第12話 患者になって(2)
腰椎椎間板ヘルニアで、直ぐに手術というのはたぶん珍しい。術式にしても内視鏡が主なようだ。
でも、私の場合は、第4,5腰椎間の椎間板がずれて神経を圧迫しただけでなかった。脱出、分離、遊離して第4腰椎の神経の出口付近にくっついていた。
そりゃあ痛いよね。右足に麻痺も出ていたわけだわ。
術式も位置的に内視鏡は使えず、大工仕事のような職人技で対処してくれた。
人生初の手術。麻酔から目覚めたときは時間の経過が全く感じられないまま先生の声を聴いたことは覚えているが再びすぐに眠ってしまった。
病室で目覚めると、やたらとすっきりとして高揚感に包まれていた。たぶん、薬の効果だと思う。夫と娘に帰るように促したのだけど、一時間後には後悔した。
「痛い」
自宅で一人七転八倒していた時も辛かったが、術後がこんなに痛いだなんて。痛いとは耳にしていたけども、経験しないと分からないことだと思った。
何だかんだと言いつつも経過は順調で、歩行も可能になった。
少しだけ残っていた右下肢の麻痺も、時間の経過と共にほぼなくなった。忘れたころに痛みがひと時出現し、痛んだ後にぐっと麻痺が改善したことを繰り返した気がする。
現在は、走ることも飛び跳ねることも何だってできる。ただ、気を抜いたときに動く方向によっては多少ふらつくことがあるけど。
出産以外での初めての入院、初めての手術。
それまでは、ちょっとした外来受診しかしたことがなかった。
患者としての視点や感覚。
実際に自分がその立場、状態になって気付くことが多々あった。
耳を澄ますわけでもないけど入ってくるスタッフの会話。対応してもらい気持ちが安らぐスタッフとそうでないスタッフ。感じ取れるスタッフの気遣い。
病室の空調の音の響き、食事の楽しみなど。
それらの気づきは、看護師としての自分を省みる機会になった。
患者さんの口調が強いのは不安があるからかも。
患者さんの心に寄り添えているのだろうか。
何かしら説明をする際に、言葉をかみ砕き間を置き、患者さんが理解納得できるように配慮できているだろうか。
普通に元気に何事もなく暮らしている時と異なる状況では、話が頭の中に入りにくいのではないだろうか。
他にもいろいろあったはず。
「歩けないっていうけど、歩いてるよねえ」
「うん、見た。歩けてるよね」
よくある看護師間の会話。
自分が患って患者さんの言う歩けないがよくわかった。
術後にフリーでの歩行が可能になったものの、右下肢麻痺が多少残存していた私は、健側の左下肢に引っ張られるためか廊下を歩いていると左へ左へと寄ってしまっていた。意識しても難しかった。結局、トイレに行くときなどは、あらかじめ廊下の右端から歩き始め途中で、左にある柱を手で押して方向を修正していた。
だから、私の中では歩けない…ようなもの。何も考えず何も調整せず歩けることが、発症前の状態が私にとっての歩けるということ。
でも、周囲からは歩けていることになるのだろうと思った。
ちなみに階段の昇降も右下肢は動きを忘れていた。
だから、階段で幾度も自分の左下肢の動きを観察して、右下肢を再教育した。
以前、看護学校の先生がこのような話をされた。
「体験を経験に変えるのですよ」
看護師を辞めてしまった今も、日々私の中にその言葉が生きている。
アラ還(もと)ナースの独り言 真堂 美木 (しんどう みき) @mamiobba7
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