応援コメント

第12話 患者になって(2)」への応援コメント

  • 看護師としての真堂さんの視点が、ここにきて患者さんの側になり、読み手としてもいろいろ気付かされること、考えさせられることがたくさんでした。
    健康な人の言う「できる」と、いま症状がある人の「できる」には、大きな開きがあるのですね。
    医療関係に限らず、そうした齟齬は日常生活の至る所にある気がします。
    他者の痛みに想像を及ぼして生活するということが、巡り巡って自分のためになるかもしれない。
    そんなことを思いました。
    素敵なエッセイ、読ませていただき、ありがとうございました。

    作者からの返信

    鐘古こよみ様、素敵なお言葉をありがとうございます。
    他者の痛みを想像すること……確かに巡り巡って返ってくるのかも。
    一人一人が常には難しくても、時折、他者の痛みを想像し慮ることが出来れば、もっと生きやすい世の中になるのかもしれませんね。
    カクヨムは、その想像力を養う場として適しているのかも。

  • この話は、病気や手術を通じて自分自身の体験を深く理解し、それを看護師としての視点に生かすことの大切さを教えてくれますね。

    「自分の体験は、他人への深い理解の道。見方を変えれば、人の振り見て我が振り直せ」といったところでしょうか。

    患者さんの立場に立って考え、感じることで、より良いケアを提供するための洞察を得られるというメッセージが強く伝わってきます。


    僕も、そんな自分を見つめ直せる人生の鏡が欲しくなります。慌ただしい日常にかこつけて、なかなか自分では気づかないものです。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます。
    少し話がずれてしまうかもしれないのですが…
    以前、「看護は推理小説のようで面白い」と、お話をされていた方がおられたのですが、確かにそうかもと思います。
    「体験を経験に変える」ことで、感じ、考え、推察し、看護に繋げる。
    この様に述べると、看護のみならず人生そのものがそうなんだなと。

    神崎様の繊細な言葉で綴られた作品からは、洞察力もさることながら思いを馳せるお力がすごいなあと、いつも思っておりました。
    いつも素敵な作品を読ませていただきありがとうございます。

  • 真堂様。

    ナースの貴重な体験談も心に沁みましたが、腰椎椎間板ヘルニアで緊急手術をされた後の患者としての体験談も心に響きました。
    看護する側と看護される側、両方を経験してみて見えてくるものもありますよね。
    「体験を経験に変えるのですよ」
    本当にその通りですね。
    素晴らしいお話の数々、考えさせられたり気づきがありました。
    真堂様、ありがとうございます✨✨

    作者からの返信

    この美様、
    こちらこそ、いつもありがとうございます。

    今は、仕事をせず半ば引きこもっておりますが、このような状況でも「体験を経験に変えるのですよ」の言葉を胸に何かに繋げていけたらと微かに思っています。

  • こんにちは。

    「現在は、走ることも飛び跳ねることも何だってできる。」そこまで回復なされて、本当によろしゅうございました。ε-(´∀`*)ホッ

    しかし、大変な思いをされましたね。術後の痛み、「歩けない」
    そして、気付き……。

    今話だけでなく、全体を通して、とても、考えさせられるエッセイでした。
    ありがとうございます。

    作者からの返信

    私のエッセイをお読みくださりありがとうございます。
    また、コメントもいつも感謝しております。
    コメントを頂くことで、改めて考える機会を与えていただきました。

    加須 千花様の小説が素晴らしく、いつもそちらにコメントをさせていただきたいと思うのですが、話が面白くついつい先を急ぎ読んでしまいます。
    結果、コメントを残せずにごめんなさい。
    でも、本当に面白いんですもの。

  • 私が小学生のころだったか、「飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ」という本がベストセラーとなりました。徳洲会グループの草創期、徳洲会3番目の病院として開院した岸和田徳洲会病院 整形外科の井村 和清医師が、若くしてがんを発症し、亡くなられるまでの手記をまとめた本です。徳洲会グループの草創期であり、理事長の徳田 虎雄氏にとっても、グループのスタッフ全員と、まだ顔の見える存在であったころです。

    井村医師が、病重く、病院を退職される際に「3つの悲しいこと」というお話をされたそうですが、その一つに「自分は病を持つ人の気持ちを分かったつもりになっていたが、この病を得て、自分は何一つわかってなかったことに気づいた」ということをあげておられました。

    私たち医療者が、いくら慮っても、本当の気持ちは「患者さん」にならないと分からないのだろう、と思います。

    私も病を抱え、薬を飲みながら日々を過ごしていますが、だからと言って、患者さんのつらさ、苦しみが「わかる」なんてことを思ったことはありません。誰かが別の誰かのことを「わかる」ということそのものが不可能だ、と悲観的に考えたりもします。それでもある瞬間に「思いが通じ合う」ことはあり、それは素晴らしいことだと考えています。

    患者さんのお話を聞いて、その思いを想像すること、「あなたに寄り添っていますよ」という態度を示すこと、そして、可能な限り笑顔で、優しい言葉遣いで患者さんと接すること、私ができることはそれくらいかなぁ、と思いながら、日々、仕事をしています。

    作者からの返信

    「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」かなり昔に私も読みました。私の場合は、小学生でなく学生の頃だったような。
     その人の持つ思いは、その人にしか分からない…確かにそうかもしれません。患者さんに限らず。
     ただ、寄り添う気持ちを持つことは出来る…そのように思いたいなと。

     エッセイに書いた詰め所での他のNSの発言に、当初突き放す感じはしたもののそれ以上は考えもしなかったのですが、自分がそのような気持ちになってやっと「そういうことなのかも」と。

     体験したことを、感じとって考え経験に変えることで人としての奥深さが増し、結果寄り添うことにつながるのかなと。
     コメントをありがとうございました。