第3話 最期の晩餐への応援コメント
終末期の患者さんに寄り添うと言うのは、とても神経を使いますね。とある病院では酷い扱いをしておりましたが、今の病院ではとても丁寧な対応を心がけているようです。病院で最期を過ごす患者さんにとって、食事をすると言うことは、生きる事の意思表示ともとれます。
どんな生き物でも、食べる意欲がなくなると、最期と言うものはとても近く感じられます。
そんな最期の活きる希望を口に運んだ。それは患者さんにしてみれば、とても嬉しかった事だと私は思います。その上司の一言には、とても看護する者の言葉とは思えません。まして、患者の前とかどうかしています。まるで、早く死んでくれ、と言わんばかりじゃないですか。
職業的なストレスは理解出来ます。しかし、それは裏で見せても、患者や家族の前では見せてほしくはないものですね。
いつも死と言うものに寄り添って仕事をしている看護師さんとしては、色々と思う事もあるのでしょう。或いは、はやく召されたいと思っている患者も少なくないと思います。どちらにせよ、やはり大変なお仕事ですよね。なかなか出来る事ではないと思います。
作者からの返信
かごのぼっち様、続けてお読みくださりありがとうございます。
その病院、その病棟でカラーというか、そのようなものがある気がします。
勿論、スタッフ全員がそうではないのですが…割合と言いますか。
良い方向性が多数なら、患者さんに寄り添った丁寧な終末期対応、逆ならば、残念な哀しい対応が主体となってしまう。
看護師の仕事は、一人ひとり、その時々、状態によって一概に何が正しいのかは、言いきれない部分が多々あると思います。
ただ、言えるのは、「人としてどうか」が、基本にあるべきだと。
…と、言うものの不完全な私は、時折、そのことをおざなりにしてしまうこともありました。
現在は、違う病院の外来で週3日ほどの勤務なので、業務内容は異なりますが、大切なものを忘れないようにしなくては❕
第2話 噯語への応援コメント
何だか禅の言葉のように、すんなりと心に染み入ります。
看護師さんは、人が一番弱っているときに、一番近くで見守っている人です。そんな人たちの一言一言が励みになったりしている事は確かで、それも治療の一環だと思われます。
医者だけが治療をしているわけじゃない。そして、治療とは、その人の治ろうとする力をサポートすること。看護師さんはとても立派な医療人であり、ある意味先生にも等しく、頼もしい存在です。
作者からの返信
かごのぼっち様、コメントをありがとうございます。
「その人の治ろうとする力をサポートすること」…学生の頃に、主体は患者さん本人なのだと習ったことを思い出しました。
また、チーム医療とは、医療に携わる様々な職種が連携補完しあい適した医療を提供すること。その中心には患者さん…
大切なことを、思い出させていただき、ありがとうございました。
第1話 気落ちしていますへの応援コメント
なんだか親近感を感じます。いつも近くで見ているので、その大変さは、おそらく見ている倍は大変なんだろうと思い、尊敬しております。看護師さんには頭があがりません。
作者からの返信
かごのぼっち様、ありがとうございます。
職種に係わらず、それぞれの大変さがあるのではとも思うのですが…
それでも看護師は、やはり心身共に疲弊しやすいお仕事かもしれません。
でも、時々心が輝くようなことがあって、大変な反面、ありがたいお仕事のような気もします。
第1話 気落ちしていますへの応援コメント
真堂 美木様
はじめまして。
とても心に響くお話をありがとうございます。コロナ禍や戦争のニュースに心を痛める中で、私も同じようにエネルギーが枯渇しているように感じることが多々あります。
真堂さんがナースとしての経験を通じて、少しずつ心に温かい種を蒔こうとする姿勢に、とても共感し、勇気をもらいました。これからも、そんな真堂さんの物語を楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いします!
悠鬼よう子
作者からの返信
悠鬼よう子様、温かなお言葉をありがとうございます。
最近は、ウィズコロナにも慣れたように感じます。
しかしながら、以前のような強毒性でないものの、コロナ自体も再び感染者数が増え、加えて他の感染症も増加しているようで何だかすっきりとしません。
また、戦禍は相変わらずで、そのような痛ましい報道に慣れてきている自分に「ダメだな~」と、感じています。
それでも、日々、生きていると辛いこともあるけれど、楽しいことや嬉しいことも沢山あります。
最近、あまり書けていないのですが、幸福のアンテナを高くしなくっちゃ…ですね。
第12話 患者になって(2)への応援コメント
看護師としての真堂さんの視点が、ここにきて患者さんの側になり、読み手としてもいろいろ気付かされること、考えさせられることがたくさんでした。
健康な人の言う「できる」と、いま症状がある人の「できる」には、大きな開きがあるのですね。
医療関係に限らず、そうした齟齬は日常生活の至る所にある気がします。
他者の痛みに想像を及ぼして生活するということが、巡り巡って自分のためになるかもしれない。
そんなことを思いました。
素敵なエッセイ、読ませていただき、ありがとうございました。
作者からの返信
鐘古こよみ様、素敵なお言葉をありがとうございます。
他者の痛みを想像すること……確かに巡り巡って返ってくるのかも。
一人一人が常には難しくても、時折、他者の痛みを想像し慮ることが出来れば、もっと生きやすい世の中になるのかもしれませんね。
カクヨムは、その想像力を養う場として適しているのかも。
第10話 齢の重みへの応援コメント
なんて不思議。でも、お年を重ねられた方とお話をすると、なんでもわかっていらっしゃるんだなあと感じられることがあります。
どういうふうに人生を積み重ねるかって、本当に大事ですね。
その方は、とても良い人生をお過ごしになられたのだと感じました。
作者からの返信
鐘古こよみ様、いつもありがとうございます。
どういうふうに人生を積み重ねるか……本当にそうですね。
還暦近い私、残りの人生を丁寧に積み重ねたいものです。
第3話 最期の晩餐への応援コメント
こんにちは。
感慨深く拝読しました。
病床にあった祖母が点滴を絶たれ、静かに枯れていく段に入ったとき、母が無礼な発言をしました。
瞬間、祖母の眼球がギョロリとこちらに動いたのです。
聞いているのですね。
命の尊厳を思いしらされました。
自分が祖母のような立場になったとき、美木さんのようなエッセンシャルワーカーが側にいてくれればと、今から切に願うばかりです。
作者からの返信
ハシビロコウ様、お読みくださりありがとうございます。
ご祖母様、聞いておられたのだと思います。
「意識が無くても聞こえている」と、捉える看護師は多く、実際にそのような場面に遭遇した経験も多々ある様です(私も、私の姉も経験しています)。
ハシビロコウ様がご祖母様のような立場になった時には、きっとハシビロコウ様にとって必要な方が側に現れるのではないでしょうか。
望むことで、そのような縁が生まれるのかもしれません……
患者様と看護師の出会いもひとつの縁のような気がします。
第9話 前向きにならんとへの応援コメント
真堂さんのことを呼び止められていた患者さんも、一体自分が何を言いたいのかわからなくて、それでも何か聞いてほしくて、声をかけ続けておられたのではないかと感じました。
こちらのエッセイで、真堂さんが何を書きたいかわからずにおられたのなら、それは、その患者さんの言葉にできない気持ちをそっくりそのまま書き記されたからでは……と感じました。
いろいろな感情を持ちつつも、しっかり患者さんと向き合われていた姿が目に浮かぶようで、とても尊敬します。
作者からの返信
鐘古こよみ様、温かなお言葉をありがとうございます。
