第7話 聴こえてるよ。

 もうすぐ姑の命日が来る。

 昨年が十三回忌の法要だったのだが、今でも鮮明にその日のことを思い出す。

 姑は、最後の贈り物をするかのような逝き方をした。


 「明日、お袋の顔を見に行くわ」と、赴任先から夜遅く帰宅した夫が真面目な顔つきで言った。姑は、心臓の手術後にそれなりの経過をたどりリハビリも開始されていた。順調と捉えられないのは、すでに心臓そのものが弱っていたから。

 術直後に主治医からの解りやすく丁寧な説明があり、予後が悪いであろうことも予想できていたつもりだった。面会時間は限られていたのだけど幾日かは、夫の実家から病院に通った。

 だが、一般病棟に移るようになりその前日に「もう、帰っていいよ」と、言う舅の言葉に従って私たちは車で三時間以上をかけて帰っていった。その後は、舅からの連絡で経過を知り少し楽観視していた気がする。

 そんな矢先の出来事だった。

 ベッドサイドでの立位訓練をした日の夕方に「直接話したい」と、舅の携帯電話を使って息子である夫に電話を掛けてきた。夫が言うには聞き取りにくい声で「ごめんね、ごめんね」と、泣いて繰り返すばかりだったそうだ。

 赴任先と実家は自宅を挟んで逆方向。仕事を終え疲れ果てた夫は、とりあえず自宅に帰ってきた。翌朝早くに私たちは車を走らせた。


 姑の状態は、それまで舅から聞いていた状態とは打って変わり話すことが難しくなっていた。電話で聞き取りにくかったとの夫の言葉に納得した。そこから更に悪化したのだろう。血栓でもとんだのかなと思ったが、口には出さなかった。意識レベルもやや下がっている。そのような状態で、「朝の薬は飲まれましたか」と、付き添っていた舅にナースが声をかけ飲ませといてくださいと病室を出ていったのには唖然とした。

 その日、夕方まで付き添っていたが舅が帰るように言った。「えっ、この状態で」と、私は目を白黒させた。せめて夫だけでも残るべきだと伝えたが夫は「明日、仕事の采配を済ませてから来る。そうしないと、」と強張った表情で言い、結局夫婦で帰路に就いた。夫は現実を受け入れ難かったのかもしれない。助手席で私は涙が出て仕方がなかったが、気づかれないようにずっと窓の外に目を遣っていた。


 その夜遅くやっと、うとうとした頃に枕もとの電話の着信音が響いた。

 「意識がなくなった。もう無理らしい」

 深夜の道で車を加速させる夫に「安全第一よ」と声をしつつ、遠く離れて暮らす子供たちに連絡をした。途中舅からの電話で頑張ってくれていることを知り「もう少し頑張って」と祈った。

 

 願いが通じたのか意識のない姑は頑張ってくれ、私たちの到着から数時間後に来た孫たちをも待ってくれていた。

 親戚や知人など多数の見舞客に「看取りの時に何故こんなに。地域性なのか」と、不思議に感じた。訪れた人は意識のない姑に躊躇する様子がうかがえたので、「耳は聴こえてますから話してやってください」と、その都度声を掛けた。

 舅はその見舞客たちと度々病棟内の談話室に行っていた。

 ある時、若い医師が病室に来て私に聞いた。

 「耳は聴こえているのですか」と。

 その問いに私は目が点になった。この先生は何をわざわざ言いに来たのだろうかと。看護師の間では意識のない患者さんも最期まで聴こえていると、よく言われるのだけれど。どのように返答しようかと悩んだが、見舞客というギャラリーの多い中でその先生を貶める発言はできない。まして看取りの真っ最中に。

 「いえ、私は聴こえているとそう思っているのですが」とだけ言った。

 すると、「あなたが思っているだけなのですね」と、言い部屋を出ていった。その時の表情があざ笑うようにニヤッとして見えたのは私の思い込みだったのだろうか。


 「会いたい方にもう会われましたか」と、看護師さんが確認後に点滴を一本止めた。その後は、姑に付き添いながら脈に触れていた。一瞬脈が強く打った。同時に「聴こえてるよ。」という姑の声が直接頭の中に響いた気がした。「えっ」と、姑の顔を見ると目を開けていた。

「お義母さん、お義母さん」と慌てて言うと、二度頷いた。息子である夫も慌てて声をかけると、見つめるようにして頷いた。孫たちにも同様に。

 だが、その時舅は見舞客と共に談話室に居て、孫が呼び戻すと取り乱しながら「先生は呼んだのか」と、言いながら入ってきた。私はその言葉を無視し姑を見るように促した。

 そして、舅の呼ぶ声に頷いた直後に姑は静かに旅立っていった。

 その様子を見届け、ナースコールを押した。たぶん、心モニターで状態を把握していた主治医の先生や看護師さんは、看取りへの配慮からコールがなるまで待っていてくれていたのではないだろうか。

 後に分かったのだが舅は、激しく動揺しており自身の声掛けに姑が頷いたことに気付いていなかったそうだ。説明すると「そうか。」と、だけ言った。


 

 姑の最期の声は、口で言ったわけではなく直接頭の中に響いた感じで所謂幻聴なのかもしれない。

 でも、私としては「聴こえてるよ。」という声は姑の優しさだったと願いたい。

 どちらにしても姑の逝き方は素晴らしいもので、姑からの最後の贈り物のような気がしている。

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