第30話 最後の攻防

 2人はついに格納庫までたどり着いた。扉を開けると、そこには予期していない光景が広がっていた。


「ああ……くそっ」


 忌々しさを抑えきれず、イェルンの口から罵倒する言葉が衝いて出た。

 重力子発生装置を切っているせいで、道具類が宙に散乱していた。点検時にしっかり固定したのだが、漂流物が激突した際にワイヤーが外れてしまい、片付けた後は積んでおいただけだったのだ。

 イェルンは数ある道具類の中から、エプセッターとアジェントを探した。


「イェルン、あそこっ」


 アディが指さした方向に、一台のアジェントが浮遊していた。まるで、重さから解き放たれたのを喜んでいるように舞っている。

 イェルンが漂うアジェントに手を伸ばした時、オムニックが弾け飛び、その衝撃で体ごと飛ばされた。コントロールが効かず、ぐるぐる回って天井と床の区別がつかなくなる。


「うおっ!?」

「イェルンッ!」


 オムニックは完全に破壊されており、無残に砕かれていた。もう少しずれていたら、手首より先がなくなっていたところだ。

 イェルンはスーツに仕込まれているスラスターで姿勢を立て直そうとしたが、なかなかうまくいかず、神経が逆なでされた。


「やっぱり、無重力での射撃は難しいな……」


 不気味な声と共に、イーガルが滑り込んできた。予想よりもずっと早い。重力に縛られない現況を最大限に活かし、一気に距離を詰めたに違いない。


「無様だな。そういえば、イェルンは無重力状態での活動の成績はあまり良くなかったな」

「俺は航法士だからな。船外での活動は最低限できれば良いのさ」


 精一杯の強がりも、今のイーガルには軽やかなBGMに過ぎなかった。


「駄目駄目駄目駄目。宇宙ではなにが起こるか分からないんだ。そんな甘い考えだから、こんなピンチを迎えてるんだぞ」

「そのピンチをもたらしてるのは、クルーを守るべきリーダー様だけどな」


 イーガルはいきなり発砲した。アディが悲鳴を上げる。だが、弾丸はイェルンを狙ったものではなかった。漂っていたアジェントに向けられて撃ったのだ。弾丸は見事に命中した。アジェントが弾かれて、イェルンから遠ざかった。


「二度も同じ手が通用するかよ。挑発しながら、武器になるものが近くに来るのを待っていたんだろ? アディも動くなよ。きみが撃っても当たりっこないが、俺は確実に命中させるぞ」


 密かにアジェントを構えようとしていたアディの腕が、ピタリと止まった。今のイーガルの言葉には、それだけの抑止力があった。


「ラグティナはいたか?」

「………………」

「………………」


 2人とも黙っていると、イーガルは口元を歪めた。


「答えたくないか。それも結構。おまえたちを処分した後、ゆっくりと捜索するよ。なにしろ時間はあるし、船内は俺とラグティナの2人、いや1人と1匹だけになるんだからな」

「そうかいっ!」


 イェルンは、足元に近づいていた板状の素材を蹴飛ばした。


「うっ⁉」


 武器になる物は近くに漂っていないと油断していたイーガルは、完全に不意を突かれた。板は上手い具合に回転して、2人の間に壁を作った。

 一瞬の隙を逃さず、イェルンは逃走に転じた。


「アディッ! 逃げろっ!」


 アディは逃げるのではなく、イーガルに向けて発砲した。銃のような威力は望めなくても、行動を止めることはできるだけの効果はあるはずだ。


「小細工をっ!」


 電撃が一直線にイーガルに向かった。イーガルは身を捩ってかわしつつ、イェルンとの直線の軌道を確保した。無情にも、アディが放った起死回生の一撃は、イーガルの脇をすり抜けてしまった。