人は、言葉にできないあやふやな感情を、幾つも抱いているのかもしれません。
あやふやさ、あいまいさ、良い塩梅…などを、感じることが出来るのが人間なのかなって、こよみ様のコメントから感じました。
ありがとうございました。
第7話 聴こえてるよ。への応援コメント
お姑さん、きっと本当に最期まで聴こえていたんですね。心無い若手医師の言葉に驚きましたが、看取りのために集まった皆さんのお気持ちが文章から伝わってきて、それに応えようとなさったお姑さんの様子も目に浮かぶようで、涙が出ました。
人の強い気持ちって侮ってはいけませんよね。
作者からの返信
鐘古こよみ様、ありがとうございます。
「意識が無くても聞こえている」というのは、看護師の間ではよく言われています。実際に看護師としての経験の中でも幾度かそのように感じたことがありました。
姑の最期の時、きっと全てわかっていたのだなあと…今でもそのように思っています。
そして、素晴らしいお別れをしてくれたのだと。ありがたいことです。
あの時の若い医師も今では、医師としても人としても経験を重ねられていることを願っています。
人は生身の体を持つと同時にスピリチュアルな部分も併せ持つ存在であると、年齢と共にそのように感じています。
第12話 患者になって(2)への応援コメント
この話は、病気や手術を通じて自分自身の体験を深く理解し、それを看護師としての視点に生かすことの大切さを教えてくれますね。
「自分の体験は、他人への深い理解の道。見方を変えれば、人の振り見て我が振り直せ」といったところでしょうか。
患者さんの立場に立って考え、感じることで、より良いケアを提供するための洞察を得られるというメッセージが強く伝わってきます。
僕も、そんな自分を見つめ直せる人生の鏡が欲しくなります。慌ただしい日常にかこつけて、なかなか自分では気づかないものです。
作者からの返信
いつもありがとうございます。
少し話がずれてしまうかもしれないのですが…
以前、「看護は推理小説のようで面白い」と、お話をされていた方がおられたのですが、確かにそうかもと思います。
「体験を経験に変える」ことで、感じ、考え、推察し、看護に繋げる。
この様に述べると、看護のみならず人生そのものがそうなんだなと。
神崎様の繊細な言葉で綴られた作品からは、洞察力もさることながら思いを馳せるお力がすごいなあと、いつも思っておりました。
いつも素敵な作品を読ませていただきありがとうございます。
第11話 患者になって(1)への応援コメント
コメント失礼します。
椎間板ヘルニアも痛いですね。
僕は首の頚椎症の手術を受けるために
左腰から一部骨を切り取り、
首に金具と共に埋め込みました。
それから、二年後に
今度はヘルニアを発症。
今日もリハビリしてきました。
ご主人をこつんと叩いてあげてください。
「ターミネーターじゃないんだから」と。
☆*: .。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
夫には、言葉のゲンコツをあげました(笑)
神崎様は頚椎の手術を受けられたのですね。
今年は暖冬らしいですが、それでも厳寒の日はあるのでしょう。
お互いに無理せず体調に留意しましょうね。
どうぞお身体ご自愛ください。
第10話 齢の重みへの応援コメント
この章は、透析の仕事をしながら子育てに奮闘する三十代の女性が、九十歳代の患者さんとの出会いと別れを通して、人生の教訓を得るという場面ですね。
主人公は、自分の過去の行動や感情を率直に振り返り、患者さんの言葉や生き方に感銘を受けているのでしょうか……。
僕は、彼女の成長や反省、そして患者さんの温かさや賢さに共感して、目頭が熱くなっていました。この作品は、人生の噯語を伝えるとともに、自分の好きなものを楽しんで生きるというメッセージを与えてくれます。切なくもさわやかで、とても心地よいエピソードです。
作者からの返信
神崎様、いつも温かいお言葉をありがとうございます。
看護師として勤務していたとき、いつも周りには多くの学びがありました。特に齢を重ねた患者さんは、人生の師匠のような存在だったように思います。
第12話 患者になって(2)への応援コメント
真堂様。
ナースの貴重な体験談も心に沁みましたが、腰椎椎間板ヘルニアで緊急手術をされた後の患者としての体験談も心に響きました。
看護する側と看護される側、両方を経験してみて見えてくるものもありますよね。
「体験を経験に変えるのですよ」
本当にその通りですね。
素晴らしいお話の数々、考えさせられたり気づきがありました。
真堂様、ありがとうございます✨✨
作者からの返信
この美様、
こちらこそ、いつもありがとうございます。
今は、仕事をせず半ば引きこもっておりますが、このような状況でも「体験を経験に変えるのですよ」の言葉を胸に何かに繋げていけたらと微かに思っています。
第10話 齢の重みへの応援コメント
真堂様。
その方の「あんまりな、子供を怒ったらいけんで」
朝の状況をまるで見たかのようなあまりにも適切な言葉。
不思議ですね。
きっとあの時の真堂様に必要な言葉をその方の口を通じて教えて頂いたのでしょうね。
大好きなあんこの入った大判焼きを食べて布団の中で眠りながら最期を迎えられたとは、本当に穏やかで素晴らしいですね。
作者からの返信
この美様、コメントをありがとうございます。
本当に今でも何故分かったのか不思議です。
素晴らしい旅立ちは、その方のそれまでの人間性、生き方からなのかしらと。
私は、炊き立てのご飯で作ったおにぎりを食べ、暖かい部屋で最期を向かえることが出来るのかしら…
はい。私の好物でございます。
編集済
第8話 NSとしての手紙への応援コメント
真堂様、こんばんは😊
患者様からの手紙、嬉しいですね。
それだけ信頼されていたってことですね。
又、患者様の訴えに真摯に向きあわれる姿に感服しました。
素敵なお話でした。
作者からの返信
おはようございます。
本当に私は幸せ者だなあと、改めて思います。
この美のこ様からの温かいお言葉も。
いつもありがとうございます。
第5話 心に残る患者さんへの応援コメント
座学ではない現場での学び、しかも人の命を扱う現場となると、気遣いも工夫も、並大抵ではないものが要求されるのだろうなあと想像します。学生ながら、ご自分にできることを一生懸命に探されていた姿が、患者さんの心にも残ったのかなと感じました。
今もこうして思い出しておられるというのが、素敵です。
作者からの返信
お言葉、ありがとうございます。
患者さんと実習生としての出会い。
多くの学びのあった出会い。
その出会いがあったからこそ、次へと繋がっていったのかとも思います。
更には、その思い出を綴ったエッセイでこのようにコメントを頂け、思いのやり取りができる…ありがたいことです。
第12話 患者になって(2)への応援コメント
こんにちは。
「現在は、走ることも飛び跳ねることも何だってできる。」そこまで回復なされて、本当によろしゅうございました。ε-(´∀`*)ホッ
しかし、大変な思いをされましたね。術後の痛み、「歩けない」
そして、気付き……。
今話だけでなく、全体を通して、とても、考えさせられるエッセイでした。
ありがとうございます。
作者からの返信
私のエッセイをお読みくださりありがとうございます。
また、コメントもいつも感謝しております。
コメントを頂くことで、改めて考える機会を与えていただきました。
加須 千花様の小説が素晴らしく、いつもそちらにコメントをさせていただきたいと思うのですが、話が面白くついつい先を急ぎ読んでしまいます。
結果、コメントを残せずにごめんなさい。
でも、本当に面白いんですもの。
第11話 患者になって(1)への応援コメント
こんにちは。
えらいこっちゃ!!
「ああ~ヘルニアやったん。良かったやん。あはは」
こら〜! だんなさん、ビールを飲み上機嫌でいる場合じゃな〜い!
