第5話  心に残る患者さん

 長い看護師人生の中でその時折に心に残る患者さんがいる。

 堪え性のない私は転職が多く、巡り合えた患者さんのタイプもいろいろ。

 もちろん、一人ひとり個性があるのだから例え同じ職場で働き続けたとしても違いがあるのは当たり前なのだろうけども。

 職場を転々としながら歳を重ね最近になってようやく「今まで何を成してきたのだろうか」と、省みている。

 反面、多くの人たちに巡り合えたことに無駄ではなかったと、今までのすべてが現在の私を作っていると肯定的に捉えようともしている。

 

 心に残る患者さんとのやり取りを逡巡していると最後には、いつもある患者さんに辿り着く。

 私にとって、看護師としての原点とも言える患者さん。

 かれこれ四十年近く前、私がまだ学生だった頃のこと。

 その方は、卒業症例として学ばせていただいた患者さんだった。

 実習病院では、指導者から指定された患者さんの経過を追い症例を学ばせていただく。

 その方は60歳を過ぎていただろうか。気管切開に(喉付近に穴を開け)呼吸器を使用されている回復見込みの薄い状態。病室に入った瞬間の第一印象は、学生の自分には重症すぎると軽いショックのようなものを覚えた。できれば、もう少し軽めの患者さんにして欲しかったが口に出すことなど出来なかった。

 気切のために声は出なかったが、意識は悪くなく口の動きで意思表示されていた。  今なら何とか理解できる気もするが、当時の私には難しかった。

 病室にはいつも夫が付き添い、ある意味通訳的な役割を果たし妻が過ごしやすいようにあれこれと世話を焼かれていた。


 当時は、現在のような整った看護計画ではなかったが、何かしら計画を立て実行し考察することは必要だった。

 学生ができることは少ないが移動が可能な患者さんなら許可があれば車いすを押して院内の散歩もできるし、自己管理が必要ならその資料作りもできる。

 だが、この患者さんの場合は難しかった。安全面から学生の私にできることは洗髪と手浴や足浴程度しか思い浮かばなかった。清潔保持に爽快感、コミュニケーション手段として。その中でも私は、洗髪を行いたかった。

 だから、ご本人の許可を得ようと幾度もお願いしたが「しんどいから」という理由で拒否され続けた。確かにしんどい状態だと理解できるものの受け入れてもらえない虚しさと、症例をまとめる際にどうしようかと気が滅入った。実習期間中に私ができたことはバイタル測定と手浴程度で、ご本人を交えながらほぼほぼ御主人のお話を聞くこととなっていた。話の内容は多岐にわたっていたが、主には夫の病室での創意工夫などだった。後の卒業症例発表で御主人のされていた工夫などを挙げ学びにつながったという内容に、指導者たちから良い評価をいただけた。自分の予想とは逆の結果だったが、今考えると理由がわかる気がする。


 実習の最終日に、御主人からボールペンを頂いた。当初は丁重にお断りしたが、「本人が渡したいから準備するよう頼まれたんや。あっ、芯は書きやすいように(店の人に)ええ言われたのにしてもろうたから。使ってやってな」意外なその言葉にありがたく頂いた。私自身を拒否されていたわけではなかった。

  

 症例発表も無事終わり卒業直前の一泊研修から寮に戻った夜に後輩から伝言を聞いた。前日に患者さんのご主人から電話があり、「かなりしんどくなっている。会いたがってる。来れんかなあ」と、言われていたと。

 門限間近だったために翌日訪れると、すでに意識はなく人工呼吸器の音は以前と同じはずなのに強調されて響き、病室を無機質に感じた。

 それから間もなく永眠されたと聞いた。卒業後に一度だけお線香をあげに行かせていただいたが、子供のいない夫婦で一人残された御主人は覇気がなく実習のころよりも小さく感じた。

  

 現在は、個人情報保護法もあり患者様との個人的な連絡は難しい。それでも何とか住所を調べて手紙を送ってきてくれた方もおられたが(個人的にはその思いは、嬉しかったのですが)、かなり昔なのでできたことかなとも思います。

 

 この御夫婦から若かった私は、多くのものを感じ学ぶことができました。それらは、あまりにも多く深いものでこの場では書ききれないことをお許しください。

 ただ、言えるのはここが私の看護師としての原点、始まりでした。

 


 ※守秘義務のため、この話に限らず患者様が特定できないよう書かせていただいています。

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