第18話 襲撃

「え?」


 まったく心構えができていないタイミングだったので、サマトをはじめ、4人は完全に虚を突かれた。

 理解が追いつく間もなく、室内になにかが投げ込まれた。


「うわっ⁉」


 投げ込まれたものは球状で、カンカンと軽い音を響かせながらバウンドして、テーブルの下に潜り込んだ。


「…………?」


 次の瞬間、テーブルの下から凄まじい勢いで煙が吹き出した。


「きゃあっ⁉」


 パニックで頭が真っ白になる。アディは悲鳴を上げながら、エプセッターを向けるべき方向を見失っていた。


「なにっ? なにも見えないっ⁉」

「ガスだっ! みんな息を止めろっ!」


 リジュも我を失い逃げ出そうとするが、視界が遮られてテーブルの角に腰を強か打ちつけ転倒した。


「うわああああっ⁉」


 さらに緊張を煽る悲鳴が上がった。今の声はサマトだ。彼の身に何が起こっているかも把握できない。完全に場を支配されてしまった。だが、その支配のカーテンを、リジュの声が引き裂いた。


「みんな腹ばいになれっ! この煙は床まで沈んでないっ!」


 アディは考えるより先に行動に移っていた。固い床に胸を押し付ける。少し遅れてエマも同じ姿勢を取った。 

 二人の目に飛び込んだのは、何者かに足首を掴まれて、そのまま引きずられているサマトだった。


「わあっ! わああっ!」


 必死に両足をバタつかせて抵抗しているが、ズルズルと引っ張られていく。

 煙に邪魔されてはっきり見えないが、今まで見たことのない生物の素足が確認できた。イェルンの推測通り、二本の足で立っている。

 アディの背筋に鳥肌が立った。


「ああああっ!」


 アディは横になった姿勢のまま、エプセッターをサマト目掛けて発射した。瞬時に広がったネットがサマトを捉え、床に固定した。

 アディの機転が功を奏した。突然発生した抵抗力で異星人の手が滑り、派手に尻もちをついた。足だけではなく、手らしきものが見えた。先端が不気味に枝分かれをしている。そのおぞましい形状に、呼吸が止まった。

 一度離れた不気味な手が、再びサマトに伸びる。


「サマトッ! 逃げろっ!」

「ひいっ、ひいいっ!」


 リジュが叫ぶが、ネットが絡まってサマトはもがくばかりだ。暴れるほどに絡め取られて、その場から逃げ出すことができない。完全にパニックに陥り、解いて逃れる発想が浮かんでこない。こうなっては知能の低い動物と同じだ。


「エマッ、あの手を撃って!」

「あ、あ……」


 アディの呼び掛けにも、エマは動けずにいた。混乱のあまり、思考が停止してしまっているのだ。ここまで純度の高い怖ろしさを経験したのは、生まれて初めてだった。

 異星人の手が、再びサマトを掴んだ。今度は一気に室外まで引きずり出された。


「サマトォッ!」


 エマの悲鳴にアジェントの発射音が重なった。異星人の手が離れ、バチィッと迸る乾いた音が響いた。


「みんな、無事かっ?」


 イーガルの声だった。イーガルたちが戻ってきてくれたのだ。

 形勢が不利になったと判断したのか、異星人はサマトを諦め逃走に転じた。動きは俊敏で、瞬く間に姿を消した。


「待てっ!」


 通路からイェルンの聞こえる。安堵のあまり視界が涙でかすんだ。


「イーガルッ、深追いは危険だっ」


 なおも追撃しようとするイーガルだったが、イェルンが制止した。


「見たかっ、イェルンッ⁉ 今のを見たかっ⁉」


 振り返ったイーガルは、興奮で我を忘れているように見えた。汗まみれで息を切らしており、声は高揚しているのに顔面はひどく青ざめていた。



 悪夢のような異星人の襲撃からようやく落ち着き、一同はブリッジに集まった。異星人の情報があまりに少な過ぎて、もう一度対策を練る必要に迫られたからだ。

 スクリーンに映し出すと、まずはウィズ・ディスクそのものの映像が出てきた。表面には二体の生物のシルエットが描かれており、これがイズミールの人類だと思われている。

 その特徴のある手先に、アディが反応した。


「あの手、私が見たのと似てます」


 シルエットからでは受けなかった薄気味悪さを思い出し、身震いする。サマトは足首を掴まれたが、自分だったら触れられただけでも発狂しそうだ。


「身長なんか推測できる?」


 リジュが訊くも、アディは眉を寄せるだけだ。


「私たちと大差はないように見えたんですが、あの煙だったので断言はできません」

「俺とイーガルも、ちらっとだが見てる。アディの言うとおり、体格の差は問題には上がらないと思う」


 イェルンは言った後でイーガルに視線を投げる。彼も頷いて同意した。

 スクリーンに映し出された映像が乱れ、ノイズまみれになった。聞き苦しい雑音の中に、途切れ途切れに声らしきものが混ざっている。


「エマ、どうだ? ラグティナの言葉と似ているか?」


 エマはオムニック越しに聞こえた異星人の声を思い出したが、アディと同様、はっきりとしたことは言えなかった。


「似てると言われればそう聞こえるし、違うと言われればまったく違う気がする……」

「なんだよ。それじゃなんにも分からないってことだろ」


 リジュの呟きに、エマの頭はかっと熱くなった。


「しょうがないでしょっ! あんな状況で冷静に分析できないわよっ。それに、この音声ってなんか変じゃない? なんだか、いろんな喋り方をしてるし声も違うもの。まるで何十種類も言語があるみたい……」