下手したら、奥さん、脱水症状で死んじゃいますよっ!(・_・;)💦
作者からの返信
本当に…
夫は私のことをターミネーターか何かとでも思っているのかと…
編集済
第10話 齢の重みへの応援コメント
こんにちは。
「あんまりな、子供を怒ったらいけんで」
なんで、わかったのかな。
言ってはいないのに。
これが、「今日は不機嫌そうにしてるなあ、看護師さん!」と言うのだったら、わかる。
でも、なぜ、子供を怒りすぎたのだ、と、わかったのだろう。
不思議。
でも、年齢をかさねた御仁からは、わかったのでしょうね。ピンポイントで。すごいなあ。
最後も、きっと、大好物を食べて、穏やかな旅立ちで。
合掌。
文末になりますが、拙作をまたご高覧くださり、ありがとうございます。m(_ _)mペコリ
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
本当に、齢の重みとしか。
歳だけ重ねつつある私には、まだまだ遠い御仁でした。
こちらこそありがとうございます。
第9話 前向きにならんとへの応援コメント
こんにちは。
「お伝えしたいことが全くないわけでなく奥の方に幾つか潜んでいるような心持です。」
わかります。
作り物ではない、ノンフィクション。
人生。
きっと、そういうものだと。
心は動き、なにか心の奥で波立つものが、いくつも、あるのに、それが何とは、言葉ではっきりといえないもの。
人と人とのふれあい。
苦情ばっか言うようになった患者さまも、苦しい胸のうちがあった……。
私も言葉にするのが難しいです。(^_^;)
作者からの返信
私のエッセイの思いに寄せたお言葉をありがとうございます。
看護師にしても患者さんにしても其々一人の人間。思い悩むことも勿論あります。
その患者さんは加齢による自身の変化に対する焦燥感だったのかもしれないし、他の悩みだったり、若しくは、身体的苦痛そのものからだったのかもしれません。
単に私のことをよく思っていなかっただけかもしれませんし、逆に私になら思いをぶつけられるのかもと思ってくれたのかもしれません。
私自身は、看護師としてできるだけ応えたいと思いつつもエゴ的感情もあります。全てに対してYESでは、いられないのです。
ごめんなさい。何を書いているのか…
加須千花様のお言葉の通り、心の奥で波立つものがいくつもある様です。
ありがとうございました。
第7話 聴こえてるよ。への応援コメント
お姑様、最後の最後まで、みんなの呼びかけに頷いて、それから静かに旅立たれた、その様子にジーンときました。
耳は最後まで聴こえていると言いますよね。
若い医師の言葉には驚きました。
又、ナースの言動には私も唖然としました。
お姑様の「聴こえてるよ」の声が頭の中に響いた気がした……その情景にゾクっとしました。
きっとお姑様は真堂様に伝えたかったのでしょうね。
作者からの返信
はい、きっと伝えてくれたのだと思っています。
お互いの思いから、第六感のチャンネルが繋がったような気がします。
ホラーではないのですが、もともとそのような感覚が少し強いようで。
どちらにしても、姑さんからの愛情あるお別れだったと。
第5話 心に残る患者さんへの応援コメント
学生時代の実習としては、本当に重すぎる患者さんでしたね。
しかし、患者さんにとっても心に残る真堂様だったのでしょうね。
本当に多くの学びがあったと思います。
貴重な体験ですね。
作者からの返信
この美のこ様、コメントをありがとうございます。
はい本当に。
有り難い出会い、経験だったと思います。
第4話 心に残る虹への応援コメント
虹って見つけたらなんだか嬉しくなりますよね。
無機質な病室の中で、一筋の光が差したような光景ですね。
入院患者さんにとっても忙しく働く看護師さんにとってもお医者さんにとっても幸せを感じるひとときですね。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
無機質な閉塞感のある病院の中から見る虹は、それら負の感覚を消してくれた気がします。虹の橋の架かる広い外の世界に自分たちもいるのだと、気づかせてくれるような。そのような幸福感だったのかもしれません。
第7話 聴こえてるよ。への応援コメント
若いお医者さんと「薬飲ませといて」な看護師さんには『?』しか残りませんが、お姑さんが頷いてくれたのは良かったですね。お舅さんにも頷いたことに気づいて欲しかったけど、それどころじゃないだろうし。
作者さんが看護師で冷静だったからこそ、その脈も頷いたのも気付けたんだろうなぁ。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
あれからかなりの年数が経ちました。
あの時の方達も多くの経験を踏み、良い変化があることを期待するばかりです。
最期の瞬間は、お姑さんから私への本当に大きなプレゼントだったのだと。その感覚は、今でも変わらずありがたいなと思っています。
急に寒くなったのですが、おつとめ前の体調もお気遣いくださいね。
第6話 透析の先生たちへの応援コメント
週3で4時間……残りの人生の3分の1くらいは透析タイムなのかなと思ってしまった。その時間をいかに有意義に過ごすか、真剣に考えている院長先生、素敵ですね。
作者からの返信
如月芳美様、コメントをありがとうございます。
本当に、素敵な院長先生のもとで働くことが出来て良かったなと思います。
その後、転職を繰り返す中で感じたことなのですが、その職場のトップの考えと行動でスタッフも患者さんも変わってくるのかと。
自身が悪い方にぶれなければ、一番良いのかとも思いますが…
16日からのおつとめ、前向きな如月様ならきっと良い方へ向かうのでしょう。
いつも「柿木川話譚シリーズ」を、楽しく読ませていただいています。おつとめ中も予約投稿とのこと、嬉しいです。
ですが、まずはご自愛くださいね。
編集済
第8話 NSとしての手紙への応援コメント
おはようございます。
数々の、心のこもったお手紙。
真堂美木さまは、とても優秀なナースさまでいらっしゃったのでしょう。
担当患者さんでないのに、「話しにくいと訴えてます!」と意見を対立させるのは、さぞ大変だったことでしょう。
そして、患者さまは、そんな真堂美木さまの姿勢を、きっと見ていて、わかっていたのでしょう。
だから、それだけ厚いお礼をしたかったのでしょうね。
今なら住所教えるなんて!!とあり得ないのでしょうが。(;´∀`)
末文ですが、また、拙作をたくさんご覧くださり、お星さま。ありがとうございます!
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
確かにあの時、周囲のNSさんたちの反応は…(汗)
それでも、その患者様の訴えに向き合えたのは、自身の持つ看護観もあったのだと思います。
「看護は小さなことの積み重ね」、私の看護観です。
私は看護師として別段難しいこともできませんし、(お言葉は嬉しいのですが)決して優秀なNSでもないかと。
ただ、自分の看護観を大切にしていただけなのかもしれません。
加須 千花様の小説、本当に面白くって嵌っております。
ありがとうございます。
第1話 気落ちしていますへの応援コメント
頑張ってください!
作者からの返信
ぎがじん様、ありがとうございます。
コメントを頂き改めて第一話を読み返し、「ああ、あの頃はこんな気持ちだったんだ」と。
ありがとうございました。
第2話 噯語への応援コメント
こんにちは。
拙作や近況ノートをお読みいただいて、ありがとうございます!
ナースをされていたんですね。
私の姉もナースで、夫も事務関係の病院勤めです。普通の職場ではありえない、びっくりするような話を時折聞けますので、どきどきしながらページを開きました。
そしたら、「暖語」という知らない言葉が出てきて、それが文字通りにとても暖かい、人のための言葉でしたので、さっそく感動してしまいました。
とっさに患者さんに合わせた対応ができるなんて、尊敬です!
