第二十二話『発情』

 王庁に着く少し前に遡る。


 手綱を握り馬車を運転するキムの横顔を、アイは熱に浮かされたような顔で見ていた。

 その視線に気づいたキムは「なんだよ」と、ぶっきらぼうな口調で言った。


「なに見てんだよ」キムが言うと「見てない」とアイは答えた。

「見てんだろうが!」

「見てない」

「‥‥‥は? 見てんだろ!」

「見てない」

「見てんじゃねぇか」

「見てない」

「ふざけんな! 見てんだろ‥‥‥」

「好き」

「は?」

「好き」

「なに言ってんの?」

「好き」

「バカじゃないの?」

「好き」

「うるせぇ、だまれ」

「好き」

「だ・ま・れ」

「好き」

「お前なぁ」

「好‥‥‥」

 

 キムは手綱を離してアイにキスをした。


 突然、制御を失った馬車馬が前足を大きく持ち上げ、ヒヒーン! と慄いた。


 それは甘い"くちづけ"などではない、野生動物の本能と本能がぶつかり合う、殺し合いのようなキスだった。


 叩きつけるような暴風雨の中で

 求め合い、交わっていく。


 アイが首に手を回し胸を押し付けると、キムの引き締まった腕がさらに強く引き寄せた。お互いの体をギリギリと締めつけ合う。

 荒れた道でキャビンが跳ね上がり、キバとキバがぶつかった。金と黒の髪がバラバラと風に舞い、舌と舌が絡み合う。

 熱(いき)り勃ち、濡れていく。

 理性がはぎ取られ、剥き出しになっていく。

「好き」

 吐息混じりにアイがまたそう言うと「うるせえ」とキムは冷たく答え、そしてまたキスをした。


  

 馬車を降りた後も、アイはキムを見続けていた。

 本当に何も見えなくなっていた。

 だから、突然手を叩かれた時に、ここがどこなのか分からなかった。


 パシン!

「離せ」


 キムは、コートの裾をずっと掴んでいたアイの手を振り叩いた。

 その時はじめて周りを見回した。

 

 どこ? ここ。


 目の前に知らない鬼がいる。ロマンスグレーの中年。


 だれ?


 その鬼は向かいの椅子をアイに勧めた。

 言われるまま腰掛けると、鬼はジッとアイの顔を見つめ、ゆっくり手を伸ばし握手を求めた。


「ン〜〜、フッフッフッフッ」


 鼻で息を切るような笑い方だった。

 鬼はアイの手を握ったまま、静かな口調で言った。


「どうも。‥‥‥茨木です」


「おっさん何者?」


「口を慎め」

 キムはアイを嗜めた。


「うちのお頭だ」


「おかしら?」


「そうだ。三番隊 隊長、茨木童子様だ。四天王のナンバー3。ようは全ての鬼の中で三番目に強い」  


 ただの中年にしか見えない。痩せてて筋肉も無さそうだし、背もそんなに高くない。


「キムより?」


「あ!? 当たり前だ!!」



「ン〜〜〜、フッフッフッフッ」


 その様子を見ながら、茨木は静かに笑っていた。


「ギャルか。‥‥‥フッフッフッ」

 

 そう呟くと茨木は、足を組んだまま背中を丸め、少し前屈みになった。

 そして仕切り直すように笑みを消し、アイの目をジッと覗き込んだ。

 

 二重まぶたを作るように瞬きしながら眉を上下に動かし、ときおり鼻からスンと息を吸う。


 アイの目の中に入りこむように近づいていく。

 すると茨木の瞳孔の奥の方に渦巻き模様が現れた。

 グルグル回る渦巻きがアイの目の中に映し出され、催眠術に掛かったようにそのまま動けなくなった。


 茨木が首をかしげると、操られるように勝手に体が動いた。渦巻きに巻き込まれるように首が動き、頭の中が時計回りに回転していく。

 気づくとアイは平衡感覚を失い、椅子から転がり落ちていた。

 まだ目が回っている。


「フッフッフッフッ」


「何したの?」


「ン〜、フッフッフッフッ。まあちょっとした、手品みたいなものだ。すまんね」

  

 茨木は笑いながらそう言うとアイの手を取り、キムに首で促した。


「彼女を部屋にご案内しなさい。今日はもう遅い。明日また話をしよう。おやすみ」


 茨木はそう言ってアイに優しく微笑みかけた。


 ダンディで優しいおじさんなんだ、とアイは思い、キムの後について出口に向かおうとしたその時、


「ところで‥‥‥」

 と茨木がキムを引き留めた。


「その牛は何だ?」


「あ、こいつは大王様からの使いで‥‥」

 

 キムが答えようとすると


「ケモノ臭い」と茨木が遮った。

 今までと少しトーンが違う、険のある言い方だった。


 そして静かな声で言った。

 

「殺せ」




 部屋に入ってから、ゴズはずっと震えていた。


 茨木童子。


 知らない者はいない。

 闇冥(あんみょう)事変を収束させた伝説の鬼だ。

 最強の鬼、"酒呑童子"の一番弟子だがその実力は計り知れない。

  

 しかし、巷に広まる噂は良いものではなかった。


 冷酷無残、残虐、無情、冷血


 それらは、鬼にとっては賛辞の言葉だったが、下々の鬼達はその存在に恐怖した。



 実際に茨木童子を目の当たりにしたゴズは、奇妙な違和感を感じた。


 "邪気"が全くない。


 邪気は、鬼の子供でさえ持っている鬼特有のドス黒いオーラで、それはそれぞれの鬼の強さを表すバロメーターでもある。


 その邪気を全く感じられなかった事に対し、ゴズは薄気味悪さと恐怖を感じた。

 まるで "無" だった。

 目の間にいるのに、邪気どころか、その存在自体が全く感じられない。


 殺される。

 本能的にそう思った。


「‥‥‥うっ」

 あまりの恐ろしさに叫び声も出ない。


 ゴズは出口に向かって駆け出した。

 そして扉に手をかけた瞬間、ドン! と体に衝撃が走り、背後からキムが囁いた。


「悪りぃな」


 自分の腹から突き出た短剣の切っ先を見たゴズの視界は、そのままブツンと切れた。


 ブラックアウト。


 死。


 ああ、これで終わりか‥‥‥


 メズ‥‥‥


 俺もそっちに行くからよ。

 もうちょっと待っててくれ。   


 ‥‥‥


 ‥‥‥


 ‥‥‥



「ゴメス」


 ミツメのねえさんの声が聞こえる。


「ゴメス! 起きて!」


 ねえさん。

 短い間だったけど、楽しかったよ。


「ゴメス!!」


 色々サンキュす。


「ゴメス!!」

 

 ねえさん‥‥‥それと‥‥


「しっかりして! ゴメス!!」


 俺の名前は‥‥‥


「おい! ゴメス!!」


 ‥‥ゴメス‥‥じゃ‥‥‥‥ねぇ



「ゴメ〜〜〜ス!!!」

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