第十一話 『ミツメの鬼』
アイは夢を見ていた。
その夢は、断片的な、アイの「記憶」だった。
アイはカラオケボックスにいた。
ヒナ、マッティ、ミユミユ、委員長。
みんないる。
ヒナがピョンピョン跳ねながら、リンダリンダを歌っている。
フライドポテトを口に詰め込み過ぎて咽せたマッティに委員長がジュースを渡し、みゆ吉がそれを見て笑っている。
生きてた頃の、いつもの光景だ。
突然、違う映像に切り替わった。
小さな子供だった頃のアイがいる。
潮風が髪を撫で、足の裏に砂の感触がする。
アイは、誰かと手を繋いで歩いていた。ゴツゴツした大きな手を握っている。
アイは手を離して走り出した。
太陽の光を受けた波がキラキラ光りながら、砂浜を黒く濡らしている。
アイは足をつけ「冷たっ」と言った。
ハハハッ! と笑い声が聞こえ、アイは振り向いた。
影がかかっていて、顔がよく見えない。
だれ?
「おーい! 濡れるぞ」
だれ?
「気をつけろよ」
だれ?
「気をつけろよ」
愛
・・・
「悪かったね」と閻魔は言った。
アイの額に手のひらを当て、もう片方の腕は背中から体を包み込んでいる。
そこは宇宙だった。
アイと閻魔は、無数の星々に囲まれ無重力の空間に浮かんでいた。
ビー玉のように青く光る地球が小さく見える。すぐそばではミツメの閃光でバラバラに砕けた叫喚地獄が、燃えながら月のクレーターの中にゆっくり落ちていく。
閻魔は当てていた手をゆっくり離し、アイの額を覗きこんだ。
「眠ったみたいだな」
ツルンとしたいつものアイのデコに戻っていた。
アイが顔を上げると、ベチャベチャの鼻水が閻魔のシャツから伝った。ずっと泣いていたのだと思った。でも何も覚えてない。誰かに化かされてるような気分だった。
「いや〜、危なかった」閻魔は言った。
「あたし、どうなったの?」
「覚えてないかい?」
「うん」
アイが返事をすると閻魔は「だろうね」と言い、また何か呪文のような言葉を呟いた。
次の瞬間、アイは閻魔王庁の中の一室にいた。
そこはまるで巨大な図書館のようだった。
10m以上もある書棚が、先が見えないほどずっと奥まで立ち並んでいる。そこにはあらゆる言語で書かれた古文書や歴史書、研究論文、哲学書、医学書、辞書や地図、それから小説や漫画、料理本まで、人間界で流通している全ての書籍が隙間なく並べられていた。
その一角に大きな机が置いてあり、束になった書類や本などが雑に積み上げられている。
アイは机の前に置いてあった革張りの椅子に座り、しばらくボーッとしていた。頭の中はまだフワフワしている。
「ねぇ、ここどこ?」
アイは机の椅子に座っていた閻魔に聞いた。
「ここは。まあ、俺の家みたいなもんだな」
閻魔は机の奥から顔を覗かせて言った。書類を引っ掻き回してガサゴソなにか探している。
「地獄?」
「いや、地獄じゃない」
「じゃあ地上?」
「いや、その中間にある。人間は死んだあと、一度ここに来るんだ」
「何しに?」
「審判だよ。天国に行くのか地獄に落ちるのか。俺がジャッジする。まあ裁判官みたいなもんだな」
「そうなんだ。てか、あたし来た覚えないんだけど」
「じゃあ、そのまま地獄に落ちたんだな。そんな奴、今まで見たことない」
「はあ? 審査するまでもなかったって事?超ウケんだけど」
アイがその言うと、閻魔は「そうだな」と言い低い声で笑った。
その時、アイの足首で何かがモゾモゾと動いた。痒くなり、ふいに手を伸ばすと指先に痛みが走った。
「痛っ!」と、手を上げると、アイの指に何かが噛みついていた。
「え? ‥‥‥なにこれ」
それは体長10cmくらいの小動物だった。耳はウサギのように長く、全身を覆っている白い毛の中から、大きな黒目がキョロキョロ動いている。
手のひらに乗せると、その小動物は小さな両手を下について、お尻を持ち上げ立ち上がった。不安定な手のひらの上で、バランスを取りながらグラグラ揺れている。
「なに〜!? これ〜!」
アイが泣きそうな声で閻魔に聞くと
「そいつは俺が作った生物だ」と答えた。
「バロメッツの仔羊と霊鳥ベンヌ、それからウサギの交配種、名前はサジ‥‥」と、閻魔が話している途中で「ぼく、ペケたん!」と小動物動物が喋った。
「喋った〜〜!! ペケたんだって〜!」アイは目を潤ませて閻魔の方を向いて言った。
「いや、そいつの名前は、サジェリガ‥‥」
「ぼく、ペケたん!」また喋った。
アイは「ヤバイ! ヤバイ! メッチャかわいい!!」と、スマホで写真を撮り始めた。
すると小動物は、アイの手の平から腕を伝い、髪を掴んで頭頂部の方へ昇り始めた。
アイがふいに手を伸ばすと、頭の上で何か硬いものに触れた。
「あれ?」
「それは、鬼のツノだ」と閻魔が言った。
アイは、インカメラで自分の頭を写した。螺旋模様の骨のようなものが2本頭から突き出ており、片方にペケたんがしがみついている。
「やば」とアイは言った。
「あたし、やっぱ鬼だったんだ」
「ミツメ族だ」
「ぼく、ペケたん!」
「ミツメ?」
「ああ、君はおそらくその末裔だ。目が3個ある」
「キモっ」
「正直、キモい」
「お嫁に行ける?」
「そのまま起きなければね」と閻魔は言った。