続きも楽しませていただきますね^^
作者からの返信
コメントやフォローをありがとうございます。
噯語は、かなり前にたまたま読んでいた本に出ていて知った当初、私も感動しました。
常に患者さんに合った対応ができていたとも言えないのですが、その時には波長のようなものが丁度合ったのかもしれません。
心に残ったひとときのやり取りでした。
第3話 最期の晩餐への応援コメント
真堂様、こんにちは😊
真堂様、以前、ナースの仕事をされてたのですね。
命を預かる大変なお仕事ですね。
入院患者様の一番身近にいらっしゃるのが看護師さんだと思います。
そんな患者様から
「あなたのことは絶対に忘れないわ。本当にありがとう」
そんな風に言って頂けるのは、看護師冥利に尽きますね。
彼女にとって最期の晩餐となった食事の介助。
彼女はきっと嬉しかったと思います。
何が正しいかは分かりませんが心無い上司の言葉には閉口します。
医療現場、色々と考えさせられますね。
作者からの返信
この美のこ様、コメントをありがとうございます。
仰る通り、看護師冥利に尽きます。ありがたいことです。
転職の多い私ですが、何処で働いても患者様や利用者様とかかわりを持つことは心に響くものでした。もちろん、時にはしんどいなと感じることもありましたが、それでも全否定してしまうようなことはありませんでした。
いつもなら仕事を辞め暫く経つと働きたい気持ちが湧いてくるのですが、今回は燃え尽きてしまったようです。
今は、ここカクヨムで皆様の作品を読み漁り、自身の作品もアップさせていただくのが楽しみとなっております。
いつもありがとうございます。
第7話 聴こえてるよ。への応援コメント
こんにちは。
……薬を飲ませておいてください、と出ていったナースさんには、
「この状態で飲めるわけがないでしょう?!」
と言いたくなるし、あざ笑うように(見えた)「聴こえるのは、あなたがそう思うんですね。」と言った医師には、
「聴こえてるっていったら聴こえてるんだよ! わからないのか! 見ろ!」
と肩をつかんで言ってやりたくなりますが、……大人なので、実際その場面にいたら、ぐっとこらえるでしょう。
きっと、姑さまは、作者さまに感謝してると思います。
死ぬ間際に、職種ゆえの知識で、よく見てくれて、ありがとう、と。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
当時、怒りたいのを必死で堪えておりました。
でも、姑の最期の時ですので…
自分の職場で働いている時なら「え~、飲める状態なんですか~」とか、「え~、看護師の世界では最期まで聴こえてるって有名な話ですが、先生はお知りにならないんですか~。まあ、お医者様ですものね」と、嫌味な棘のある言葉を投げていたかと。
あっ、すみません。怯えないでくださいね。
時々、娘が言う「ブラックおかあ」が現れちゃうんです。
医療従事者も結局はその人の人間性、いろいろな方がおられます。
第6話 透析の先生たちへの応援コメント
こんばんは。
素敵な院長さんでしたね。
なんだか、拝読してるこちらまで、ほっこりしました。
「誕生日には花束が贈られた。患者さんはその日、期待の眼差しを滲ませながらも院長から受け取るときには驚く素振りを見せていた。」
良いですね。ワクワクした空気が伝わってきます。
患者さんたちも、お茶目でしたね。
お一人だけ、わしは、生きとる!とご立腹の患者さんがいらしたことも、良い思い出に……。
話変わりまして。本日は拙作をたくさんご覧いただき、また、お星さまの雨、ありがとうございました。感謝申しあげます。m(_ _)mペコリ
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
当時、本当に良い環境で働くことが出来たなと…良い思い出です。
こちらこそありがとうございます。
加須 千花様の作品、とても素晴らしく、ついつい読み進めてしまいます。
万葉集にも興味が湧いてきました。
ありがとうございます。
第5話 心に残る患者さんへの応援コメント
こんにちは。
きっと、洗髪を断られていても、作者さまの思いやりは、伝わっていたのですね。
原点。
ボールペンのお礼。抱えきれないほどの思いを学び。
とても良いお話でした。
作者からの返信
ありがとうございます。
私は、良い出会いに恵まれていたのだと思います。
学生の頃のその出会いがあったから、その後の患者さんとのかかわりに未熟ながらも思いを馳せることが出来たのかもしれません。
第4話 心に残る虹への応援コメント
こんにちは。
ああ、虹って、そういうところ、ありますよねぇ。
見えたら、嬉しい。
皆を笑顔にしますよね。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
本当に虹は、見る人たちを笑顔にしてくれますね。
ほっこりとした優しい時間でした。
第3話 最期の晩餐への応援コメント
おはようございます。
うおお……。
患者さんの状態も見ないで、「食べれないでしょう」と言い放ってむこうに行ってしまった上司に物申したくなりますが、彼女も、職務をまっとうしているのでしょう。
だから、何も言わないでおきます。
看護師は尊い仕事ですから。
そして、『「あなたのことは絶対に忘れないわ。本当にありがとう」と、彼女の体調がまだましだったころに言われた』のですね。
患者さんは、作者さまに、とても感謝したのでしょう。
もしかしたら、今まで、そのように、優しくお世話を……自分をあつかってもらった事が、ずいぶん久しぶりの人生だった。
そのような可能性も、考えてしまいました。
患者さんは、作者さまからなら、食事、食べたいわ。そう思われたのかもしれません。
きっと、大きな意味のある一口、二口であった事でしょう。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
その患者さんから「ありがとう」と言われたのは、状態変化に伴い大部屋から個室へ変わり酸素吸入、車いす使用となっていった頃のことでした。
まだ、食事も摂れ会話もできていたのにもかかわらず、ベッド周りだけが彼女の行動範囲となっていました。
安静度の指示によるものでも、ましてや本人の意思によるものでもなかったのですが。
そのような状態の中、かなりストレスを溜めておられるのを感じ、私は彼女を車イスで(もちろん酸素吸入をして)病棟の談話室へお連れしました。現在なら感染予防で難しいのでしょうが、当時はコロナ禍前で、インフルの時期でもありませんでしたので。窓から景色も眺められますしと。
すると、以前同室だった方もおられ「久しぶり~」と、10分ほどのことだったと思うのですが、会話に花が咲いておられました。
そのあと病室にお連れしたときに謝意を述べられました。
本来なら、Nsが計画に入れるべきなのですが…その病棟の色と言いますか。
コメントを頂いて、改めて当時のことを思い出しました。
ありがとうございます。
第2話 噯語への応援コメント
こんばんは。
はじめまして。
拙作にハートぺったん、ありがとうございました。
とても深い、良いお話しでした。
十年以上前の会話、きらきら星のごとく、まだ、心のなかで輝いているのですね。
日程通り退院していった患者さまが、その後笑顔で過ごされていることを、願ってやみません。
そして、「どれだけ人との関わりを断とうとしても、ある特定の人物や集団から逃れられたとしてもまったくのゼロにすることはできない。」
人が生きる以上、その通りだと思います。
ナースさんのお仕事は、本当に素晴らしいですね。
作者からの返信
加須 千花様、
コメントをありがとうございます。
短い時間だったのですが、心に響いたからでしょうか。
お言葉の通り今でも輝くようにそのやり取りを記憶しています。
加須様の小説、とても素晴らしいもので一気に読ませて頂いています。
ありがとうございます。
第12話 患者になって(2)への応援コメント
私が小学生のころだったか、「飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ」という本がベストセラーとなりました。徳洲会グループの草創期、徳洲会3番目の病院として開院した岸和田徳洲会病院 整形外科の井村 和清医師が、若くしてがんを発症し、亡くなられるまでの手記をまとめた本です。徳洲会グループの草創期であり、理事長の徳田 虎雄氏にとっても、グループのスタッフ全員と、まだ顔の見える存在であったころです。
井村医師が、病重く、病院を退職される際に「3つの悲しいこと」というお話をされたそうですが、その一つに「自分は病を持つ人の気持ちを分かったつもりになっていたが、この病を得て、自分は何一つわかってなかったことに気づいた」ということをあげておられました。
