座学ではない現場での学び、しかも人の命を扱う現場となると、気遣いも工夫も、並大抵ではないものが要求されるのだろうなあと想像します。学生ながら、ご自分にできることを一生懸命に探されていた姿が、患者さんの心にも残ったのかなと感じました。
今もこうして思い出しておられるというのが、素敵です。
作者からの返信
お言葉、ありがとうございます。
患者さんと実習生としての出会い。
多くの学びのあった出会い。
その出会いがあったからこそ、次へと繋がっていったのかとも思います。
更には、その思い出を綴ったエッセイでこのようにコメントを頂け、思いのやり取りができる…ありがたいことです。
学生時代の実習としては、本当に重すぎる患者さんでしたね。
しかし、患者さんにとっても心に残る真堂様だったのでしょうね。
本当に多くの学びがあったと思います。
貴重な体験ですね。
作者からの返信
この美のこ様、コメントをありがとうございます。
はい本当に。
有り難い出会い、経験だったと思います。
こんにちは。
きっと、洗髪を断られていても、作者さまの思いやりは、伝わっていたのですね。
原点。
ボールペンのお礼。抱えきれないほどの思いを学び。
とても良いお話でした。
作者からの返信
ありがとうございます。
私は、良い出会いに恵まれていたのだと思います。
学生の頃のその出会いがあったから、その後の患者さんとのかかわりに未熟ながらも思いを馳せることが出来たのかもしれません。
患者が「会いたい」と思える看護師ってあんまりいないような気がします。
私自身、何度も入院しましたが、心に残る看護師さんというのがそんなにいるわけじゃない。会いに来て欲しいってよほどのことだと思いますよ!
作者からの返信
ありがとうございます。
お子様がおられなかったので、もしかしたら学生の私を娘のように思っていて下さったのかも知れません。
ただ、確かに。
優越感などではないのですが、当時他の学校の学生さんも同じ患者さんんを受け持たれてました。ダブルブッキング状態。
彼女は、結構押しが強く患者さんが拒まれても洗髪などの看護行為を行われていたそうで。(患者さんの夫様から聞いていました)
何もできなかった私ができたことは、夫様を通しての傾聴とその患者さんの意思の尊重だったのかもです。
いいお話、ありがとうございました。
「何かを成して、歴史に名を刻むこと」ができるのは、やはりごく一部の人に限られるのだろうなぁ、と思っています。臨床の現場にいると、次々に発生する問題に、何とかかんとか決着をつけながら日々の仕事をしていくのがやっとで、「何かを成す」なんて余裕はないと思っています。
その一方で、患者さんからの「ありがとう」の言葉がとてもありがたいことも知っています。本文中で、
「多くの人たちに巡り合えたことに無駄ではなかったと、今までのすべてが現在の私を作っている」
とおっしゃっておられましたが、本当にその通りだと思いました。
今も忘れられない強烈な印象を残された方、担当しているときにはどの患者さんにも一生懸命向き合ってきたけど、もう名前を思い出せないたくさんの患者さん、一緒に働いたスタッフの皆さん、そういった人たちとのかかわりが足しあわされて、今の「私」を作っている、と私も思っています。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
本文中の「何も成して、」についてですが、私的にはもっとレベルの低いもので「歴史に、」などと恐れ多いものではなかったのですが。
もっと身近な、例えば同じ職場で働き続けることでもっと違う見方や捉え方などできていたのではないか、何か一つでもその場所に小さな痕跡が残せたのではないかという程度だったのですが。表現が至らなくてすみません。
「子育ては親育て」と、いう言葉がありますが、医療従事者も、置き換えてみるとそうなのかなと思ったりもします。(また、表現が変かもしれません)
川線・山線様のエッセイを読ませていただいています。
とても分かりやすくまた、患者様に対して真摯に向き合われているご様子が伝わってきます。ありがとうございます。
編集済
『話を聞いてもらいたい』
患者さんとご家族の、正直な思いなのだと思います。(医療とは全く無関係な私ですが。身内や多くの方々の話、待合室や、近くで漏れ聞くお喋り、などからそう思います。そしてそういうタイプの町医者さんは人気があります)
医療の現場でそれをねだることは、与えることはスケジュール的に難しい。(心を割くことができても、丸っと時間を使うことはできない)
だからこそ、看護師学生真堂さんとの時間は贈りもののような、満たされた時間であったことでしょう。真堂さんだからできた、素晴らしきことですね。
作者からの返信
蜂蜜ひみつ様、有難うございます。
当時は、実習の際に「聞く」ことにあまり重点を置かれていなかったように思います。
ですが、いつ頃からか実習の際に、「患者さんから話を聞かせてもらう」ことに重点が置かれるようになった気がします。
そのように考えると、私は、出会いや縁に恵まれていたのだなあと思います。
現在は、パートで検診やカメラの介助に携わっていて、一人の患者さんとの時間は短いのですが、それでも時折、心の奥にあるものを吐露される方がおられます。その時、その人にとっての噯語を探すのですが、傾聴する…聞くことに意識を向けなければと、秘密様のお言葉から気づかされました。
ありがとうございます。