第21話 二度目の惨劇
イェルンたちはブリッジに戻った。サマトにはみんなが集まっていることは知らせたが、一方的に喋って終わったと伝えた。
戻る途中で打ち合わせをして、2人で交わしたやり取りはまだ伏せておこうと決めた。不確定要素で、わざわざみんなの不安を煽ることもないからだ。
イーガルは苦い表情を見せたが、憤慨することはなかった。
「しかたない。サマトの気が済むまで、放っておこう。一晩経てば頭も冷えるだろう」
「待ってよ。サマトを一人きりにしとくの? 危ないよ」
エマが口を挟んだ。至極もっともな意見だった。しかし、イーガルの返答は淡白だった。
「しかし、今のイェルンの話だと、取り付く島もなさそうだぞ」
イーガルは彼女ほど深刻に考えていないようだ。それとも、平気そうに装っているが、先程の対立で胸中はまだ穏やかではないのだろうか。
「大丈夫。部屋にいる限りは安全だし、通路はここからでも監視できる。どのみち、常にスクリーンはチェックしておかなければならないんだしな」
「監視は交代でやるんだろ? 何時間おきにする?」
すかさずイェルンが入り込んだ。イーガルの言う通り、あの様子では無理やり引きずり出しても拗れる一方だ。エマの心配はよく分かったが、感情的になっているサマトのために貴重な時間を費やすより、もっと建設的に事を運びたかった。
「……1時間おきに交代する。みんな疲れてるだろうから、交代で休憩を取ろう。休まないと、身がもたない」
追い詰めているのか追い詰められているのか判然としない異常な状況の中、ブリッジは監視体制に入った。
灰色の闇の中、背後から声を掛けられアディの意識が覚醒した。
驚いて振り向いたら、イェルンが中腰になって覗き込んでいた。顔が近い。慌てて身を引いて、顔を遠ざけた。
「イ、イェルン?」
「1時間経った。交代しよう」
「わ、私、寝ちゃってました?」
「ちょっとウトウトしてただけだよ。問題ない。あとはやるから、休んでて」
「すみません……」
アディはカップを手に取った。中身はとっくに冷めてしまっている。
「そうか飲み物か。俺も用意して来れば良かったかな。でも、一人でギャレーまで行ったのか? 危ないだろ」
「いえ、これは交代する時に、イーガルが用意してくれて……」
アディはスクリーンから離れて、空いている席に座った。居眠りしてしまった気まずさと罪悪感を抱えたが、目を閉じるとすぐに睡魔が襲ってきて、再び闇の中へと意識が落ちていった。
アディが再び目覚めたのは、点灯時間になってからだった。すでに全員が目を覚ましており、気怠い雰囲気の中、思案顔をしている。
ブリッジを見渡したがサマトの姿はなかった。おそらく、それが原因なのだろう。
「……サマトは、まだ自室なんですか?」
「スクリーンを見ていた限りでは、彼が出たところは映らなかったな」
イェルンが答えた。交代してから、ずっと監視を続けていたようだ。時刻を確認すると、2時間が経過していた。自分の倍の時間をスクリーンとにらめっこさせていたことに、申し訳なさを覚える。
「いくらなんでも、おかしくない?」
最初に不安を表したのはエマだった。
「昨日から、もう7時間以上も籠りっきりよ? 食事にも出てこないなんて」
「室内に軽食でも持ち込んでたんじゃないのかな?」
リジュは言ったが、エマは納得しなかった。
「それにしたって、トイレにも出てこないなんておかしいじゃない」
「誰か、サマトが部屋から出たのを見た者はいるか?」
イーガルの問いに、全員が互いの顔を見合わせた。名乗り出る者はいない。交代で監視していたので、詳細が今ひとつはっきりしない。その事実が、なにか取り返しの付かないことをしでかしたように感じられた。
「……ちょっと行ってくる」
イェルンが腰を浮かせた。
「待て。俺も行く」
イーガルも立ち上がった。当然のようにエプセッターとアジェントで武装をする。3人の不安げな眼差しを背中で受けながら、2人揃ってブリッジを出た。
イーガルが、インターホン越しにサマトを呼んだ。
「おい、起きてるのか?」
反応はない。さすがに尋常ではない様子に、気持ちに余裕がなくなってきた。
「サマト、無事なのか? せめて返事をしろ」
イーガルはなかば怒鳴って返事を促したが、やはりスピーカーからは無言の返事しかなかった。エマの「いくらなんでも、おかしくない?」との発言が、耳の奥深くで反芻される。
イェルンは、次第に鼓動が激しくなるのを自覚した。
「リジュに開けてもらおう」
イーガルも事の深刻さを感じ取ったようだ。もちろん、反対する理由はなかった。
「リジュ、サマトの部屋を開けてくれ」
イーガルがオムニックを通して、指示を出した。
『わ、分かった』
スクリーンに映った2人の様子を見ていて事情を察したリジュは、すぐにクリュモエントゥを経由してロックを外した。
扉がスライドするのももどかしく、イェルンは室内に飛び込んだ。
「気をつけろっ」
背後でイーガルが叫ぶが、神経は前方に集中していた。
「……なんだこれは?」
「イェルン?」
飛び込んできた不条理な光景に、イェルンの視界と感覚が歪む。
サマトは、ドアのすぐ手前で突っ伏していた。無残にも額を割られ、自分から流れ出た血の海に顔を沈めていた。これではまるで、ビーズの悲劇をなぞっているみたいではないか。
「サマトッ⁉」
急いで抱きかかえるが、サマトの瞳はすでになにも映していなかった。脈拍を見るまでもなく、完全にこと切れているのが分かる。もう、彼の繊細な指先から料理が作り出されることはないのだ。
「いったいっ? こんなバカなっ⁉ なにが起きてるっ? いったいなにが起こっているんだっ⁉」
「落ち着けっ! 落ち着くんだっ! イェルン」
「落ち着けるかっ! ラグティナはどうやって部屋に侵入したんだ?」
「とにかく戻ろう。俺たちが平静を保たなければ、一気に全滅しかねない」
「サマトは? サマトはどうする?」
「とりあえず、このままにしとこう。あとで戻ってハイバネーションする。みんなと合流するのが先決だ。ヘタすると、俺たちまで危ない」
たしかに、ここで立ち尽くしていても、解決への道は拓けない。すぐ近くの物陰にラグティナが潜んでいる可能性に身が強張る。
「……分かった。でも、その前に確認しておかないと」
イェルンは慎重な動きで、ベッドの下やクローゼットの中を調べた。関節の可動範囲が広いことも考慮し、大きめのカバンの中まで見てみた。
ラグティナの姿はどこにもなかった。個別に与えられている部屋は狭い。他に隠れられる場所は思いつかなかった。
「……行こう」
イーガルに促され、部屋から出た。衝撃的な光景や部屋の様子を思い返してみるが、どうしても納得できない。訳が分からなくなり茫然としたまま、ブリッジへと急いだ。
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