私たち医療者が、いくら慮っても、本当の気持ちは「患者さん」にならないと分からないのだろう、と思います。
私も病を抱え、薬を飲みながら日々を過ごしていますが、だからと言って、患者さんのつらさ、苦しみが「わかる」なんてことを思ったことはありません。誰かが別の誰かのことを「わかる」ということそのものが不可能だ、と悲観的に考えたりもします。それでもある瞬間に「思いが通じ合う」ことはあり、それは素晴らしいことだと考えています。
患者さんのお話を聞いて、その思いを想像すること、「あなたに寄り添っていますよ」という態度を示すこと、そして、可能な限り笑顔で、優しい言葉遣いで患者さんと接すること、私ができることはそれくらいかなぁ、と思いながら、日々、仕事をしています。
作者からの返信
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」かなり昔に私も読みました。私の場合は、小学生でなく学生の頃だったような。
その人の持つ思いは、その人にしか分からない…確かにそうかもしれません。患者さんに限らず。
ただ、寄り添う気持ちを持つことは出来る…そのように思いたいなと。
エッセイに書いた詰め所での他のNSの発言に、当初突き放す感じはしたもののそれ以上は考えもしなかったのですが、自分がそのような気持ちになってやっと「そういうことなのかも」と。
体験したことを、感じとって考え経験に変えることで人としての奥深さが増し、結果寄り添うことにつながるのかなと。
コメントをありがとうございました。
第10話 齢の重みへの応援コメント
遅ればせながら、今日、こちらのエッセイに出会いました。
その人を作り上げている、大切な積み重ねてきた「想い」。
言葉にしてくださり、そして、読ませてくださり、ありがとうございます。
真堂さんの短歌が、どうして「憂い」を含んでいるのか、少しだけ、分かった気がします。
この出会いに、感謝です。
作者からの返信
月夜の黒猫様、心温まるコメントとレビューをありがとうございます。
私の短歌に「憂い」が含まれること、お言葉を頂いて認識しました。
美しい月を見ても、道に咲く花を見ても「憂い」を感じていたことに。
思えば子供の頃から迷い悩み、憂いを感じながら生きてきたような。
ただ、頑固な性格で自分の底にあるものは変えたくないと。
それが、優しさなのか偽善なのか、物事の本質を見ることなのか。
いまだにわかりませんが、もう少し歳を重ねたら自身が大切にしたものが何なのかがわかるのかなと……人生の終わりごろに方向転換もあるのかもしれませんが。
本当にありがとうございました。
第10話 齢の重みへの応援コメント
病院から看護師にケアマネの資格をとれーい!の何だかわからないけど、指示があったので
とりました。
ケアプランセンターの立ち上げがあったからでしょう。
病院は訪問看護も早くからしていたので。
そのうちに、ケアマネとして関わった患者さんで、在宅でお嫁さんがあくまでも見取りますと。
往診の先生や訪問看護と連携して。
亡くなったと連絡いただき駆けつけました。
穏やかなお顔でした。
それまで、病院で亡くなる方をたくさん見てきました。
最後までの治療はその方を変えてしまうような。
きっと朦朧としている意識の中でも
家族の会話やご飯の匂いなど、感じていらっしゃったのではないかなぁとしみじみ思いました。
若い先生、アホですか??
いやになりますねぇ。やれやれ。
作者からの返信
ケアマネもされて素晴らしい経験、お仕事をされておられるのですね。
尊敬します。
各々の思いに沿った死の迎え方・看取りができることは、故人にとってもその御家族にとっても、幸せなことだと思います。
第3話 最期の晩餐への応援コメント
状況が目に浮かびます。
ふと、食べてみようと思われたのかもしれませんよね。
ムセも誤嚥の状況も確認しながらなので
良かったと思います。
びっくりしたのは、上司が患者さんの前で
発した言葉でした。
うっそーー。そんな馬鹿な、、。
作者からの返信
ありがとうございます。
ご本人の意思に沿い最後の食事の介助ができたことは良かったのかなと。
ただ、地域性なのか、記載の上司のような状況となること、見ることが多くてここ十年ほどはエネルギー不足で転職を繰り返してしまいました。
お恥ずかしいことです。
その方たちを攻撃する気もないし、転職をその方達のせいにするのも違うと思うのですが。
患者さんとのやり取りにはやり切った感はありまして。
燃え尽きてしまったようです。
第1話 気落ちしていますへの応援コメント
還暦過ぎても、パートで看護師してますー。
なんやかんやと若い頃のようには
いきません。(−_−;)
作者からの返信
お仕事をされておられるのですね。
素晴らしいです。
私は、このエッセイを書いたころは、勤めていたのですが、今はもう辞めてしまいました。
還暦の少し手前なのですが、このあとパートに出ようかどうしようか思案中です。何だかエネルギーが出なくって(汗)
第5話 心に残る患者さんへの応援コメント
患者が「会いたい」と思える看護師ってあんまりいないような気がします。
私自身、何度も入院しましたが、心に残る看護師さんというのがそんなにいるわけじゃない。会いに来て欲しいってよほどのことだと思いますよ!
作者からの返信
ありがとうございます。
お子様がおられなかったので、もしかしたら学生の私を娘のように思っていて下さったのかも知れません。
ただ、確かに。
優越感などではないのですが、当時他の学校の学生さんも同じ患者さんんを受け持たれてました。ダブルブッキング状態。
彼女は、結構押しが強く患者さんが拒まれても洗髪などの看護行為を行われていたそうで。(患者さんの夫様から聞いていました)
何もできなかった私ができたことは、夫様を通しての傾聴とその患者さんの意思の尊重だったのかもです。
第4話 心に残る虹への応援コメント
入院してる時の虹って、なんだかすごく元気出ますよね。
落ち込んでてもすぐに治っちゃうような錯覚になる。
ラムゼイ・ハント症候群で入院した時虹を見たんですけど、ご存知の通り笑顔が作れないんですよね。でも自分ではなんか笑顔になってる気がして、すぐ直るわ!って思った。
麻痺は残ると思いますって医師に言われてたんですけど、綺麗さっぱり治りました。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
帯状疱疹、神経に沿ってなのでピリピリとしてもともと厄介ですが、特に出現場所によっては。
お辛かったことでしょう。
でも、「すぐ直るわ!」って思われたこと。そのことが、良い結果を生んだように感じます。
早い対応も良かったと思いますが。
例えばのお話ですが。
以前、同じ傷でもご本人様の感じ方でその後の経過が変わるということを聞いた気がします。
だから、対応時に看護師はむやみに患者の心を傷つける言葉を発してはいけないと。
でも、ちゃんとした説明は必要で。
だから、その時の医師がお伝えされた言葉は立場上、正しかったとも思います。
何より、麻痺が残らず本当に良かったです。
虹が、如月様の素晴らしい感性が、良い結果を生みだされたような。そんな気がします。
第10話 齢の重みへの応援コメント
いい旅立ち方をされたと、私も思います。
いいお話、ありがとうございました。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
本当に穏やかな旅立ちだったと。
ありがとうございました。
第3話 最期の晩餐への応援コメント
カッコいいこと書けないんですけど、患者を『看る』のが看護師の仕事で、『診る』のが医師の仕事ですよね。
だから医師は診察するし、看護師は看護する。
『看る』って『手』と『目』。手で食事を口元に運んで、目でその後の様子を観察する。ちゃんと看護してるんだから患者は「希望をかなえてもらった」ことになると思うんですよね。
寧ろ患者の前であの態度をとっちゃう上司こそ、担当になって欲しくないなぁ。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
はい。看護とは、手・目・言葉で観察し癒し、護ることなのだと思います。
その中心には、心が存在するべきだと。
第2話 噯語への応援コメント
「噯語」って初めて聞きました。
(自分の語彙力のなさに日々頭を抱えてしまいます)
看護師さんって患者をよく見てるなって思います。
私が喘息の発作で呼吸困難になっていた時、それでも私は「病は気から!」って感じで呼吸困難になりながらも身振り手振りでジョーク言ってたんです。
そしたら看護師さんが大笑いしてくれて、一緒になってナンセンスなジョークを飛ばしてくれたんです(東京ですよ! 大阪じゃないんですよ!)