「どういうこと?」
閻魔は書類の後ろから、燻んだ色の古そうな巻物を出した。そして縛られていた紐をほどき、アイの方へ向け広げた。
「何それ?」
「これは、"百鬼夜行" と呼ばれる鬼や妖怪の行進が描かれた絵巻。人間界の室町時代に制作されたものの一部で、これが最古のものだ。でも‥‥‥」
そこには天狗や河童、猫又などの妖怪、狐や狸、そして何匹かの鬼の墨絵が描かれていた。閻魔が巻絵をスクロールさせる様に回していくと、踊るように歩く魍魎たちが次々と現れ、ある所で破れたような切れ端になり途切れた。
「この部分だけない」閻魔は言った。
「おそらく、誰かが意図的に破り捨てたんだろう」
閻魔は「प्रजनन」と呟いた。すると、破れた切れ端から、ホログラムのように元の絵が再現された。
そこに描かれていたのは、鬼の大群だった。無数の鬼達が、ひしめくように同じ方向に向かって歩いている。
「メッチャいるじゃん、鬼」アイは言った。
「分かる?」閻魔が聞くと、アイは目を細め、ジッと見つめた。
「目が三つある」
「そう。これが三つ目の鬼だ。あと、何か気づかない?」
「う〜ん‥‥‥あ! ぜんぶ目を開いてるヤツがいない!」
「そう。額の」
「ぼく、ペケたん!」
「‥‥‥額の目が開いている鬼は下の二つの目は閉じられていて、反対に下の目が開いている鬼の額の目は閉じられている。同時に三つとも開いている鬼はいない。そして、そこにはある秘密が隠されている」閻魔はそう言うと「例えばこの、額の目が閉じた鬼」と一匹の鬼を指差した。
「なにしてるように見える?」
「なんか徳利みたいなの持って、フラフラしてる。酔っ払ってるっぽいね」
「こいつは?」
「ぼく、ペケたん!」
「肩組んで歩いてる。隣の鬼と楽しそうに笑ってる」
次に閻魔は額の目が開いた鬼を差した。
「じゃあ、この鬼は?」
「槍みたいなの持ってる」
「これは?」
「金棒持ってるね。なんか怒ってるみたいな顔してる」
「そう。わかる? アイちゃん。額の」
「ぼく、ペケたん!」
「‥‥‥額の目が意味しているのは"戦闘"だ。それはミツメの本性。暴力衝動だ。そして、下の二つの目。それももう一つの本性。喜びや快楽。この絵が表しているのは、全く違う性質を持つその両者は共存できないという事だ」
「それって、二重人格的な?」
「いや、主体は同じだ。三つ目とは」
「ぼく、ペケたん!」
「‥‥‥三つ目とは彼らの持つ、異なる性格が具現化したものなんだ」
閻魔はそう言うと、アイの額を指差した。
「ミツメは、今ここで眠っている。正確には君が押さえつけている状態だ。それは今の君の方が、ミツメよりも強い力を持っているからだ」
「ミツメの方が強くなったら?」
「ぼく、ペケたん!」
「おそらく地獄は瞬時に破壊される」
「ぼく、ペケたん!」
「そんなに強いの? てか、他の三つ目は? あたし以外にいないの?」
アイが聞くと、閻魔は「少し長くなるけど説明しようか」とアイの前の椅子に座り直した。
「起源は地上界では平安時代まで遡る。三つ目族はかつて、」
「ぼく、ペケたん」
「三つ目族は、かつて最強と言われていた鬼だった。その、」
「ぼく、ペケたん!」
「その、末裔が、」
「ぼくペケたん!!」
「その、まつえ‥‥」
「ぼくペケたん!!!」
「‥‥‥アイちゃん」
閻魔はアイに言った。
「そいつを捕まえてくれないか?」
アイの髪の中に隠れたペケたんが「ぼくペケたん」と、小さな声で言った。
「何すんの?」と、アイが聞くと「改良する」と閻魔は静かに言った。
「改良?」
「喋れないように」
「やだ! 可哀想じゃん!」
「さっきからうるさい。非常に不快だ」
「閻魔さんが作ったんでしょ?」
「‥‥‥」
「‥‥‥いや」
「ぼく、ペケたん!!」
閻魔が話す時だけペケたんは顔を出して、すぐにまた隠れた。
「さっき言ったじゃん。俺が作ったって」
「‥‥‥」
「知らない。‥‥そんな‥‥‥虫けら」
「ボケ‥‥」
「おい!」
「‥‥ペケたん」
「今なんて言った?」
「ぼくペケたん」
「ボケって言わなかったか?」
「‥‥‥」
「おい」
「‥‥‥」
「おい」
「‥‥‥うるさい‥‥‥ボケッ」
「‥‥‥」
閻魔の顔が赤くなっていく。白目を剥きプルプル顔を震わせ、そして呪文のような言葉をボソリと呟いた。
「चलो」
建物がグラグラ揺れ始めた。
「ヤバっ!」
アイは慌てて部屋を飛び出した。
色々な生物の鳴き声が響き渡るアトリウムを抜け、建物の外に出た。
あたり一面は、薄い霧に覆われていた。
アイは走った。足に力を入れると、何かに押されるようにグンと体が風を切った。金髪が後ろにたなびき、ペケたんは飛ばされないようにツノに掴まった。
走れば走るほど体が軽くなっていく。力がみなぎり、どこまでも走れそうな気がする。
霧を抜けると、どこかから波の音がした。
まるで砂浜を走っているようだった。
「気をつけろよ」
どこかから声がした。
「気をつけろよ」
その声は温かく、
とても優しく聞こえた。
「愛」
アイはどこまでも走り続けた。
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