応援コメント

第7話 聴こえてるよ。」への応援コメント

  • お姑さん、きっと本当に最期まで聴こえていたんですね。心無い若手医師の言葉に驚きましたが、看取りのために集まった皆さんのお気持ちが文章から伝わってきて、それに応えようとなさったお姑さんの様子も目に浮かぶようで、涙が出ました。
    人の強い気持ちって侮ってはいけませんよね。

    作者からの返信

    鐘古こよみ様、ありがとうございます。
    「意識が無くても聞こえている」というのは、看護師の間ではよく言われています。実際に看護師としての経験の中でも幾度かそのように感じたことがありました。
     姑の最期の時、きっと全てわかっていたのだなあと…今でもそのように思っています。
     そして、素晴らしいお別れをしてくれたのだと。ありがたいことです。
     
     あの時の若い医師も今では、医師としても人としても経験を重ねられていることを願っています。
     人は生身の体を持つと同時にスピリチュアルな部分も併せ持つ存在であると、年齢と共にそのように感じています。
     

  • お姑様、最後の最後まで、みんなの呼びかけに頷いて、それから静かに旅立たれた、その様子にジーンときました。

    耳は最後まで聴こえていると言いますよね。
    若い医師の言葉には驚きました。
    又、ナースの言動には私も唖然としました。

    お姑様の「聴こえてるよ」の声が頭の中に響いた気がした……その情景にゾクっとしました。
    きっとお姑様は真堂様に伝えたかったのでしょうね。

    作者からの返信

    はい、きっと伝えてくれたのだと思っています。
    お互いの思いから、第六感のチャンネルが繋がったような気がします。
    ホラーではないのですが、もともとそのような感覚が少し強いようで。

    どちらにしても、姑さんからの愛情あるお別れだったと。

  • 若いお医者さんと「薬飲ませといて」な看護師さんには『?』しか残りませんが、お姑さんが頷いてくれたのは良かったですね。お舅さんにも頷いたことに気づいて欲しかったけど、それどころじゃないだろうし。
    作者さんが看護師で冷静だったからこそ、その脈も頷いたのも気付けたんだろうなぁ。

    作者からの返信

    コメントをありがとうございます。
    あれからかなりの年数が経ちました。
    あの時の方達も多くの経験を踏み、良い変化があることを期待するばかりです。

    最期の瞬間は、お姑さんから私への本当に大きなプレゼントだったのだと。その感覚は、今でも変わらずありがたいなと思っています。

    急に寒くなったのですが、おつとめ前の体調もお気遣いくださいね。

  • こんにちは。

    ……薬を飲ませておいてください、と出ていったナースさんには、
    「この状態で飲めるわけがないでしょう?!」
    と言いたくなるし、あざ笑うように(見えた)「聴こえるのは、あなたがそう思うんですね。」と言った医師には、
    「聴こえてるっていったら聴こえてるんだよ! わからないのか! 見ろ!」
    と肩をつかんで言ってやりたくなりますが、……大人なので、実際その場面にいたら、ぐっとこらえるでしょう。

    きっと、姑さまは、作者さまに感謝してると思います。
    死ぬ間際に、職種ゆえの知識で、よく見てくれて、ありがとう、と。

    作者からの返信

    コメントをありがとうございます。

    当時、怒りたいのを必死で堪えておりました。
    でも、姑の最期の時ですので…

    自分の職場で働いている時なら「え~、飲める状態なんですか~」とか、「え~、看護師の世界では最期まで聴こえてるって有名な話ですが、先生はお知りにならないんですか~。まあ、お医者様ですものね」と、嫌味な棘のある言葉を投げていたかと。

    あっ、すみません。怯えないでくださいね。
    時々、娘が言う「ブラックおかあ」が現れちゃうんです。

    医療従事者も結局はその人の人間性、いろいろな方がおられます。


  • 編集済

    よかったですね。親しき人達に看取られて。
    きっと、家族の声は届いていますよ。
    悲しいけれど、儚くも美しい余韻を残してくれました。
    ありがとうございます。