すぐ後に私よりも症状の軽そうな人が入って来たんですけど、その人の落ち込み方が凄くて死にそうな顔してて。
そしたらさっき一緒に大笑いしてくれた看護師さんが「辛いですね、でもすぐに楽になりますからね、私が楽にしてあげますから心配しないで」って言ってるんです。
「すげー」って思いました。これが「噯語」なんですかね。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
「噯語」を初めて知った時は、ちょっとした衝撃でした。
看護もさることながら日々の生活の中でも、活かせたら良いかなと。
でも、聖人ではないので時々しか思い巡らすことができず、実のところ自分が「噯語」を求めているような気がします。
如月芳美様の語彙力は素晴らしいと、作品を拝読して感じております。作品に魅了され一気読みした後、コメントを拝見し「あ~、」と声を上げました。
返信が遅くなりすみませんでした。
季節の変わり目ですが、喘息はいかがですか。
どうぞご自愛ください。
第3話 最期の晩餐への応援コメント
二つ、思う事がありました。
まず、患者を診ずに患者を判断するのは、前を見ずに車を運転するのと同じ事で、そのような方に「看護」は難しいのではないか、と。
そして、「ありがとう」という言葉があったのでしたら、それこそが「答え」で、「正しかったかどうか」という尺度には何の意味もないのでは、とも思います。
作者からの返信
お星様とコメントをありがとうございます。
確かに、おっしゃる通りだと思います。
看護とは、目・手・言葉を使い護るのだと学生の時に習った気がします。
その患者さんの状態を観ることなく悪態をつかれた上司に対しての辟易とした感情は、かなり時が経った今もまだ私の中にある様です。
第8話 NSとしての手紙への応援コメント
後期研修医時代のERでの私の失敗を思い出しました。
ER当直開始直後の17:30頃、糖尿病の既往を持つ屈強な男性が、「左の手足に力が入りにくい」との訴えで救急搬送されてきました。搬送直後の診察ではもともと「屈強」な男性なので、身体診察では明らかな麻痺を認めず、MRIでも有意な病変はありませんでした。抗血小板薬も定期内服中であり、行うべき検査、診察を行なって明らかな異常を認めず。「自宅で様子を見てください。何かあったら来てください」と伝え、お帰りいただきました。
翌朝の6:30頃、左上下肢麻痺の患者さんの救急搬送依頼があり、「受け入れOK」と返事。救急車が到着すると、夕方に診た患者さんが!
「先生、今度は全く動かなくなった」とのこと。MRIでは右内包にラクナ梗塞がありました。前日のMRIを見直すと、言われなければわからないレベルで微妙な変化が。
それ以降、「患者さんの訴え」と「検査結果」に不一致がある場合には、「より重篤な方」を優先して方針を考えるようになりました。
そんなことを思い出しました。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
「患者さんの訴え」と「検査結果」に不一致がある場合「より重篤な方」を優先、なるほどと思いました。
先生の患者様は心強いですね。
看護師は、患者さんと医師、患者さんと家族などのある意味仲介役ですので、どの内容をどのように報告するのかだと思います。
観察などによる状態把握も必要ですが、患者さんの訴えだけは特に注視すべきだと。看護師の役割を果たすうえで大切なことだと考えます。
患者さんが主体であるのだから。
ありがとうございました。
第8話 NSとしての手紙への応援コメント
はっきりとではないけど、何かおかしい、と感じたときに、
それを放っておかないことの大切さ、ってありますよね。
ついつい忙しいと見過ごしにしてしまいそうなのですが。
心に響くお話、ありがとうございます。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
ほとんどの場合、危惧に終わり何ともなかったりするのかもしれませんが、それでも患者さんの訴えがある以上、対応が必要だと思います。
現実的に難しいこともあるのでしょうが。。
もう看護師を退いた私が述べるのもおかしいのかも知れませんが、看護とは日々の小さな積み重ねであると思っています。
ありがとうございました。
第2話 噯語への応援コメント
その時にその人が必要としている言葉、それを念頭において、返す言葉を考える。
とても大切にしたいことだなと私も思います。
心に響くステキなエピソード、ありがとうございます。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
私自身、とても好きで大切にしていきたい言葉だと思っています。
ご感銘くださり、ありがとうございます。
第3話 最期の晩餐への応援コメント
嫁の母親が弱ってきて、いよいよ食事をとるのが難しくなってきました。
個人的には食べることは生きることなんじゃないかと思ってます。
もし自分の事であったなら、食べずに衰弱死するくらいであれば、誤嚥で死んだほうがましだとすら思ってます。経管栄養なんて絶対嫌です。
でも、介助する方はそうは行きませんよね。
どこに答えがあるのかはよく分かりません。
そもそも絶対的な正解は無いようにも思います。
貴重な文章ありがとうございました。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
お義母様のこと、ご心配ですね。
ひと昔前は、経管栄養をされている方が多かったのですが、現在はかなり少なくなっているようです。
今はどちらかというと、嚥下機能を評価してどのような食事形態をどのぐらいの量、どのような姿勢で摂取するかなどを検討し、できる限り経口摂取を維持するようにしているのではないでしょうか。
そうは言っても、食べれなくなる時は来るでしょうし難しい問題ですね。その方の背景も様々ですし。
私も経管栄養は、受けたくないと思います。
命を永らえることが第一の目的ではなく、どの様に生きたいか何が幸せなのかを求めたいです。
第6話の「透析の先生たち」に書いているのですが、ある先生が「透析をするために制限して生きるのではなく、生きて楽しむために透析や自己管理が必要なんですよ」と、言われたことに共通する気がします。
長文失礼しました。
編集済
第7話 聴こえてるよ。への応援コメント
よかったですね。親しき人達に看取られて。
きっと、家族の声は届いていますよ。
悲しいけれど、儚くも美しい余韻を残してくれました。
ありがとうございます。
私事で恐縮ですが、僕は数年前に両親を立て続けに亡くしたが、いずれもすれ違いで見送りました。二人は訳があって僕の思春期の頃に離れ離れとなっていたが、なぜか八十九歳と同じ歳で亡くなりました。今頃は黄泉の国で仲良く笑っていることだと思います。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
神崎様もご両親を見送られたのですね。
同年齢ですか。不思議ですが、離れてお暮しになってはいても目に見えない縁で繋がっておられたのでしょうか。
おっしゃる通り、きっと仲良く小太郎様を見守られておられますよ。
編集済
第7話 聴こえてるよ。への応援コメント
若い医者の失礼な態度に、ひどくがっくりすると同時に、とても腹が立ちました。「バカじゃないか!」と。
どこで学んだのかはもう定かではありませんが、「亡くなってしばらくは触覚、聴力は残っている」と聞いたことがあります。よしんば、「肉体」は感じられなくなっていても、「魂」には、家族の愛情は届いている、と信じています。
急性期の場でも、緩和ケアの場でも、患者さんが旅立とうとしているときにご家族に来てもらうと、少しベッドから離れたところで、呆然と立っておられるご家族は多いです。なので、「ご本人さん、まだ声は聞こえてますし、身体に触れているのも感じますよ。『点滴が抜けてしまう』とか、『心電図が外れてしまう』ような激しいことをしなければ、どうぞそばに寄ってあげて、手を握って、身体を撫でてあげて、声をかけてあげてください。その想いはご本人さんに届いていますよ」と伝えています。
訪問診療の時もそうです。脳血管障害で高度の脳のダメージを受けている方の訪問診療、時に体調を崩して入院されるときに頭部CTを取りますが、大脳皮質、大脳白質が高度に萎縮している場合が多いです。一番びっくりしたのは、くも膜下出血後遺症の方ですが、水頭症がひどくなり、大脳皮質白質の菲薄化が進みすぎて、側脳室が大脳皮質を破っていたことがあります。
それでも介護しているご家族は、「今日は調子が良くて、笑顔がいっぱいです」「ちょっと元気がなさそうな表情で、心配なんです」とおっしゃって来られます。正直なところ、私が見ても「いつもと変わりない」と思いますし、医学的には、表情筋を動かせる脳の状態ではないこともわかっています。それでも、私はご家族の言葉を否定せずに、「それは良かったですね。」「それは心配ですね。もしよければ血液検査で異常があるか確認しましょうか」と声を掛けています。
実際にご家族は、ご本人の微妙な表情の変化を感じ取っているのかもしれないし、あるいは「命」と「命」でつながっているかもしれない、と思うからです。ご家族のおっしゃっていることは「本当だ」と考えて対応しています。絶対に「医学的にはあり得ない」という言葉は使いません。本当に「私がわかっていない」だけかもしれない、と思っているからです。
そんなわけで、そのような態度で長年この仕事をしてきました。なので、もし私が指導医なら、その若い医者、厳しく叱ります。それが、命の終わりを迎えつつある患者さんと、その現実と対峙しているご家族に対して取るべき態度なのか?と。
長文失礼しました。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
その若い医師の言動に自分がおかしいのかと思ってしまった時もあるのですが、やはり間違いではなかったと先生のお言葉に安堵しました。ありがとうございます。
先生の患者さんやご家族への向き合い方は、医療従事者にとっても頼りになる、進むべき方向を指し示して下さっているように感じます。
胸にちくっとした痛みはまだ少しありますが年月が経った今は、その若い医師も経験の中で技術だけでなく精神も磨かれていたらいいなと願っています。
いつも心強いお言葉をありがとうございます。
第6話 透析の先生たちへの応援コメント
尊敬出来る、人としての倫理観を学ぶことが出来る方のもとで働けるって、素晴らしい職場ですよね。
残念ながら私はそういう職場には今まで恵まれなかった。
従って、単なる生活費を得るだけの労働を続けてきました。
ただ、それゆえ職場の人間にはよく目を注ぎました。
この人は良い点は何か?…何がダメなのか?
