第17話 獣の叡智

 無機質な通路に、2人分の足音が響く。緊張しているせいで互いに無口になっており、それが余計に不安を煽った。


「リジュ、聞こえるか?」


 イーガルがオムニックに向かって話し掛けた。間髪を容れず応答が返ってくる。


『聞こえる。気をつけて。もう近いよ』

「どこに潜んでる?」

『プレイルーム。部屋の奥にいる』


 どんなに重要な任務の遂行中でも、気分転換は必要になる。宇宙船という閉塞感のある環境では尚のことだ。

 プレイルームとは、カ・シィーツォに設けられた娯楽室だ。ゲームに興じたり音楽を演奏して楽しむことができる。他にも汗を流せるジムや映像作品を楽しめるビューイングルームなどがある。仕事とは直接関係なさそうだが、ストレスを発散するのは意外と重要だったりする。任務に対するプレッシャーや人間関係で蓄積される精神的負担を軽くするのは絶対に必要な措置なのだ。

 ストレスを軽減するための部屋に、現在最大のストレスになる対象者が潜んでいるとは、とんだ皮肉だった。


「移動はしていないんだな?」

『いや、動いてはいるけど、緩慢な動きだ。左右に落ち着きなく、じっとはしていない』

「分かった。部屋の前まで来た。これから突入する。通信は切るな」

『分かってる』


 とても調査師団が乗った船の中で交わす会話とは思えなかった。

 これはいったい、どういう状況なのだ? 実際に起こっていることなのか?

 急に現実感が希薄になり、イェルンの鼓動が激しくなる。頭と胸の中で同時に警鐘を鳴らされているようだ。

 プレイルームの前に到着した。扉の両端に立ち、イェルンはアジェントを、イーガルはエプセッターを構えた。


「室内に籠るとは、自分から罠に掛かったようなもんだ」

「自分の位置が把握されてるなんて思っていないのさ。気をつけろ。開けた途端に飛び出してくるかも知れない」


 互いの目でタイミングを見計らう。イーガルの瞳には極度の緊張と不安が広がっていた。きっと自分もそうなっているに違いない。

 開閉ボタンに掌を当て、わずかにあごを引き、突入の意思表示をする。

 イーガルは口をきつく結び、了解の意を伝えてきた。

 扉が開くと同時に2人は身を滑り込ませた。


「照明が点いているっ。いるぞ⁉」


 意図してセンサーを切らない限りは、移動する者を感知して自動で照明が点く。2人が入室する前から灯りが灯っていたということは、異星人が侵入している証拠だ。だが、その気配は感じられず、いつもは賑やかな室内は不気味な静けさに支配されていた。空調は万全なのに、空気に湿り気が混ざったように感じる。

 リジュは室内の奥と言っていた。すばやく視線を巡らし、異星人を探した。


「いない。いないぞ?」

「物陰には?」

「いや、いない。隠れられるスペースもない」

「リジュッ!」


 イーガルの声には焦りが含まれていた。


「オムニックではどうなってるっ? プレイルームから移動したのか?」

『えっ、なに? どうしたの?』

「いないぞ? プレイルームにはいないっ!」

『そんなはずないっ! いるよっ! 部屋の左奥にいるっ!』


 この場にいないリジュの方がパニックに陥りつつある。

 いくら叫ばれても、異型人の影も形もない。用心しながら隅々まで確認するが、やはり見つからなかった。

 相手は透明にでもなれるのか? それとも、我々と比べて極端にサイズが小さいとでもいうのか? イェルンも、徐々に冷静さが削られていく。


『見えないはずないっ! なにやってるんだっ!?』


 リジュの声が神経に触る。彼から湧き出る焦りに引きずられないように、気持ちを腹の奥にまで沈めた。

 視線を左右に巡らすが、どうしても発見できない。


「イーガル、やばい。なにかやばいぞ」

「分かってる。俺たちはなにかを間違えている。なにかを見落としてるんだ」

「見落としている……?」


 イーガルとの会話の中で、閃くものがあった。


「目が駄目なら、耳で探すっ!」


 イェルンはオムニックを操作した。ビーズのオムニックを呼び出して、着信のメロディで探し出そうと考えたのだ。

 足元から着信音が聞こえた。あまりに近かったので、心臓が跳ね上がった。


「うおっ⁉」


 イェルンはソファを蹴り倒した。

 イーガルが絶妙のタイミングでエプセッターを向けた。


『どうしたっ? 2人とも大丈夫かっ?』


 リジュの声は耳に入らなかった。それだけ、目の前に現れた光景に釘付けになってしまった。


「おい……なんだこれ? いったい……こんな馬鹿な……」


 我知らず、脈絡のない呟きが漏れる。イーガルに至っては、口を開けたまま固まってしまっていた。


『おいっ!返事をしろっ! 二人とも無事なのかっ?』

「こんな小細工……相手はオムニックで位置を把握できることを知っていたんだ。罠に掛かったのは俺たちの方だ」

『イェルンッ? なにを言っている? 状況を報告してくれっ!』


 蹴られたソファの下から出てきたのは、オムニックを背負わされた上に、重しに繋がれたウェモスだった。不条理な縛めから逃れようと必死にもがいていた。


「……やつは俺たちが餌に引っ掛かるのを持ってたんだ。俺たちは誘い出されたんだよ」 

「誘い出されたって……なんで? なにが目的で?」


 イーガルの目がかっと見開かれた。つられてイェルンの気持ちが締まる。


「リジュッ! 気をつけろっ! ラグティナはそっちに向かっているっ!」

『えっ? なに? なんだって?』

「すぐに戻るっ! エプセッターとアジェントで身を守るんだっ!」

『エプセッター……嘘だろっ⁉』


 イーガルは、扉が開くのももどかしくプレイルームから飛び出した。

 イェルンも、急いでビーズのオムニックを回収してイーガルに続いた。彼の背中に怒鳴りつけるように話し掛ける。


「イーガルッ。ラグティナがみんなの所に向かってるって⁉」

「確証はない。しかし、これだけオムニックの性能を把握しているなら、最悪の事態を考えるべきだ」

「ラグティナには、それだけの知能があるってのか?」

「少なくとも、俺たちの裏をかくだけの知恵はある。力で猛進する獣よりも厄介だぞ」


 2人は息を切らしながらも、ミィーティングルームに向かってひた走った。



 オムニックを通じて聞こえてくるイーガルの切羽詰まった声に、リジュの背筋に悪寒が駆け抜けた。


「なに? 今のは……」

「分からない。異星人がこっちに向かってるって……」


 スクリーンを確認するが、もうビーズのオムニックは表示されていない。


「なあ……ちょっと、やばくないか?」


 サマトが落ち着きをなくし、助けを求めるように視線を泳がせた。


「エプセッターを取ってっ!」


 最初に動いたのはアディだった。格納庫から回収してきたエプセッターに手を伸ばした。

 エマやサマトも、慌てて倣う。急いで取ろうとしたので、アジェントを取りこぼした。

 床に落ちた金属的な音が、全員の神経を逆なでする。


「それより、ドアをロックするんだ。急いでっ!」


 リジュはスクリーンを睨むばかりで、自分で動こうとしない。

 軽い苛つきを感じながらサマトはドアが近づいたその時、なんの前触れもなくドアが開いた。

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