「当たらないと言ったろうっ!」


 銃声が響いた。もう何度聞いたことか。それでも決して慣れることのない獰猛な咆哮だ。

 イーガルが放った銃弾は、イェルンを捉えた。エネルギーの塊が彼の脇腹を貫通し、血を吹き出させた。


「うがあぁっ⁉」


 熱した鉄棒を差し込まれたような痛みに、悲鳴を堪えられなかった。飛び出した血は球体となって、イェルンにまとわりついた。


「ああっ! イェルンッ!」


 アディは不器用に宙を滑り、飛ばされたイェルンを抱き止めた。


「う……う……」

「イェルンッ! しっかりしてっ、 イェルンッ!」


 アディは必死に呼び掛けた。彼は助かるのか? 今のは致命傷なのか? それすらも分からず、ただ苦痛で歪んでいるイェルンに声を掛け続けた。


「ア、ディ……」


 イェルンの口から発せられた声は、あまりにか細かった。絶望がアディの奥底に沈殿していく。2人は重なったまま、ゆっくりと床に着地した。倣ってイーガルも降下して、床に足を着けた。


「もう動くなよ。無駄に体力を消耗したくない」


 アディは、涙を浮かべた目でイーガルを睨んだ。 


「……消極的でいつも苛つかせていたおまえが、生意気な目で睨んでくれるじゃないか」


 イーガルはそう言いながらも、実はもう一つの視線を気にしていた。イェルンの眼差しだ。

 ダメージを受けているのは間違いないのに、闘志が衰えていない。普通だったら、戦意喪失してもおかしくないくらいに追い詰められているというのに、まだ逆転の機があるかのような圧のある眼力に、イーガルは落ち着かなくなった。

 勝利が確定したにも関わらず、なお不安を与える目。イーガルのプライドを傷つけるには充分過ぎた。好きな絵を描こうと真っ白い紙を用意したのに、ちょうど中央に黒いシミを見つけたみたいに、頭にカッと血が上った。


「イェルン……先におまえに死んでもらおうと思ってたけど、気が変わった。おまえが一番最後だ」

「なんだと?」

「アディを目の前で殺されても、そのムカつく目を保っていられるか? 俺はおまえが後悔や恐怖で泣き叫ぶ姿を見てみたい」

「……おまえはイカれている」

「俺の人生に失敗はない。今回だって成功させてみせるさ」


 イーガルは自分が発する言葉に酔いながら、なにかが変化したことに気がついた。しかし、なにが変わったのかが分からない。

 ザワっと項に緊張が走ったかと思うと、腕が一気に粟立った。

 イェルンは満身創痍だ。アディはアジェントを構えてもいない。ここから形勢をひっくり返すなど不可能だ。しかし、なにかがおかしい。


「………!………?………?」


 どんどん加速する鼓動に息苦しさを覚え、ついに違和感の正体が分かった。

 2人とも自分を見ていなかった。視線は確かにこちらに向けられているのだが、その瞳が捉えているものは、自分を通り過ぎてその背後にあった。恐怖の対象が、いつの間にか自分に対してではなくなっている。

 まさかという思いが、追い詰めた2人を目の前にしながらも、イーガルを振り向かせた。

 ラグティナが無言で立っていた。一切の気配を感じさせずに、イーガルを凝視していた。


「!? なっ!?」


 全身が鋭利な刃物と錯覚させるほどの鋭い殺気が燻っている。言葉は通じなくとも、怒りの頂点に達していることは一目瞭然だった。

 突然の事態に陥り、イーガルは動きを止めてしまった。その一瞬が彼の運命を決定した。

 ラグティナは微塵の躊躇いもなく、ナイフをイーガルに突き立てた。異星人であるラグティナが、イェルンたちの体の構造を理解しているわけはないはずだが、鋭い凶器が穿ったのは、まさに急所だった。


「うおおおおおっ‼」


 イーガルから断末魔が吐き出された。耳を塞ぎたくなるような、凄まじい叫び声だった。

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