結局、やはり職場で人を惹き付ける者は、きちんとした倫理観を感じさせる人間じゃないとダメなんだと思います。
そしてコミュニケーション能力を技術的に身につけている人ですね。
まぁ、大げさに言えばこのカクヨムに載せている私の小説風作品には、このことを意識して書いているつもりです。
医療も小説も仁術だぁ~っ!
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
そうですね。私は運よく信頼できる先生のもと働くことができたのですが。
人間性とスキル両方が備わっているトップの方がその職場におられると風通しはいいけれども引き締まった場になり、巡り巡って雰囲気の良い場になるのかもしれませんね。(な~んて、偉そうですみません)
言葉を綴ることで自分自身も磨いていければと思っています。
第6話 透析の先生たちへの応援コメント
とてもいい職場で勤務されたと思いました。
透析の先生も、本当にいい先生だと思いました。
先生の言葉、「透析をするために制限して生きるのではないんですよ。生きて楽しむために透析や自己管理が必要なんですよ」、この中にきっちり「自己管理」という言葉が入っているところが立派だと思います。
いい加減な透析クリニックでは、「多少ルーズなことをしても、透析の時に引けばいいだろう」と、「自己管理」を軽視しているところもあるようです。
透析にかかわる自己管理、確かに厳しいですが、その目的が明確に「人生を楽しむため」と言われれば、自己管理へのモチベーションも上がると思います。
初期研修医時代、1か月ですが透析科をローテートしました。そこで学んだことはたくさんありますが、一部ですが「困った方」もおられたので、患者さんも含め、和気あいあいと過ごせた、というところに先生の人徳が表れているように思います。
拙文「とにかく、初期研修医頑張っています」の25話で、人工透析科ローテートの思い出をつづっていますが、自分で透析は回せなくても、「透析患者さんの内科的管理のポイント」がどこにあるのかは、その1か月で十分学ぶことができました。懐かしいことを思い出しました。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
本当に私は恵まれていたのだと思います。
転々と職場を変えた中で、心に残る場所でした。
透析施設で自己管理を軽視されているところがあるのですね。驚きです。
私は透析施設の経験は今回の文中の2か所と、立ち上げにかかわった1施設の3か所みですが。その立ち上げた施設は当時、ほぼ私一人で、Drも専従の先生はおられず曜日別に大学から来てくださる先生が担当してくださいました。
その先生にもルーチン作成などいろいろと助けていただきました。自己管理もお花見会も栄養士さんや患者さんご家族も含め楽しかったのですが、自分の力不足が不安だったのでしょう。辞めてしまい、幾年か過ぎてその病院に病棟勤務で再度働きだしたときに透析室に応援で入りました。
その際、私が始めた頃と透析室の雰囲気というか、いろいろと変わってしまっていて。当たり前なのですが。以前のエッセイの「何も成してこなかった」という言葉につながったのだと思います。
先生の「とにかく、初期研修医頑張っています」読ませていただきました。
透析がとても懐かしく「そう、そう。」と思わず呟いていました。
ありがとうございました。
第6話 透析の先生たちへの応援コメント
はじめまして。
とてもリアルで心に響くものでした。
上手くは表現できませんが、読みやすく情景も浮かびました。
素敵な思い出の数々。
ありがとうございました。
作者からの返信
★とコメントをありがとうございます。
ありがたいお言葉を頂いて、恐縮しつつも嬉しく思っています。
言葉を綴る励みになります。
こちらこそ、ありがとうございました。
第5話 心に残る患者さんへの応援コメント
いいお話、ありがとうございました。
「何かを成して、歴史に名を刻むこと」ができるのは、やはりごく一部の人に限られるのだろうなぁ、と思っています。臨床の現場にいると、次々に発生する問題に、何とかかんとか決着をつけながら日々の仕事をしていくのがやっとで、「何かを成す」なんて余裕はないと思っています。
その一方で、患者さんからの「ありがとう」の言葉がとてもありがたいことも知っています。本文中で、
「多くの人たちに巡り合えたことに無駄ではなかったと、今までのすべてが現在の私を作っている」
とおっしゃっておられましたが、本当にその通りだと思いました。
今も忘れられない強烈な印象を残された方、担当しているときにはどの患者さんにも一生懸命向き合ってきたけど、もう名前を思い出せないたくさんの患者さん、一緒に働いたスタッフの皆さん、そういった人たちとのかかわりが足しあわされて、今の「私」を作っている、と私も思っています。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
本文中の「何も成して、」についてですが、私的にはもっとレベルの低いもので「歴史に、」などと恐れ多いものではなかったのですが。
もっと身近な、例えば同じ職場で働き続けることでもっと違う見方や捉え方などできていたのではないか、何か一つでもその場所に小さな痕跡が残せたのではないかという程度だったのですが。表現が至らなくてすみません。
「子育ては親育て」と、いう言葉がありますが、医療従事者も、置き換えてみるとそうなのかなと思ったりもします。(また、表現が変かもしれません)
川線・山線様のエッセイを読ませていただいています。
とても分かりやすくまた、患者様に対して真摯に向き合われているご様子が伝わってきます。ありがとうございます。
第3話 最期の晩餐への応援コメント
お食事を食べてもらったこと、間違っていないと思います。
「そんなの無理に決まっているわ」と患者さんを看ることなく言い放つ上司の方はとても残念だと思います。
当方、内科医の末席を汚す者ですが、「終末期」の方の食事をいつまで提供するか、ということについてはいつも悩んでいます。看護師さんや栄養科の方からは、「〇〇さん、ここのところずっと食事を取れてないですが、食事を止めてもいいですか?」と聞かれることは多いのですが、「食事を取れていない」ことと、「食事を止めること」とはダイレクトに結びつくことではない、と思っているからです。
意思表示ができ、認知機能の低下もそれほどでもない方の場合は、ご本人に「食事を目にするとしんどく感じますか?」と尋ね、「食事を取らないといけない」という気持ちがしんどい、と意思表示された方については食事を止めていますが、そうでなければ食事の提供を続けています。もちろん「食べられる範囲で、無理をしなくていいです」と指示を出しています。
意思表示ができない、あるいは認知症がひどくて判断ができない方については、意識レベルが低下し、閉眼した状態で過ごすことが多くなれば食事を中止しています。
「食事を提供する」=「あなたが『生きる』ということを前提としている」という医療提供側からの意思表示だと思っているので、安易に、食事を食べられていない状態が続いているから、という理由だけで食事を止めるのはどうか、と逡巡してしまうからです。
真堂さんの想いと、患者さんの想いが重なった瞬間だから、最期の食事を取れたのだと思います。誤嚥に気を付けながら食事介助を行なわれたこと、私は「適切」だと思いますし、自分の担当の患者さんなら、看護師さんに「ありがとうございます」と伝えます。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
適切だったというお言葉ありがたいです。
「食事をとれていないこと」と「食事を止めること」とは、ダイレクトに結びつくことではないという御意見、そうだと思います。
ですが、勤務していた頃には少しそのことから心が離れていた時もあったように思います。反省です。