「なんか、同じ単語がやたらと出てくるけど……?」

「ああ。解析した時にも話題になった部分だな。おそらく、彼らの母星の名前じゃないかと言われてるが……」

「イズミールじゃないの?」

「それは、俺たちが勝手にそう呼んでるだけだ。彼らが言葉を有しているなら、当然、彼らがつけた名前があるはずだからな」


 イーガルは、先日イェルンがアディに説明したのと同じことを言った。


「それより、なにかヒントはないのかな? ラグティナの弱点……あれを殺す方法が見つからなきゃ、こんなデータ見てたって意味ないよ」


 リジュの発言を、イーガルが咎めた。


「ちょっと待て。俺は殺すなんて一言も言ってないぞ」

「え? だって……」


 リジュが反論する前に、サマトが激昂した。これまでの淡白な言動からは想像できない、激しい怒りの濁流だった。


「まだそんなこと言ってるのかっ! 僕は殺されかけたんだぞっ! あんな凶悪な生き物は、絶対に退治すべきだっ」


 実際に体験した者にしか具現できない、怖れと憤りが詰まった主張だった。叫びが力を有して室内の空気を広げるみたいに、視聴覚室が張り詰めた。

 誰もなにも言わないが、サマトの主張に同調する雰囲気が満ちていく。サマトが襲われた瞬間を間近で目撃していたのだ。リジュ、エマ、アディの3人の脳には、畏怖という爪痕がしっかりと刻まれている。

 だが、イーガルはそんな雰囲気をものともしなかった。圧し掛かる無言の圧力を跳ね返す考えを口にした。


「ラグティナを殺したら、どれほどの罪に問われるか分からないのか? 無事帰れたとしても、俺たちの居場所なんかなくなるぞ」

「生きて帰らなきゃ、罪もクソもあるかっ!」


 サマトは癇癪を起した子供みたく喚いた。険悪なムードになりつつあり、それは現在もっとも避けるべきことだった。


「なあ、異星人……ラグティナが俺たちに敵意を持っているなら、殺してしまったとしても正当防衛だ。俺もあの生物は処分した方がいいと思う……」


 イェルンは持ち掛けたが、イーガルは鋭い眼光で弾き返した。見開いた眼は四白眼となっており、異様な迫力を滲ませている。

 イズミール探査を続行するか否かの際には多数決を採用しておきながら、今ではビーズ以上に異星人に拘っている。暴君が治める国で革命を起こし英雄になった者が、しばらく経つと今度はその者が暴君に変わり果てるのと似ていた。

 異星人も恐ろしかったが、イーガルの頑なさにも不気味な怖さがあった。今まで夢物語だったものがいきなり現実味を帯びたので、暴走してしまっているのだろうか。

 イェルンはなおも反論しようとしたが、イーガルの表情からふっと険が抜けた。全員の顔をゆっくりと見渡す。持ち前の冷静さを取り戻したのか、顔つきが穏やかになっていた。

 暴君を引き合いに出したのは考え過ぎだったかと、秘かに胸を撫で下ろした。しかし、冷静になったのが逆に怖いと思うほど、イーガルは低温な声音で宣言した。


「……やはり、ラグティナの殺害は認められない」


 サマトが椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。


「落ち着いて考えてくれ。結局のところ、使用する武器が捕獲用か殺害用かの違いだけなんだ。なんの問題がある」

「もういいっ! あんたは憑りつかれてしまったんだ。まともなものの考え方じゃないっ」

「俺たちには人類の移民計画という大事業の一端を担っているんだ。しかも、おそらく一番重要な立場にいる。大事の中の小事に、過度に神経質にならないでくれ」

「僕の命が小事だと言うのかっ! ふざけるなっ」


 サマトは吐き捨ててブリッジから出て行ってしまった。誰一人として止める暇もなかった。


「そんなつもりで言ったんじゃ……」


 非難の目に晒され、イーガルは気まずそうに呟いた。


「いきなりの襲撃で、みんな気が立っているんだ。任務を遂行する責務は分かるが、隊員の気持ちも汲んでくれ」

「む……」


 イェルンの提言に、イーガルは項垂れるばかりだ。

 結局、具体的な対策も立てられないまま、隊員の間に亀裂が生じただけで終わってしまった。たった1匹、いや1人の異星人と遭遇しただけでこの有様では、イズミールに到着したとしても調査など無理なのではないのかと憂鬱になる。進路の変更ができない以上、この船は現在も確実にイズミールに近づいているのだ。

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