    私事で恐縮ですが、僕は数年前に両親を立て続けに亡くしたが、いずれもすれ違いで見送りました。二人は訳があって僕の思春期の頃に離れ離れとなっていたが、なぜか八十九歳と同じ歳で亡くなりました。今頃は黄泉の国で仲良く笑っていることだと思います。

    作者からの返信

    コメントをありがとうございます。

     神崎様もご両親を見送られたのですね。
    同年齢ですか。不思議ですが、離れてお暮しになってはいても目に見えない縁で繋がっておられたのでしょうか。
    おっしゃる通り、きっと仲良く小太郎様を見守られておられますよ。


  • 編集済

    若い医者の失礼な態度に、ひどくがっくりすると同時に、とても腹が立ちました。「バカじゃないか!」と。

    どこで学んだのかはもう定かではありませんが、「亡くなってしばらくは触覚、聴力は残っている」と聞いたことがあります。よしんば、「肉体」は感じられなくなっていても、「魂」には、家族の愛情は届いている、と信じています。

    急性期の場でも、緩和ケアの場でも、患者さんが旅立とうとしているときにご家族に来てもらうと、少しベッドから離れたところで、呆然と立っておられるご家族は多いです。なので、「ご本人さん、まだ声は聞こえてますし、身体に触れているのも感じますよ。『点滴が抜けてしまう』とか、『心電図が外れてしまう』ような激しいことをしなければ、どうぞそばに寄ってあげて、手を握って、身体を撫でてあげて、声をかけてあげてください。その想いはご本人さんに届いていますよ」と伝えています。

    訪問診療の時もそうです。脳血管障害で高度の脳のダメージを受けている方の訪問診療、時に体調を崩して入院されるときに頭部CTを取りますが、大脳皮質、大脳白質が高度に萎縮している場合が多いです。一番びっくりしたのは、くも膜下出血後遺症の方ですが、水頭症がひどくなり、大脳皮質白質の菲薄化が進みすぎて、側脳室が大脳皮質を破っていたことがあります。

    それでも介護しているご家族は、「今日は調子が良くて、笑顔がいっぱいです」「ちょっと元気がなさそうな表情で、心配なんです」とおっしゃって来られます。正直なところ、私が見ても「いつもと変わりない」と思いますし、医学的には、表情筋を動かせる脳の状態ではないこともわかっています。それでも、私はご家族の言葉を否定せずに、「それは良かったですね。」「それは心配ですね。もしよければ血液検査で異常があるか確認しましょうか」と声を掛けています。

    実際にご家族は、ご本人の微妙な表情の変化を感じ取っているのかもしれないし、あるいは「命」と「命」でつながっているかもしれない、と思うからです。ご家族のおっしゃっていることは「本当だ」と考えて対応しています。絶対に「医学的にはあり得ない」という言葉は使いません。本当に「私がわかっていない」だけかもしれない、と思っているからです。

    そんなわけで、そのような態度で長年この仕事をしてきました。なので、もし私が指導医なら、その若い医者、厳しく叱ります。それが、命の終わりを迎えつつある患者さんと、その現実と対峙しているご家族に対して取るべき態度なのか?と。

    長文失礼しました。

    作者からの返信

     コメントをありがとうございます。
     その若い医師の言動に自分がおかしいのかと思ってしまった時もあるのですが、やはり間違いではなかったと先生のお言葉に安堵しました。ありがとうございます。

     先生の患者さんやご家族への向き合い方は、医療従事者にとっても頼りになる、進むべき方向を指し示して下さっているように感じます。

     胸にちくっとした痛みはまだ少しありますが年月が経った今は、その若い医師も経験の中で技術だけでなく精神も磨かれていたらいいなと願っています。
     
     いつも心強いお言葉をありがとうございます。