身体的にはエビデンスに基づいて捉えるとともに、ご本様のスピチュアル・お心を尊ぶという両輪が当たり前ですが不可欠なのですね。
再度考え直す良い機会となりました。
ありがとうございました。
第4話 心に残る虹への応援コメント
何でだか虹🌈はみんな見ちゃいますね。
見たらトクしたような気持ちになるんですよね。
ましてや病室の入院患者には、救いになるような現象に映るのかも知れないですね。
過去に入院した時、同室に沖縄県出身の患者さんがいて、寒い冬の日に雪が降ってきたんですよ。
だんだんと外の景色が白くなって行くのを、窓に張り付いてずっと見ていた彼の姿を、今回の話で思い出しました。
やっぱり入院生活は、退屈なんだよね。
では。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
病室から見える窓の外の景色は、もしかしたら外の世界(社会)と自身を繋ぐ役割を果たしてくれているのかも何て思ってしまいます。
第3話 最期の晩餐への応援コメント
考えさせられる話ですね。
介助する側が最期の晩餐を頭に浮かべるように、患者も自分の最期の晩餐を察しているのかもしれない。
その時、信頼する相手にお願いをするというのは分かる気がします。
最期の瞬間を自分の意思だけで決められないというのはどんな思いなんだろう。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
最後の瞬間、、難しい問題ですね。
ただ、心を沿わせようとすることは出来るのかな。そうする事でお互いに少し幸せな気持ちになれたら嬉しいのですが。
第2話 噯語への応援コメント
私は子供の頃から30過ぎくらいまで、喘息とアレルギーに苦しみました。
喘息の発作が酷い時には、何度か入院もしました。
そういう訳で医師や看護師の方々にはたいへんお世話になりながら半生をおくって来ました。
看護師さんのお仕事は、当時の記憶を呼び起こしてもたいへんなご苦労があったんだろうなと思います。
この先も拝読します。
なお、私が入院した頃の経験を元に、このカクヨムに作品を投稿しております。
「入院患者は眠らない !?」
という作品です。
もしも興味持って頂けたなら覗いて見て下さい。
では。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
ご紹介の「入院患者は眠らない!?」を読み始めさせていただきました。
患者様の立場からの状況に納得したり懐かしく感じたりと、楽しく拝読させていただいています。
喘息発作は空気の通り道(気道)が狭くなって、息を吐きだせないから吸えない。とても辛く苦しかったと思います。
働き始めのころに小児喘息のサマーキャンプにスタッフとして参加させていただいたことがあるのですが、「斎藤さんちの小噺」の(どういう意味なん)に少し書かせていただいています。小さな笑いを集めたエッセイなのですが、よろしければそちらものぞいて頂ければ幸いです。
第4話 心に残る虹への応援コメント
虹を見た皆さんが、その感動を共有している様子がすごく伝わってきました。
病院は普段戦場のように慌ただしいでしょうが、虹を見ている間は、医者も看護婦も患者もみんな関係なしですね。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
私の中にある記憶、思いを感じ取っていただけたようで嬉しいです。
どのように言葉を紡いでいけば書きたいことが表出できるのか、いつも迷いながらですが、綴っていく間に徐々に自分自身が見えてくる気がします。
歳は取っていても書くことについては若輩者なのでなかなか難しいのですが、楽しい時間でもあります。
応援、励みになります。ありがとうございます。
第3話 最期の晩餐への応援コメント
「答えにたどり着くことは難しい」
ひとの命を預かる身だから、
何のアドバイスも、出来ないけれど、
いつまでもその優しさを宝物にして欲しい。
人の心の痛みを感じられるのは、
ダイヤモンドのごとく
貴重な財産だと思います。
身勝手な戯言を綴ってしまいごめんなさい。
作者からの返信
⭐️と応援コメントを有難うございます。
人の気持ちに対して敏感なのかもしれないのですが、仕事をしていると気付いていても全てに添うことはなかなか難しかった気がします。
ですが、気づくことそのものに意味があるのかもしれませんね。
有難いお言葉、感謝です、
第2話 噯語への応援コメント
ごめんなさい。
「噯語」って、初めて知りました。
でも、言葉って、本当に大切だと思います。
そんな気持ちはなくても、傷つけてしまうとき
ありますからね。
あわせて、先日入院している際に
「音楽」と「草花」が
こんなに心を癒してくれるものだと
野暮天の性格なれど、初めて知りました。
「看護師という仕事が好きと思う」
なんて、素敵な想いです。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
「音楽と草花が癒やしてくれる。」その感性と経験が新たなことばを紡ぎだすエネルギーになるのかもしれませんね。
どうぞ、お体ご自愛ください。
編集済
第1話 気落ちしていますへの応援コメント
ナースとしての過去の経験は
とても、貴重やなあ……。
このところ、入院した際に
お世話になっております。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
そうですね。貴重な経験をさせていただいたのですよね。有難いことです。
第2話 噯語への応援コメント
コメント失礼いたします。
噯語というものがあるんですね。はじめて知りました。
その人が必要とする言葉なんて、優しい言葉ですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
大切にしている言葉の一つで、時折念頭におきながら返す言葉を選んでいます。
編集済
第1話 気落ちしていますへの応援コメント
コメント失礼いたします。
エネルギー不足と書かれていますが、この冒頭からは、これから書くぞというエネルギーを感じます。どういったエッセイになるのかわかりませんがフォローさせてもらいます。
作者からの返信
コメントとフォロー、ありがとうございます。
自分の中の不足したエネルギーを書きながら引っ張り上げている感じなのですが、その糸口が過去の患者様とのやり取りのような気がしています。 今から取り掛かる第2話で今回のエッセイの方向性をお伝えできればと思います。
編集済
第5話 心に残る患者さんへの応援コメント
『話を聞いてもらいたい』
患者さんとご家族の、正直な思いなのだと思います。(医療とは全く無関係な私ですが。身内や多くの方々の話、待合室や、近くで漏れ聞くお喋り、などからそう思います。そしてそういうタイプの町医者さんは人気があります)
医療の現場でそれをねだることは、与えることはスケジュール的に難しい。(心を割くことができても、丸っと時間を使うことはできない)
だからこそ、看護師学生真堂さんとの時間は贈りもののような、満たされた時間であったことでしょう。真堂さんだからできた、素晴らしきことですね。
作者からの返信
蜂蜜ひみつ様、有難うございます。
当時は、実習の際に「聞く」ことにあまり重点を置かれていなかったように思います。
ですが、いつ頃からか実習の際に、「患者さんから話を聞かせてもらう」ことに重点が置かれるようになった気がします。
そのように考えると、私は、出会いや縁に恵まれていたのだなあと思います。
現在は、パートで検診やカメラの介助に携わっていて、一人の患者さんとの時間は短いのですが、それでも時折、心の奥にあるものを吐露される方がおられます。その時、その人にとっての噯語を探すのですが、傾聴する…聞くことに意識を向けなければと、秘密様のお言葉から気づかされました。
ありがとうございます。