第6話 透析の先生たち

 かれこれ三十年近く前のこと。

 我が家の子供たちがまだ保育園児だった頃。

 核家族で共働きの私は、ある血液透析専門のクリニックの面接を受けた。

 透析なら日曜日はお休みで、夜間遅くなる勤務はあっても泊りはない。母親である私が看護師として働くには、魅力的に感じた。


 血液透析は自己管理が大切で、ダイレクトに生命の危機や予後に影響する。更には、多少の差はあるものの基本週3日4時間機械につながれる。穿刺痛や血管痛、血圧低下による気分不良や足などが痙攣したり他にも様々な苦痛が出現したりする。そもそも4時間ベッドやリクライニングチェアで自由に体を動かせないことだけでも苦痛だと思う。

 もちろん、透析を受ける患者さん全てがそうではなくて、個人差があるのも事実。どこまでが本当なのかは不明だけど、ケロッとして「なんともないよ」と言われる方も時にはいる。

 だから、私の中では血液透析をかなりネガティブに捉えていた。同じ透析でも腹膜透析なら少し違うのだけども。


 「透析をするために制限して生きるのではないんですよ。ために透析や自己管理が必要なんですよ」院長の面接時の第一声だった。

 物事の核を捉えたかのようなその言葉がストレートに胸に響いた。思わず目がウルっとした。そんな状態での面接の終わりに院長から「働いてくれるかな」の問いに「はい」と、返事をしたのは言うまでもない。ただ、予想外だったのは勤務開始が数日後の週明けだったこと。本当はもう少し自宅でゆっくりするつもりだった。

  

 働き出してからは、とても新鮮だった。院長が患者さんのため実際にいろいろと工夫されていることに、目を輝かせた。

 例えば、透析中の苦痛軽減のために患者さんが自由に鑑賞できるビデオテープがかなりの本数用意されていた。それも飽きないように月に二十本ずつレンタルビデオ屋さんから新しく払い下げられるようになっていた。古い順に同じ数だけが職員のレンタル用になった。その中から私もよく借りて帰った。

 また、食事も透析食にしては工夫されて美味しかったし、少量だがフルーツも付いていた。通常、果物は特に注意が必要なのだけど透析直後が最も安全だという理由だった。果物と言っても何をどれだけの量どのように摂るのかもあるし、広く考慮されたうえでの院長の考えだったのだと思う。

 遠くに花博の跡地を眺めることができるクリニックの屋上では、夏祭りをした。私たちスタッフも加わり着ぐるみ的なものも着用したこともあった。患者さんは笑いながら出し物を見たり、ヨーヨーすくいなどをして楽しんだ。手作りのお祭りだった。

 誕生日には花束が贈られた。患者さんはその日、期待の眼差しを滲ませながらも院長から受け取るときには驚く素振りを見せていた。その花束に関してはお一人だけ怒ってしまった患者さんがいたのだけども。透析中オーバーテーブルに置いていた花をナースが頭元の棚に移動したことで「わしは、生きとる」と。


 楽しかったし、自身も活き活きとしていた気がする。

 転居がなければ、今も働き続けていたのかもなんて思う。


 そういえば、退職する少し前に雑誌の取材が来たことがあった。題名は定かではないけどもたしか、「町で活躍するお医者さん」だったような。

 透析を終えて出てくる患者さんに事前アンケートをして対象になったらしい。

 当日は、Gメンだったかに出ていた女優さんも来られて一緒に写真を撮ってもらった。その写真は、今もどこかにあるはず。探してみよう。そうしたら、もっと心に染みたことを思い出すかも。


 そこで血液透析に携わる楽しさを知った私は、転居後も透析施設で働いた。

 そこの院長先生もまたご自身のポリシーを強く持っておられ多くのことを学ばせていただいたのだけど、残念なことに十三年ほど前にご逝去された。「透析は看護師のほうが上手だ」とも言っておられたことが、懐かしい。

 書きたいことはたくさんあるのだけれど、今回はここまでにしておこう。

 その先生のことは、またゆっくりと文章に綴りたいから。

 

 



 

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