第二十一話『巨城』
外は嵐だった。
馬車は荒れ狂う海面のように波打つ道の上を、猛スピードで走っていた。
周りを走っていた馬車や龍はいなくなっており、同乗していた鬼たちは全て絶命していた。頭や体から血を流し倒れている。
キムが周りを見回すと、カウボーイさながら、マシンガンやライフルを持った何十人もの亡者たちが、四方を取り囲むように馬に乗り並走していた。
一人の亡者がアイの姿を視認し、アサルトライフルを構えた。そしてトリガーに指を当て、標準を合わせた次の瞬間「グアッ!」と悲痛な叫びを上げ落馬した。
後ろから、西洋の甲冑を着けた騎士が現れた。黒馬に乗り、薙刀のような長い柄のブレードで、周りにいた亡者達を次々と落としていく。
「おい! キム!」
騎士が叫んだ。
「テメェ! 勝手に抜けがけしてんじゃねぇぞ!」
気づくと、あちこちから亡者達の悲鳴が聞こえる。
周りは無数の騎士に囲まれていた。ブレードや長槍で亡者達を斬り殺し、落馬させていく。
それは、鬼の軍隊だった。
「うるせぇ、間抜け! 先に行ってるからな! あとヨロシコ!」
キムは叫び、それから馬車の御者台に移ると、鞭を打って馬車を加速させた。
・・・
初江大王の王庁は、冠雪の積もった高い山脈に囲まれた渓谷の奥地にある、西洋風の城だった。
かつてレオナルド・ダ・ヴィンチが設計したといわれるフランスのシャンボール城を元に大王が建造したその城は、9000万平方メートルの広大な敷地の中にあり、部屋数は1200、階段は220、720本もの煙突を有す巨大な建造物だった。
あらゆる「美」を崇拝していた初江大王は、人間達たちの持つ芸術性、とりわけ造形美術に深く心酔していた。
四隅に配されたシンメトリーの円形の塔や、水の精霊「ウンディーネ」の装飾が施された無数の尖塔と煙突、精巧な透かし彫りを施した二重のらせん階段が、四角い箱のような巨大な本丸に収められ城の各階を繋いでいる。
城、そして城下に広がる町は、美麗な自然の中に溶け込むように佇んでいた。
「キムだ! 今、戻った!」
城壁の前に馬車を止め、キムが城門の上の出窓に向かって叫ぶと、跳ね橋の鎖がガラガラと厳かな音を立て入口が開いた。
きれいに手入れされた広大な庭園の先に王庁が見える。
その壮大なファサードは美しさと共に威圧的な印象を与える。それは"権力"という名のエネルギーの塊だ。
取り込まれたらそれまで。ただ、こうべを垂らすしかない。
曲がりくねった道を進み、城の前に着くとキムたちは馬車を降りた。
キムが指笛を鳴らすと門衛塔から双眼鏡を構えた鬼の顔が覗き、しばらくすると門が開いた。
そして、城内に足を踏み入れた瞬間
「ヒッ!」と、ゴズが悲鳴を上げた。
広い通路の両脇に、全身鎧で覆われた何十匹もの鬼の騎士がズラリと立っていた。
兜を脇に抱え、訓練された軍人のように微動だにせず、等間隔に整列している。
その鬼達は、アイが今まで見てきたどの鬼とも違っていた。
極限まで鍛えられた肉体、研ぎ澄まされた殺気。それは八熱地獄にいた鬼や獄卒とは全く違う種類の、闘う為に訓練された鬼だった。
ピリピリ張り詰めた空気の中、三匹が奥に向かって歩いていくと、ある所でキムの足が止まった。
「おい」
キムは、横にいた赤鬼に向かって言った。
「何だそれは」
「はっ!」
「何だそれは、と聞いている」
赤鬼は何の事なのか分からず、また「はっ!」と返事をした。脂汗を掻き、一点を見つめる視線はブルブル震えている。
するとキムは赤鬼の方に向き、胸部の鉄のアーマーを指差した。
数センチほどの"麺"の断片のようなものが、乾いてこびりついている。
「何だ、これは?」
「‥‥‥こ、これは、その、‥‥‥麺です」
「なぜ、そんなものを付けている」
「‥‥‥も、申し訳ありません」
「なぜ、付けているのかと聞いている」
「‥‥‥こ、これは、」と、話し終わる前にキムは「連れてけ!」と周りの鬼に言った。
「ま、ま、待って下さい!」
赤鬼は何匹かの鬼に両脇を抱えられた。
「お、お、お許しください! キム様! ち、ち、違うんだ! た、た、助けてくれ! 助けてくれぇぇ!」
赤鬼は箍(たが)が外れたように叫び出し、キムに懇願しながら、出口の方へ引き摺られていった。
「お前ら、よく聞け!!」
キムは振り返り、そこにいた鬼達に向かい怒号を上げた。
「明日は大王様がお顔をお見せになる! 美を汚すものは許さん! 規律を乱したものはその場で死罪だ! それは一兵卒だろうと幹部であろうと関係ない! 今一度、改めろ! 分かったか!」
「はっ!!」
ピークに達した鬼達の張り詰めた緊張を残し、キムはアイとゴズを連れてまた奥の方へ向かった。
いくつかの螺旋階段を登り、城の上層部にその部屋はあった。
黒い鉄扉の上に「釈迦 隊長室」と書かれている。
ノックして「キムです」と言うと、しばらくの間のあと、「入れ」と中から声がした。
50畳ほどの広さの室内は全体的に薄暗く、カーテンの隙間からの僅かな光が床に何本かの線を描いていた。
どこかからクラシック音楽が聴こえる。悲しげな曲調のピアノソナタだ。
暗闇の奥から椅子に座った人間、いや、鬼の横顔が見えた。
人間でいうと六十代くらいの、肌色の痩せた鬼の顔が、ぼんやりと浮かび上がった。
シルバーの髪を後ろに撫でつけ、真っ白いバスローブを羽織っている。
キムは二匹を連れ、その前まで行くと初老の鬼に向かって言った。
「頭(かしら)、連れてまいりました。この女がミツメです」
足を組み座っていた中年の鬼は、返事をせず、何かを考えるように額に人差し指を当て、目の前の一点をジッと見つめていた。
そしてしばらくの間のあと、スンと鼻で息を吸い「バッハはいい」と呟いた。
「そこには悲しみや喜び、そして怒り。人間の持つ愚かな感情の全てがある。バッハはいい。非常に美しい」
そう言って、また音楽に聴き入った。
そしてまた、しばらく空白の時間が訪れた。
キムも話しかけることはなく、傍でジッと立っていたが、そのうち苛ついたように指でトントンと自分の足を叩き始めた。
「赤鬼か」
初老の鬼が、ふいに口を開いた。
そして「いえ‥‥‥」と、アイを見た瞬間「うおっ!」と、キムはのけぞった。
アイは、赤鬼のような真っ赤な顔をしていた。目の形はハート。上目遣いにキムの顔を見ている。
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