第二十一話『襲撃』
ゴズメズに与えられた使命は、ある要人の世話をする事。
それだけだった。
誰なのかと聞くと、偉そうな鬼が、
「ギャル」とだけ答えた。
そして「絶対に怒らせてはいけない」と。
何故なのかと問うと、その鬼は険しい顔で答えた。
「もし世界が終わる時が来るのだとしたら、おそらくそれはその瞬間だ」
あの日から、アイとゴズメズの宴は毎日続いていた。
寝ているとき以外はずっと飲んでいたので三匹とも常時ベロンベロンの状態だったが、結果的にはゴズメズを派遣した事は成功だった。形はどうであれ覚醒は止められた。
事件が起きたのは、目的地に到着する前日の深夜だった。猛スピードで疾走する馬車の中から、ゲラゲラとアイたちの下品な笑い声が響いていた。
いつものように馬鹿騒ぎしていると、いきなり馬車部屋の扉が開いた。
扉の前に立っていたのは人間だった。表情がなく、顔に黒い影がかかっている。
亡者だ。
ダラリと脱力し、感情が抜け落ちた目で宙の一点を凝視している。
アイとゴズメズが同時にそちらに顔を向けた瞬間だった。
パン! と、破裂音がして、アイの顔に血飛沫が飛んだ。
亡者が向けた黒い筒の先端から煙が上がっている。
アイは、前にいたメズの顔を見た。
数秒前の笑った顔のまま、頭から血を流して絶命している。
「‥‥‥え?」
すると亡者は銃口の方向を変え、アイに向け引き金を引いた。反射的に目をつぶる。
パン!
その時、銃声と同時にキンッと金属を叩くような音がした。
パン! キンッ!
パン! パン! キンッ! キンッ!
破裂音とそれに呼応するような金属音が
何度か続き、音は止んだ。
ゆっくり目を開くと、アイの目の前に知らない鬼がいた。
アイに背を向け、中腰の体勢で、眼前にヨーロッパの騎士が持つような短剣を構えている。
鎖帷子の上から黒いロングコートを羽織った鬼は、長い黒髪を後ろで束ねた若い緑鬼だった。
「ミツメって、お前?」
背中越しに緑鬼は言った。
「‥‥‥そうだけど」
アイが答えると緑鬼は「ギャルかよ」と、ボソッと呟き、それから目の前から姿を消した。
目視できない程の速さだった。
気づくと緑鬼は逆さ手に剣の柄を持ち、亡者の足元にかがみ込んでいた。
そして亡者が銃口を下に向けようとした瞬間、曲線を描いた斬撃が亡者を真っ二つに切り裂いた。
その間、コンマ数秒。ゾッとするようなスピードだった。
左右に分かれていく亡者の両眼に最後に写ったのは、刀に付いた血を振り払い鞘に収める緑鬼の姿。
今際の際、一瞬だけ目が合った。
血飛沫の雨の中、緑鬼は笑っているように見えた。
緑鬼は後ろでまとめていた髪を解きほどき、ゆっくりアイの方を振り向いた。髪ひもを口に咥え頭を振ると、長い黒髪がスローモーションのようにパラッと頬に落ちた。
アイはその所作を口を広げ、ぼんやり見ていた。もしかしたらヨダレを垂らしていたのかもしれない。
「アホみたいな顔してんな」
緑鬼の声でハッと目が覚めた。
な、な、なんて、いけすかない奴!!
と思った。
ちょっとくらい、いや、かなりカッコいいからって、初対面の人間、いや、鬼に向かってアホとは!
などとマゴマゴ何かを言おうとしていると、緑鬼はいつの間にかアイの目の前にいた。
衣服の上からでも分かる引き締まった体躯。厚い胸板から漏れるギラギラした殺意の残り香。何かいい匂いがする。アイは小鼻をひくつかせた。
そしてアイより頭ひとつ分ほど背の高い緑鬼の顔を見上げた。
タレ目がちな大きな目がアイを見下ろしている。よく見ると睫毛が長くて中性的なきれいな顔立ちをしている。
どちゃくそカッケええやんけ〜!
「あんた、誰?」
アイがそう聞くと緑鬼は
「俺はキム」と答えた。
「お前を迎えに来た」
そう言うと、緑鬼はおもむろにアイの顔の下に指を置き、クイっとアゴを持ち上げた。
も、もしかして、王子さま!?
やだもう。どうにでもして!!
その時のアイの頭の中からは「さっきメズが殺された事」はすっかり消え失せていた。
それは"ミツメ"の特性。いや、全ての生き物が持ちうる「野生の本能」だった。
生死に対する倫理観の本質。
生き物は、必ず死ぬ。
死。
そこには、悲しみや寂しさなどのエモーショナルな感情はない。いらない。
世に生まれ落ちて、時間と共に朽ち、死ぬ。そしてまた元の土に還る。
ただそれだけだ。
そして死よりも優先されるもの。
それは生、謂わば性だ。
男から発するフェロモンは、アイの心を揺らした。
それがどんな状況でも、出会って数分しか経っていなくても関係ない。
なぜなら、それは恋なのだから。
突然「む〜ん♡」とタコのような顔でキスを迫ってくるアイにキムは一瞬たじろぎ、手を離した。
その時だった。
キムの耳がピクッと何かに反応し、おもむろにアイを突き飛ばした。
その直後、
ダダダダダダダダダダダダ!!
と、ドラムロールのような爆音が響き、四方の壁から無数の銃弾が撃ち込まれた。
床に倒れ込んだアイの上に部屋中のものがバラバラ落ちてくる。
伏せていたキムがアイの手を握って言った。
「逃げるぞ!」
強い力に引かれるまま身を委ねる。
その時、視界の端にゴズの姿が入った。メズの亡骸に覆いかぶさって泣いている。ケガはしていないようだ。
アイは「ゴメス!」と叫んだ。
「ゴメス! 逃げるよ!」
しかし、ゴズの耳には入っていなかった。
「おい! ゴメス!!」
「ほっとけ!」キムはそう言ったが、アイは手を振りほどきゴズを呼び続けた。
「ゴメス!」
「死ぬ時は一緒だって言ったろうが! 勝手に一匹でファラウェイしてんじゃねぇよ!」
ゴズはメズの死体にしがみつき泣き叫んでいる。
キムは舌打ちをして「めんどくせぇなぁ」と言うと、弾雨を避けながら匍匐前進でゴズの元まで行き「おい、テメェ」と、ゴズを引き倒し、馬乗りになって胸ぐらを掴んだ。
「鬼のくせに泣いてんじゃねぇ!」
そしてゴズを無理やり引き離し、脇に抱きかかえると、アイの手を掴んで外に飛び出した。
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