋問されてしまう。

 薄い色の口紅だけ引いて、マッティが家から持ってきたお婆ちゃんの紫色のサングラスを掛け、ヒナのお母さんのベージュのワンピースを着せた。

 それはそれで、オバさんなのか若いのかよく分からない年齢不詳の怪しい人だったが、おそらくみんなはコウメで感覚が麻痺してしまったのだろう。出来上がった保護者アイの姿を見た四人は、微妙な顔で頷いた。


「どこのカラオケ行くの?」

 その中で一人だけスマホを持っていた委員長がみんなに聞いた。

 地元の赤羽には、駅前や商店街の中にいくつものカラオケボックスがあったが、知っている顔が多すぎる。

 すぐにアイが手を上げた。

「渋谷っ!」

 ギャルの聖地、渋谷。アイの憧れの町だった。

 みんなは「う〜ん」と、顔をしかめた。

 埼京線一本で行けるが、小学生だけで行くには少し敷居が高いような気がした。

「渋谷渋谷! 渋谷行きたい! マルキュー、センター街! 絶対、渋谷〜!」

 結局アイに押し切られて渋谷のカラオケに決まった。


 車椅子が入れるバリアフリーのカラオケボックスを、委員長がスマホで見つけた。

 センター街の奥、井の頭通りへ続く路地の雑居ビルの一階に店はあった。

 アイを先頭に五人が店に入っていくと、受付にいた店員は、アイの姿に一瞬たじろいだが、すぐに営業スマイルで「いらっしゃいませ」と言った。

「ごっ、五人なんだけど、すぐ入れる?」

アイが声をうわずらせて聞くと店員は訝しげに目を細めた。

「あの〜、車椅子でも大丈夫、ってネットで見たんだけど」

 店員は深雪の車椅子を見た。そしてパソコンを覗いて「あ〜、大丈夫ですよ。すぐ入れます」と言った。そして、五人を一番大きな部屋に案内した。


 部屋に入って早々、マッティがフードメニューに釘付けになった。

「すごい! ピザもパスタも、ラーメンまであるじゃん! やば! 何これ? ナシゴレン? ガパオライス? コレなに? なに料理? すんげぇ! デザートもメッチャあるし。ヤバイヤバイ!」

 と、マッティが鼻息を荒くする中、来る前の勢いはどこに行ったのか、アイとヒナは初めて来るカラオケボックスに完全に萎縮していた。

 ドリンクを注文し曲を選び始めると、急に静かになった。

「あ、先に‥‥いいよ。歌って」アイが言った。

「‥‥うん。あ、でもアイ、お先にどうぞ」ヒナが譲ると「‥‥うん。でも、あたしまだ決まってないから‥‥‥いいよ先に」とアイが言った。

「‥‥でも、アイが行きたいって言ったんだから‥‥‥ほら、先に歌いなよ」

「‥‥うん‥‥‥あ、でもヒナ、あれ。あれ歌いたいって言ってたじゃん! ブルーハーツ」

「‥‥うん‥‥‥でも‥‥‥ないんだよね、ここ。ブルーハーツ」

「は? ない訳ないじゃん。あ。あたし選んであげよっか?」

「えっ!? ‥‥いいよいいよ。てか、今日なんか、喉の調子が‥‥」

 などと、まごまご順番の押し付け合いをしていると、いきなり大音量で曲のイントロが流れ、二人は驚いて、お互いの腕を抱き合った。

 壮大なストリングスの中、モニターに「異邦人」と曲名が映し出された。そしてマイクを持ちおもむろに立ち上がったのは、委員長だった。

 アイとヒナは唖然とした顔で、朗々と歌い始めた委員長を見上げた。天井のミラーボールが突然まわり出し、委員長の眼鏡に反射している。恥ずかしがっている素振りはないが、楽しそうにも見えない。

 そして委員長は歌い終わると、静かに座り、何も無かったかのようにまた次の曲を選び始めた。

 それが正しいカラオケの楽しみ方なのかは分からなかったが、なにかの業務のように粛々と進行する委員長のカラオケを、四人はただ見守る事しか出来なかった。


 それから委員長のワンマンショーは、石川さゆりの「天城越え」、中森明菜の「少女A」、山口百恵の「イミテイション•ゴールド」と、なぜか激情系の懐メロばかりが続き、四人は聴いた事のない昭和歌謡メドレーを、ただ呆然と見ていた。

 そして一時間が経過した頃、部屋の電話が鳴った。委員長が取り、誰の意見も聞かず電話先の店員に言った。

「延長で‥‥‥」

 そう言って電話を切ると、委員長は着ていたジャケットを放り投げ、腕まくりした。そして腰に手を当て、目の前のカルピスを一気に飲み干すと、ダンッ! と勢いよくテーブルに置き、長い髪をかき上げた。

 ミラーボールに反射した汗が、スローモーションのようにキラキラ舞い落ちる。

 よく分からないが、四人には委員長が神々しく見えた。


「かっけぇー‥‥」

 アイがボソッと呟いたその瞬間、頭を叩かれたように四人のフリーズが解除された。

「むっちゃん! カッコいい!!」と深雪が目をキラキラさせ「私も! 私も次、歌う!」とヒナは慌てて曲を予約し、マッティはものすごい勢いで料理を注文し始めた。



 そして二時間後。


 テーブルの上で、銀杏の曲を歌っていたヒナを、四人は熱に浮かされたような顔で見ていた。

 何百回も聴いた曲だった。

 薄暗い部屋の中で、静寂を紛らわすように一人ぼっちで何度も聴いた。

 息が詰まって途中から歌えなくなった。


「がんばれ! ヒナ!」

 マッティが言った。


「ヒナちゃん! がんばって!」深雪が言い、

 アイは腕を振り上げ、

 委員長は黙って眼鏡を光らせた。



 小学四年生の夏休み。

 センター街のカラオケボックス。

 五人は、その箱の中で、かけがえのない友達を見つけた。  

 彼女たちの青春はそこから始まった。


 カラオケボックスの中のミラーボールのようなキラキラした興奮に胸をときめかせ、思い切り笑ったり泣いたり。喧嘩したり、抱きしめ合ったり。

 

 そんな日々が、

 そんな毎日が永遠に続くのだと思っていた。


 きっと、


 きっと、『そんなひとときを 青春時代と呼ぶのだろう』


 


 

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